意思決定の速い事による弊害について

企業経営において、迅速な意思決定は競争優位を築くうえで重要な要素とされています。激しい市場競争の中で他社に先んじて製品やサービスを開発し、市場投入をスピーディーに行うことは、企業として生き残り、さらに成長するために欠かせない戦略の一つです。実際、意思決定が遅いことによる機会損失や、先送りによる状況悪化は、多くの企業にとって深刻な問題です。しかし一方で、意思決定を過度に急ぐこともまた、適切な情報収集やリスク評価を軽視する結果になりかねず、企業経営に悪影響を与える場合があります。本稿では、意思決定が「速すぎる」ことによる弊害を考察し、その回避策について論じます。

1. 不十分な情報に基づく判断

意思決定を迅速に下しすぎると、十分な情報収集や調査が行われないまま進められてしまう危険性があります。たとえば、市場のトレンドや顧客のニーズ、競合他社の動向を正しく把握できない状態で新商品の投入を決めてしまった場合、その商品が実際には顧客の真のニーズを満たしておらず、発売後に需要低迷に陥るリスクがあります。また、仮に需要が見込めたとしても、競合他社の方が強力な製品やサービスを既に展開している状況に気づかずに事業を始めてしまうケースも考えられます。

こうした不十分な情報に基づいた意思決定は、企業に大きな損失をもたらす可能性があるだけでなく、現場レベルでの混乱も引き起こします。本来であれば事前の調査や、複数の代替案の比較・検討が欠かせません。スピードを重視するあまり、このような基本的なプロセスを飛ばしてしまうと、後から軌道修正のコストが大きくかかったり、既存顧客の信頼を損ねたりする可能性が高いのです。

2. リスク評価の不足

企業活動には常にリスクが伴います。投資・新規事業の立ち上げ、人材採用や組織改革など、あらゆる場面でさまざまなリスクが存在し、それらを適切に評価し、対策を講じることが企業の安定と成長を支えます。しかし、意思決定が速すぎると、このリスク評価が十分になされない恐れがあります。

例えば、新規事業に参入する際、潜在的な競合の存在や市場の成長性、法規制の影響などを総合的に把握しないまま進めてしまうと、参入後に予期せぬ障壁に直面し、大きなコストや時間をかけて軌道修正を強いられる可能性があります。また、経営資源の分配においても、社内でのリソース不足を見落としたまま拡大戦略を進めると、既存事業の停滞や品質低下など、思わぬ副作用が生じることもあります。

リスク評価には時間と手間がかかりますが、だからこそ熟慮に値する重要なプロセスです。意思決定のスピードを上げるあまり、こうした検討を怠ると短期的なメリットを得られるかもしれませんが、長期的には企業の存続やイメージに大きな影響を及ぼしかねません。

3. 社内の反対意見の無視と組織マネジメント上のトラブル

迅速な意思決定を志向するときに、社内の異なる意見を十分に吸い上げる時間を確保できない場合があります。特にトップダウン型の組織では、経営陣が「スピード重視」を掲げるほど、現場の声がかき消されやすくなる傾向があります。現場の社員は、日々の業務のなかで顧客や取引先に最も近いところでのフィードバックを得ており、また各種プロセス上の課題にも精通しています。

こうした社員の反対意見や疑問を「時間がないから」と一蹴してしまうと、組織内に不満や対立が生じるだけでなく、貴重なリスク情報や改善提案の機会を逃してしまうことになります。さらに、社員が「どうせ言っても聞いてもらえない」という姿勢に陥ると、組織のモチベーション低下や人材流出を誘発し、長期的な企業力の衰退へとつながりかねません。

4. 柔軟性の欠如と方向転換の難しさ

意思決定のスピードが速いと、いったん決まった方針を変えにくい雰囲気が生まれることがあります。トップが「即断即決」を強く打ち出すと、その後に状況が変わっても「一度決めたからには撤回できない」「すぐに方針転換すると優柔不断だと思われる」という心理的・組織的な障壁が生まれがちです。結果として、市場環境の変化に対してタイムリーに方向転換ができなくなり、機会損失やリソースの無駄な投入が長引いてしまう可能性があります。

