X

Push通知がくるよ

寛解と良くなることと治ること

自分のことを考える。

明らかに病気は良くなっている。最悪だった頃に比べれば、びっくりするほど良くなっているはずだ。
でも、現在、病気は治っていない。将来も治らない。(可能性が高い。治療法が見つかるかもしれないから言い切ることはできない。)

で、病気が現在良くなってない人に、良くなりますよ…とはカンタンに言えない。
よくなっていく過程にある人にもカンタンに言ってはいけない。波があるし。

今日は、利用者さんに自分のことを紹介していくにあたってだんだん「治ってきた」という表現を使ってしまったらしく(自分では記憶に無いのだが。少しずつ良くなってきた…くらいの言い方だったはずなのだけど)実習先のスタッフに利用者さんからクレームが入ってしまいました。正確な言葉遣いをしなければいけないと反省しつつ、でもウソは言ってないような気もして心が揺れています。

「治る」と「寛解」の間の大きな溝。

今日はメモ帳の持込を制限されていたので、詳しいことが記録に残せていなくて、あやふやな記憶をたどりつつ自分の行動の反省をしています。記憶をたどるのが難しいのはやはり認知障害か?やっぱ私は治ってない…。

明日、朝、指導担当者の方とお話しをしてなんらかの方針が出される予定。
一週間、初日からこのペースで金曜まで持つかな…。

というか、自分が問題を的確に把握しているかどうかが心配だったり。
月曜から疲れてます。

あさ: 山ほどの病気と資格と怨念と笑いで腹と頭を抱えてのたうち回っております。何であるのかよくわからない死に直面しつつも、とりあえず自分が死んだら、皆が幸せになるように、非道な進路を取って日々邁進してまいります。

View Comments (2)

  • 言葉って難しいですね。

    私自身、去年より格段に良くなってる。
    でも、それが「寛解」なのか「治った」のか分からない。
    いや、治ってない。寛解までもまだまだなのかも知れない。
    だけど調子のいい時には「薬、止めてもいいんじゃないの?」と思ってる。

    「治る」と「寛解」の間って…本当に大きな溝がありますね。

  • 結局、自分の障害を開示するかどうかの話しからきているのですが、

    指導者側の出した結論は、
    実習期間の間に収拾がつくような形ならばよい。
    とのことでした。

    開示するのは勝手だが、
    てめえのケツはてめえで拭け。
    なんかあったら責任取れよ。

    …なのかな?

    多彩な症状を持っている人が集まる中で開示するのは危険らしい。
    じゃあ、一般社会じゃ開示できないじゃん。

    少しゆっくり考えてみたいところです。

Related Post