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Categories: PSW統合失調症

ブログ荒らしとソーシャル・インクルージョン

昨日のブログではとある障碍当事者の方がたくさんコメントを残してくださいました。

はじめ、彼がこのブログに接触してきたときには、
当事者PSWに興味のある当事者がいるのだと単純に考えていました。
試験勉強に対するアドバイスなどもいただき奇矯な方もいるのだと思っていました。

やはり奇矯でした。

彼の文章を読んで伝わってくるのは、
勉学における挫折や、就職におけるやはり挫折。
統合失調症によく見られるであろう自己像の歪み。

防衛機制を精一杯働かせているのが痛いほど伝わってきます。
目いっぱいの抑圧。ネットへの逃避。ちょっとしたことへの代償。
認められない自分の合理化。有名人への同一化。
親と医師への陰性感情の投射。文学への昇華(失敗してるけど)

彼一人で教科書が書けるのではないかというくらい見事な暴れ方でした。

あと試験まで2日となってこんなことを書いている場合ではありませんが、
私がPSWとなって、もし、彼のようなクライアントが現れたらどうするのか。
いろいろ思考をめぐらせるとPSWという仕事の重要性と意義が見出されてきます。

彼の場合、過去に使用した文章をコピー・ペーストすることでこちらを圧倒しようとしていますが、内容的には非常に薄く、深く考えるべきところはまだまだ奥にあるのだろうと思われます。あそこまであの年齢(若くない)でねじれているのは、周囲の環境を含め医療・福祉にまだまだ不足するものがあるということが感得できます。

彼のような人物が、街で、ごくあたり前に生活するにはどうしたらいいのか?
周囲の人間の寛容さと病気への理解が相当な程度必要だと思われます。

彼の妄想や言説にはまだかわいらしさが残っています。
そこが救いでもありますが、社会生活を無事に送るには少々訓練が必要に思えました。

あと、気になるのは、彼がniftyで活動をしていたことがあり、
現在もHPを細々運営しているということです。
長い間、かなり寛容な空気にさらされていた気配があります。

限られた空間で「そのひとらしく」生きてゆくにはそれで良いのでしょう。
しかし、一般世間に出て行ったとき、温度差はあまりにも大きく感じます。

私のブログで発言し、私は私の思うことを書きました。対等に接したつもりです。
対等だからこその批判であり、皮肉です。彼にも好きなように書かせました。

彼はもっといろいろなところに出て行くべきです。
その場その場で批判にさらされて彼も周囲の人間も鍛えられると思います。
そして行き着く先が、「ソーシャル・インクルージョン」と呼ばれるものではないでしょうか?

障碍者の団体や個人が体験発表を行い、市民に溶け込もうとする試みが各所で行われています。
ネットの世界でそれをやると彼のような形態になるのかもしれないと考えます。
niftyや彼のHPだけでなく、いろんなところで騒動を起こしていただくのがよろしいのではないかと。迷惑千万ですが、社会的コストとして必要なことではないかと思います。
  
いや、実際のところ本当に腹が立つんですけどね。
私も当事者だけど、性質が少し違うみたいな気もして嫌いなんですけどね。

相手をしてみて、自分のフラストレーション耐性がちょっぴり高まったかなと思います。
建設的な議論にならなかったのは残念ですが、なんせ国家試験3日前。
余裕があったらまた違った形になったのかもしれないなと思います。

 
 
 
・・・でも実は私うんざりしつつもけっこう楽しんでやってたりして。
性格が捻じ曲がっているのはお互い様だということでしょうか。


参考に過去の記事(コメントを参照してください)
過去問解きほうだい
【PSW】模擬試験復習開始
現在の所持金639円
昼夜逆転を矯正する。そして、信じて。
妄想による指導は御免こうむる


追記(2009/01/22)
私にはネット上でしか彼の人格はわからないわけで、書き込まれる内容から人格を推定するというのは危険なことだとも思います。意外とネット弁慶のようなところもあるかもしれません。ですが、一連の書き込みからの押し付けがましさや、ある種の職業に対する偏見の記述、文章のまとまりの無さ、学歴への異常なこだわり・・・。

PSWの現場実習での指導者に教えていただいたことを思い出します。
その人と周囲で関わる人との間で問題が無ければ、その人は「普通」の人である。と。
医療の対象にすることも福祉の対象でもない。困っていないのだから。

それ以上に介入をすることはおせっかいであると考えられます。
ましてや私と彼との関係は、ワーカーとクライアントでもなんでもない。

ただ、私は「怒った」のですから、それを表現するのは正当であるのでしょう。
ワーカーの勉強をしているうちに福祉の一翼を担うような使命感が出てきたり、ワーカーとしてあるべき態度や発言をとらなければならないような気がしてくるのですが・・・、そういう場面ではない。

その前に、私は「一市民」であるのです。それに繰り返しますが、彼のワーカーでもないし。
一般市民としての感覚で彼に対して怒りを感じることは当然のことだと思います。
どちらが良くてどちらが悪いという次元ではない。

これをもって気づいたことは、自分の統合失調症が軽快しつつあるのかもしれないという希望です。
「普通に怒ることができる」「文句を言い返せる」「自分から相手を責めることができる」
陰性症状の強い中ではこの気力は沸いてきません。

まだ、自然な感じで感情が動いているという感覚は持てないでいるのですが、
良いか悪いか別として、普通の人間らしさを取り戻しつつある気がします。

人生、喜怒哀楽を豊かに過ごしていくのは良いことだとすれば、
今回の出来事はすばらしい自分の一面が発見できたといえるでしょう。

「怒ってもいいんだ」というのは自分を大きく解放します。
良い子でなくてもいい。喧嘩したっていい。試験勉強をさぼってもいい(これはまずいか)

精神障害の当事者として、自分の病気と向き合わざるを得ず、世間に引け目を感じ、
そのときそのときに本当にやりたいことが何かを忘れがちになって日々を過ごしてきました。
なにができるか考え、なにもできないと失望し、萎縮して過ごす毎日。

やりすぎはいけませんが、今回、自由をひとつ手に入れたようです。

で、昨日の相手は社会にもぐりこむために「やりすぎ」てしまっているケースなのだろうなという気がします。精神障碍者のリカバリーはいろんな方向があるのでしょうが、いろいろな事情で妥協せざるを得ずあのような人格を身に付け、暮らしているのだと理解します。

きれいごとばかり言っててもしらけます。奴はドブ板踏み抜いてぐちゃぐちゃになればいいのに。そう思える自分がいとおしく感じます。人を呪わば穴二つ。自省しながら呪ってやりたいところです。これを期に私に普通の人並みの自己愛が定着すればいいなと思います。

あさ

山ほどの病気と資格と怨念と笑いで腹と頭を抱えてのたうち回っております。何であるのかよくわからない死に直面しつつも、とりあえず自分が死んだら、皆が幸せになるように、非道な進路を取って日々邁進してまいります。

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あさ

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