特に、デジタル技術の進歩やグローバル化の進展によって変化が激しい昨今の市場では、企業は柔軟に戦略を修正していく力が求められています。迅速な決定と柔軟な修正が両立できれば理想ですが、「速い決定」と「柔軟な修正」はしばしば相反する文化として組織内に根づいてしまうことがあります。事前の検討や段階的な実証(PoC: Proof of Concept)プロセスをすっ飛ばすほど、「後戻り」を許容しにくい雰囲気が生まれることは容易に想像できるでしょう。

5. 品質低下と顧客満足度の低下

商品開発やサービス提供において、スピードを求めるあまり品質管理がおろそかになるリスクも見逃せません。特に製造業やソフトウェア開発の現場では、品質管理やテスト工程、顧客からのフィードバックの反映など、本来は時間をかけて丁寧に行うべきプロセスが存在します。もしこれらを急ぎすぎて十分な検証を行わなければ、初期リリース後に不具合や不備が見つかり、クレームやリコール対応に追われる事態が起こりえます。

一度失墜した顧客の信頼を回復することは容易ではありません。商品やサービスの品質が低いという評判は口コミやSNSを通じて瞬く間に広がり、企業のブランドイメージにも大きなダメージを与えます。このような事態を招かないためにも、意思決定のスピードと並行して、品質確保の仕組みをいかに維持するかという点が極めて重要です。

6. 過度に速い意思決定を回避するための方策

上記の問題を回避するには、まず組織として「ただ速いだけ」の決定ではなく、「質の高い意思決定」を目指す文化と仕組みを整えることが重要です。以下では、その具体的なアプローチをいくつか挙げます。

   a. 複数の代替案を検討する
迅速に進めたい場面でも、最低限の代替案の洗い出しと検討は不可欠です。違った視点からのアイデアや対策を考慮することで、リスクヘッジやより有効な施策が見えてくる可能性があります。

   b.アドバイザーや専門家の配置
経営者や決定権者だけで判断するのではなく、外部の専門家や社内の各領域に精通したアドバイザーを置くことで、情報収集と分析の質を高めることができます。特にリスク管理や法規制に関する知見が求められる場面では、専門家のサポートが不可欠です。

   c. 段階的な実証とレビューを取り入れる
大規模な投資やプロジェクトほど、小規模なパイロット運用やPoCを取り入れることで、早い段階で検証とフィードバックを得ることができます。その結果によって適宜調整しながら本格展開することで、過度なリスクを負わずに済むでしょう。

   d.反対意見の吸い上げと対話の文化
意思決定のスピードを優先するあまり、反対意見を蔑ろにしてしまうと組織の活力が失われます。社内コミュニケーションの仕組みを整え、部門横断的な意見交換や公開討論を行うなど、誰もが安心して声を上げられる仕掛けづくりが大切です。

   e. 意思決定プロセスの可視化と振り返り
決定の過程や判断根拠を社内で共有することにより、メンバーの納得感を高めるだけでなく、後に問題が起きた際の原因究明や再発防止策の構築がスムーズに行えます。また、意思決定のたびに「なぜこの決定をしたのか」「何を根拠に決めたのか」を振り返る文化を醸成することで、今後の質の高い意思決定につなげられるでしょう。

7. 結論

企業衰退の主な原因は、意思決定の「速さ」そのものというよりは、「先送り」や「遅さ」による機会損失や問題の深刻化であることが多いのは確かです。しかしながら、過度に速い意思決定が引き起こす不十分な情報収集、リスク評価の甘さ、社内コミュニケーションの断絶、柔軟性の欠如、そして品質低下などの問題は見過ごすことができません。これらは短期的にはスピード感を演出できるかもしれませんが、長期的には企業の評判や成長機会を損なう恐れがあります。

大切なのは、スピードと慎重さをバランスよく両立させることです。情報収集やリスク評価など、意思決定に必要なプロセスを無視せずに、かつ不要な手続きや会議を省略して迅速に進められる仕組みを作ることが理想といえます。そのためには、複数の代替案の検討や社内外の専門家のアドバイスを取り入れつつ、段階的な実証プロセスを取り入れるなど、柔軟かつ合理的な意思決定プロセスを構築することが重要です。

結局のところ、意思決定の質が高ければこそ、そのスピードが生きてきます。逆に、粗雑な意思決定をいくら速く重ねても、企業の未来を明るいものにすることはできません。経営者やリーダーは「決断力」を追求する過程で、「考える時間を確保する」ということもまた必要不可欠であることを再認識すべきでしょう。拙速な判断ではなく、情報・リスク・多様な声を取り入れた上での「最適な速さ」の意思決定こそが、企業の持続的成長を支える基盤となるのです。

EBDM(エビデンスに基づく意思決定)の盲点

エビデンスに基づく意思決定(EBDM)の盲点と活用上の注意点

エビデンスに基づく意思決定(Evidence-Based Decision Making, EBDM)は、政策立案や組織運営をはじめとする多様な場面で重要視されるアプローチである。EBDMは、入手可能な最良のエビデンスを収集・分析し、それに基づいて意思決定を行うことを旨とする。しかし、エビデンスを重視するがゆえに生じる盲点も存在し、これらを十分に認識したうえで意思決定プロセスを設計することが不可欠である。本稿では、以下に示す主な盲点に加え、組織文化やステークホルダーの相違、認知バイアス等の観点から、EBDMが内包するリスクとその対処策について考察する。

1. エビデンスの過度な重視

EBDMの大きな特長は、科学的根拠や実証研究を重視する点にある。しかし、そのことがかえって「個別の文脈や状況を無視する」という落とし穴につながりうる。たとえば、ある政策Aが特定の地域において効果を示したというエビデンスが得られた場合、それは別の地域や集団に対しても同様に有効だとは限らない。地域の人口構成、経済状況、文化的背景などによって政策効果は異なり得るからである[1]。このように「汎用性の高い」エビデンスが必ずしも個別のケースに合うわけではないため、形式的に示されたエビデンスに過度に依拠する姿勢は危険となる。

さらに、組織や社会の複雑性が増すにつれ、「何が最も望ましい成果か」は必ずしも一義的に定義できるものではなくなっている。政策効果の定量的な評価指標(KPIなど)だけを追い求めると、短期的かつ直接的な効果は見えやすい一方で、長期的かつ間接的な効果の評価を軽視しがちである。このような状況下で、エビデンスを高く評価するあまり、長期的視点や質的要素を十分に検討しないまま意思決定が行われれば、結果的に不十分または不適切な判断につながる可能性がある。

2. 数値化の限界

エビデンスを基にする意思決定を行ううえでは、定量的指標が重視される場面が多い。政策効果の測定や研究デザインの比較など、数値化されたデータは理解や評価が容易であるため、証拠として扱いやすい。しかし、数値化だけで捉えきれない要素は多岐にわたる。たとえば、住民の満足度やコミュニティのつながりといった質的要素、また組織内部のモラルやチームワークの向上などは、必ずしも数値指標に直結しない[1]。

さらに、複雑な社会問題では因果関係が一方向とは限らず、多元的かつ相互に絡み合った要素が存在する。そのような場合、単に「ある介入を行ったら成果が向上した」という数値的根拠だけでは不十分であり、その成果がどのような要因によってもたらされたのかを慎重に考える必要がある。もし数値データのみを過度に信頼してしまうと、背景にある要因や複雑な相互作用を見落とし、誤った結論を引き出すリスクが高まる。

3. 意思決定の遅延

EBDMでは、意思決定に先立って十分な証拠を収集・分析することが求められる。これは、時間をかけて既存研究や事例を調査し、可能な限り適切なエビデンスを集めることを意味する。しかし、ビジネスや政策の現場では、しばしば時間的制約の厳しい状況に直面する。緊急度の高い事態や一度きりのチャンスを逃さないためには、スピード感を持った決断が不可欠である[2]。

したがって、EBDMを盲目的に追求することで意思決定が過度に遅延し、機会損失や社会への悪影響を及ぼす可能性がある。実務レベルでは「ベストではなくベターな選択」を迅速に行う必要があり、その際にはエビデンスに基づくアプローチだけでなく、現場のノウハウや経験、直感的な判断も組み合わせる柔軟性が必要となる。特に災害時の対応や公共安全に関わる意思決定は時間軸が短いため、準備段階から迅速かつ正確に活用できるエビデンスのストックを用意するなどの工夫も求められる。

4. 直感の軽視

エビデンスを重視するあまり、人間の経験や直感に基づく判断を過小評価するリスクがある。確かに、直感的な判断は客観的データと比較して根拠の曖昧さが指摘されやすい。一方で、複雑な状況下では、長年の実務経験や専門家としての暗黙知が大きくモノを言うことも少なくない[2]。たとえば、医療現場では医師や看護師の経験則による「微妙なサインの見逃し防止」が患者の救命に直結するケースがある。また、緊急度の高いビジネス上の意思決定においても、リーダーの直感が結果的に功を奏することが多々ある。

EBDMと直感は対立するものではなく、むしろ補完関係にあると考えるのが望ましい。初期の判断を直感で下し、後にエビデンスで補強・修正を加えるアプローチや、エビデンスを大枠の指針として活用しつつ、最終的な細部の判断は直感と経験に委ねる方法など、複合的に活用することで意思決定の質を高めることができる。

5. エビデンスの質と解釈

EBDMにおいては、「エビデンス」がすべて同等の質を持つわけではないという点が重要である。たとえば、無作為化比較試験(RCT)のメタアナリシスで得られた結果と、限定的なサンプルによる観察研究では信頼性が異なる。また、同じエビデンスを扱っていても、解釈の仕方によって結論が変わり得る。研究のデザインや統計学的有意差の評価方法、対象集団の選び方などにより、エビデンスの質には大きなバラつきがあるからである[3]。

加えて、エビデンスの不確実性をどの程度許容するかという問題もある。科学的研究でも、必ず何らかの不確実性は含まれるため、その不確実性を正しく理解し、意思決定の際に織り込む必要がある[1]。不確実性を無視して「結論が出た」と安易に断定するのは危険であり、あらゆる政策や施策が本当に効果を発揮するかどうかを常に検証・モニタリングしていく姿勢が求められる。

6. 組織文化やステークホルダーの相違による影響

EBDMは、個人の意思決定だけでなく、組織全体の意思決定プロセスとして導入されることが多い。しかしながら、いかにエビデンスを重視していても、組織文化や利害関係者(ステークホルダー)同士の力学によっては、そのエビデンスが正しく活用されない場合がある。

たとえば、上層部が数値目標のみを最重要視する文化では、質的データや長期的視点が組織内で軽視されがちになる。また、ステークホルダー同士の利益や優先順位が対立する場合、特定のエビデンスのみが選択的に利用され、反証となり得るデータが黙殺されるリスクもある[4]。こうした組織文化や政治的な要因は、データの解釈や意思決定に偏りをもたらし、EBDMを表面的な手法に変質させてしまう可能性が高い。

対処策としては、

  • 組織文化として多様な指標や長期的成果の評価を重視する
  • 意思決定プロセスを透明化し、説明責任を明確化する
  • ステークホルダー全員が納得できる形でエビデンスを共有・検討する場を設ける
  • などが挙げられる。これにより、形式的に「エビデンスを使っている」だけではなく、実質的にエビデンスを生かすための土壌が整備される。

    7. 認知バイアスと政治的バイアス

    人間はデータや情報を扱う際に多様な認知バイアスに陥りやすい。代表的なものには「確証バイアス(confirmation bias)」や「利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)」などがある。確証バイアスは、自分の信念や仮説を裏付ける証拠ばかりを集め、反証となり得る証拠を軽視または無視する傾向である。また、利用可能性ヒューリスティックは、思い浮かびやすい事例や近時の事象を過大評価する傾向を指す。EBDMでは、客観的データを扱うとされるが、実際にはそれを解釈し意思決定に生かすのは人間であり、こうした認知バイアスの影響を完全に排除することは難しい。

    さらに、組織や政治の文脈では、特定の立場や政治的意図がある場合、都合の悪いエビデンスを除外する「チェリーピッキング(cherry-picking)」が生じやすい。結果的に、見かけ上は「エビデンスに基づいた決定」のように見えても、実際はバイアスのかかった情報だけを利用して意思決定が行われている恐れがある。こうしたバイアスを意識的にチェックし、幅広い視点からエビデンスを選別・評価する仕組みを作ることが必要である。

    8. リソースの制約と実装上の課題

    EBDMを実践するためには、適切なリサーチスキルやデータ分析能力、十分なリソースが求められる。大規模な調査やRCTを実施するとなれば多額の費用と長い期間が必要となり、中小規模の組織や緊急時の状況では対応が難しい場合がある。また、組織内部でデータを管理・分析するための人材育成やインフラ整備が不十分であれば、エビデンスの収集や解釈の段階で大きなボトルネックが生じる。

    さらに、いざエビデンスに基づいた施策を導入するとなっても、現場でのオペレーションや運用コスト、従業員の抵抗感など、実装上の課題が立ちはだかることが多い。効果が認められている施策であっても、組織や社会の文脈にそぐわなければ、十分に機能しないばかりか反発を招く可能性もある。そのため、エビデンスを活用するだけでなく、現場との対話やフィードバックを重視し、柔軟に施策を調整していくプロセスが不可欠である。

    9. 盲点を踏まえたEBDMの最適活用

    以上のように、EBDMには多くのメリットがある一方で、「エビデンスの過度な重視」「数値化の限界」「意思決定の遅延」「直感の軽視」「エビデンスの質と解釈」「組織文化とステークホルダーの相違」「認知バイアスや政治的バイアス」「リソース制約と実装上の課題」など、多様な盲点が存在する。これらを踏まえると、EBDMを成功させるためには、以下のようなポイントを意識する必要がある。

    1. バランスの重視
    エビデンスだけでなく、経験や直感、組織の文化的文脈、利害関係者の視点などを組み合わせることで、より総合的かつ柔軟な意思決定を行う。

    2. エビデンスの評価と透明性の確保
    エビデンスの質や不確実性を正しく評価し、意思決定プロセスを透明化する。特定のエビデンスのみが過度に重視されないように配慮する。

    3. 迅速性と計画性の両立
    時間的制約が厳しい状況では、あらかじめ必要なデータや研究を蓄積しておくとともに、直感や経験を駆使する方法も柔軟に取り入れる。

    4. 認知バイアスへの対処
    意思決定に関わるメンバー同士で定期的に意見を交わし、可能な限り多様な視点を取り入れる。ファシリテーターを立てて議論を整理し、バイアスを顕在化させる方法も有効。

    5. 組織文化の変革
    「エビデンスを適切に使う文化」を根づかせるには、トップダウンでの指示だけでなく、ボトムアップの取り組みや教育・トレーニングによって全員が必要性を理解することが重要。特に質的情報の重要性を認める組織風土を作り、ステークホルダー間で対話を促進する。

    6. 継続的なモニタリングとフィードバック
    施策を実施した後も、常にモニタリングを行い、得られた新たなエビデンスを基に再評価を実施する。PDCAサイクルのように、継続的に改善を重ねる仕組みを確立する。

    おわりに

    エビデンスに基づく意思決定(EBDM)は、合理的かつ再現性の高い政策・組織運営を実現するための強力なアプローチである。しかし、エビデンスを過度に重視しすぎることで生じる「個別文脈の軽視」や、組織文化・ステークホルダーの対立・認知バイアスといった様々な盲点が存在する点を見逃してはならない。また、数値化の限界や意思決定の遅延などの課題に加え、エビデンスの質や解釈の問題、リソース不足や実装上の困難があることも考慮する必要がある。

    これらの盲点を克服するためには、エビデンスと直感・経験を組み合わせつつ、現場固有の状況や組織文化、利害関係者の声を丁寧に拾い上げる「ハイブリッドな意思決定プロセス」が求められる。具体的には、意思決定過程の透明性や多様性の確保、継続的な検証と修正の仕組みづくり、組織文化の変革などが重要となる。EBDMの真価を最大限に引き出すには、単に「エビデンスありき」ではなく、人間が持つ洞察力や経験知と統合しながら多面的にアプローチする姿勢が鍵となるのである。

    【参考文献】
    [1] 中山健夫. (2018). 診療情報の管理と活用
    [2] MARLEE. Evidence-based decision-making
    [3] Sackett, D. L., Rosenberg, W. M., Gray, J. A., Haynes, R. B., & Richardson, W. S. (1996). Evidence based medicine: what it is and what it isn’t. *BMJ*, 312(7023), 71-72.
    [4] 稲葉 由香里, & 甲斐 祐樹. (2014). 組織内外のコミュニケーションと意思決定の再考. *情報管理*, 57(3), 213-219.

    【AI漫談】難度か?難易度か?言葉の標高戦!突っ込み隊、笑いの頂へ急上昇

    太郎:「おいおい、お前さ、『難易度が高い』なんて言葉、あれどう思う?」(註)※1

    次郎:「どう思うって、普通に使うやろ。『このゲーム難易度が高いな』って。」

    太郎:「いやいや、『難易度』は『難しさと易しさの度合い』やろ?『難しさと易しさの度合い』が『高い』って、何やその状態! 難しいか簡単か、ふらついてる妖精みたいな表現やないか!」

    次郎:「妖精て…突然メルヘン出すなよ。難易度ってのは『どれくらい難しいか』を測る物差しやん。その物差しが上がれば難しい、下がれば易しい。それを『高い』って言うのは全然おかしくないやろ。」

    太郎:「でもさ、『難度が高い』ならまだわかる。でも『難易度が高い』は変な感じせえへん?」

    次郎:「いや、今の言語感覚では全く問題ないで。たとえば『満足度が高い』とか『満足度が低い』って言うやろ。あれも『満足の度合い』が高い=めちゃ満足してる、って自然にわかるやん。」

    太郎:「たしかに『満足度が高い』は別に気にならんな。『満足の度合い』が高いで満足しまくりやもんな。」

    次郎:「せやろ。『難易度が高い』も同じ理屈や。『難易度』って言葉自体が『難しさの度合い』を表してるんやから、その度合いが上がって『高い』って表現するのはごく自然やで。」

    太郎:「でも辞書的にはどうなんや?辞書に『難易度が高い』が載ってないとか、変なことにはなってへんのか?」

    次郎:「実際に辞書とか言語資料を調べたら、ふつうに『難易度が高い』って使われてる例なんていくらでもあるで。現代語で違和感なく通じる表現やからな。『高難易度』って単語も定着してるし。」

    太郎:「なるほどなあ。言語って生き物やから、昔は『え?そんなん変ちゃう?』って思う表現も、気づいたら全員が普通に使ってるもんやもんね。」

    次郎:「その通り。『難易度が高い』が『誤用』って決めつけるのは、時代や実際の使われ方を無視した、ちょっと堅苦しい考え方やで。要は通じりゃええねん。」

    太郎:「よっしゃわかった! じゃあ俺も次から堂々と『このクイズ、難易度めっちゃ高いな!』って言うわ!」

    次郎:「ええやん、自然に使いこなしていこうや。言葉は使われる中で育つんや!」

    太郎:「ほな、次のステージは『高難易度』やで!いっちょクリアしたるわ!」

    次郎:「目標が上がったな、頑張れよ!」

    太郎:「でもさあ、こういうのって他の表現でもあるんかな?『このカレー、辛さ度合いが高い』とか?」

    次郎:「そら使えるで。『辛さ度合いが高い』言うたら『めっちゃ辛い』ってことやろ。実際、メニューなんかで『辛さレベル○』とか『辛さ5段階中5』とかよう見るやん。」

    太郎:「なるほどな。『辛さレベルが高い』で『すんげぇ辛い』ってわかるわけや。」

    次郎:「そうそう。結局みんな、『度』って言葉を、『何かの程度を示す目盛り』として自然に使ってんねん。その目盛りが高い=もっと強烈っていう発想やな。」

    太郎:「俺、昔『敷居が高い』って言葉聞いたとき、『そのお店、入り口の段差めっちゃ高いんか?飛び越えるレベルか?』って素直に思ったことあるわ。」

    次郎:「ええやん、その純粋な感性!でも実際『敷居が高い』は『ちょっと行きにくい』いう比喩やん?言語って比喩や慣用表現に溢れてるわけや。」

    太郎:「ふむふむ、確かに。『ハードルが高い』なんかも、別に目の前に陸上競技のハードルが設置されてるわけやないしな。」

    次郎:「そういうことや。『難易度が高い』ってのも、『難しさ』を数値化するようなイメージやねん。いちいち『この問題は極めて困難な性質を有し、それに取り組むことは容易ではない』なんて言う必要あらへん。『難易度高い!』で一発や。」

    太郎:「確かにな! 言葉は生き物で、便利やと感じればみんな使う。そうやって定着していくんやな。」

    次郎:「ほんで時が経つと、誰も違和感感じへんようになる。実際、今となっては『難易度が高い』なんて、ごくフツーに使われとるやろ?」

    太郎:「めちゃくちゃ使われてる!ニュースもゲーム攻略記事も、たいてい『このコンテンツは高難易度です』とか平気で書いてるし。」

    次郎:「せやろ。ほなもう、辞書片手に細かいこと言うより、実用的な表現として受け入れたほうがエエんちゃう?」

    太郎:「オッケー、なんか眼からウロコやわ。言葉を素直に楽しんだほうがストレスたまらんしな。」

    次郎:「そうそう!次に難しい問題に直面したら、堂々と『この問題、難易度めっちゃ高いわ!』って叫んでみい!」

    太郎:「了解!これで俺も自然体や!ほな、難易度MAXのクイズに挑むで!燃えるわあ!」

    次郎:「燃えすぎて家事(火事)にならんよう気ぃつけや!」

    太郎:「ところで、最近ニュースで見たんやけど、来年の入試、めっちゃ問題が難しくて『今年は難易度が高い』って、教育委員会も公式発表してたで。」

    次郎:「おお、公式で『難易度が高い』言うてるんかいな。もう『難易度が高い』は公認やな!」

    太郎:「そりゃそうや。今更『難度が高い』以外は認めません!なんて主張するのは、相当な化石的人物やで。あの発表見て思ったわ、国のトップクラスのテスト制作陣まで『難易度が高い』を使っとる!」

    次郎:「ほんなら言語学者も『難易度が高い』は定着したとみてええんちゃうか? そのうち辞書にも『【例】この試験は難易度が高い』って、バッチリ載るで!」

    太郎:「すでに載っとるかもしれへんで。言語は生き物やから、辞書編集者も最新用法にはアンテナ張っとるやろ。」

    次郎:「この前、2025年版の新語辞典がチラッと話題になってたけど、今時『難易度が高い』ぐらいは逆に『今更』感あるよな。」

    太郎:「ほんまやな。今流行ってるのは『超高難易度』『鬼レベル』とか、さらに激辛スパイス効いた表現やもんな。」

    次郎:「『鬼レベル』とか、そのうち行政文書にも出てきたらビビるで。『今年の公共事業入札は鬼レベルの難易度です』とか。」

    太郎:「国土交通省がそんなアナウンスしたら笑うわ!でも、そうなったらもう『難易度が高い』どころか、言葉の領域大幅拡張やな。」

    次郎:「ほんまに、言葉は止まらへん。そういえば最近のクイズ番組で、『高難易度』どころか『究極難易度』ってテロップ出してたで。」

    太郎:「究極か!究極まで行ったら、もうそれ以上表現しようがないぐらいやん。次は『次元歪曲難易度』とか意味不明な方向に進化するかもな。」

    次郎:「それはもう難易度のメタバースやな。言葉遊びも際限なしやで。」

    太郎:「でもさ、こうやって笑い話にしてるけど、要は『難易度が高い』みたいな表現が人々に受け入れられて、当たり前になってるってことや。」

    次郎:「せやから、昔は正しい正しくないで揉めたかもしれへんけど、今は言葉が普通に生活に溶け込んどる。そう考えたら、目くじら立てんでもエエんちゃう?」

    太郎:「そうやなぁ。新しい表現が出てくるたびに『正しいか?』って鬼の首取ったみたいに騒ぐより、『お、また面白い表現増えたな』って楽しむほうが人生楽しいで!」

    次郎:「ほんで実際、ニュースから受験、クイズ番組まで『難易度が高い』は大活躍!次はどんな表現が出てくるか楽しみやわ。」

    太郎:「ほんまや。次に何か『神難易度』『伝説級難易度』とか出てきたら、また二人でつっこんで笑おうや。」

    次郎:「任しとき!どんなにハードルが上がっても、オレらのツッコミは難易度不問で炸裂や!」

    太郎:「ほな、また新しい表現に遭遇したらここで会おうぜ!何度でも『難易度が高い』!これからも言葉の進化を笑い飛ばしたるわ!」

    次郎:「言うたな!またおもろいネタ持ってこいよ!」

    註※1:文部科学省サイトより。「教育の情報化に関する手引」検討素案 
      第5章 初等中等教育における学習指導でのICT活用
       (5)学習指導の効果を高めるICT活用のために
         ”…つまり、高価なICT機器であるかどうかや、技術的な難易度が高いといったこと、或いはICTの特徴を活かした機能といったことだけでは、学習効果を高めるために直接的な役割を果たさない可能性もある。…”

    【AI漫談】「Z世代の最新トレンドに迫る!」

    太郎:「おい、次郎!最近の若者の流行、知ってるか?」

    次郎:「また急にどうしたんだよ。何か面白いことでもあったのか?」

    太郎:「いや、最近のZ世代のトレンドがすごいんだよ!例えば、『猫ミーム』って知ってるか?」

    次郎:「ああ、あの猫の面白い画像や動画がSNSで流行ってるやつだろ?」

    太郎:「そうそう!あれを見てると、なんか癒されるんだよな。」

    次郎:「確かに。猫の可愛さは世界共通だからな。」

    太郎:「それに、『バレエコア』っていうファッションも流行ってるらしいぞ。」

    次郎:「バレエコア?バレリーナみたいな格好をするってことか?」

    太郎:「そう!チュールスカートやリボンを取り入れたスタイルが人気なんだって。」

    次郎:「へぇ、でも俺たちがそれ着たら、ただのコスプレになっちゃうな。」

    太郎:「確かに。でも、若者の感性ってすごいよな。次々と新しいものを生み出して。」

    次郎:「そうだな。俺たちも見習わないといけないな。」

    太郎:「じゃあ、俺たちも新しい漫才のスタイルを考えようぜ!」

    次郎:「例えば?」

    太郎:「漫才中に猫のコスプレをして、『猫ミーム漫才』とか!」

    次郎:「それ、ただの仮装大会になっちゃうだろ!」

    太郎:「じゃあ、『バレエコア漫才』でチュールスカート履いて…。」

    次郎:「いやいや、見た目に気を取られて漫才どころじゃなくなるぞ!」

    太郎:「でも、若者のトレンドを取り入れるのは大事だろ?」

    次郎:「確かに。でも、無理に取り入れるんじゃなくて、自分たちのスタイルに合った形でやらないとな。」

    太郎:「そうか。じゃあ、まずは猫カフェでネタ作りしよう!」

    次郎:「結局、猫に癒されたいだけじゃないか!」

    太郎:「でもさ、次郎、猫ミームとかバレエコアを超えるような新しいトレンドを俺たちで生み出せないかな?」

    次郎:「おいおい、ハードル上げすぎだろ!でも、例えばどんなの考えてるんだ?」

    太郎:「『漫才コア』ってどうだ?漫才師のファッションをトレンドにしちゃうんだ!」

    次郎:「漫才コア?スーツにネクタイ、そして手にはマイクを持つ…地味すぎないか?」

    太郎:「いやいや、そこをアレンジするんだよ!ネクタイの代わりにカラフルなリボンにして、スーツも柄物で派手にしてさ。」

    次郎:「それ、ただの個性強い人じゃないか!でも、なんか面白そうだな。」

    太郎:「しかも、流行りのSNSに『漫才ポーズチャレンジ』とか載せて、みんなで一緒にポーズを決める!」

    次郎:「漫才のツッコミポーズか。『ドン!』って感じで決めるわけだな。」

    太郎:「そう!それで『#漫才コア』ってハッシュタグをつけて広めるんだよ。」

    次郎:「でも、それを広めるには若者の支持が必要だぞ。どうするんだ?」

    太郎:「そこはもう、猫の力を借りるしかないな。」

    次郎:「猫の力?どういうことだよ?」

    太郎:「猫と一緒に漫才ポーズをとるんだよ!『#猫と漫才コア』とかで投稿したらバズるだろ!」

    次郎:「結局猫頼みかい!でも、意外といけそうな気もするな。」

    太郎:「そうだろ?そして猫カフェでライブ漫才もやる!」

    次郎:「猫カフェで漫才…お客さんが猫をなでてる間にボケとツッコミするってことか?」

    太郎:「そうさ!猫にツッコミ入れてもらう感じで!」

    次郎:「それ、どっちが主役か分からなくなるぞ!」

    太郎:「いいんだよ!猫も観客も楽しめる、まさに新しいエンタメの形だ!」

    次郎:「そうか…でも、お前のそのアイデア、意外とバズるかもな。」

    太郎:「よし、じゃあ早速猫カフェに営業かけに行こう!」

    次郎:「俺たちの漫才が、まさか猫と一緒にバズるとはな…。」