理解と疾病利得がごたまぜなのね

スルーすればいいんだけれど・・・。

懲りずに横やり。間接的に。一般的な問題でもあるから。

世間では本人に直接苦言を言う方は少数派ですよ。

理解してもらう事が努力の放棄の様におっしゃる方が
捨てぜりふキメて去っていく件について。

それと障害を理解してもらう事が、簡単ではない点について。

理解ってのは健常者同士でも難しい。はず。
だから理解をむやみに求めるのは危険かと思いつつ。

そして、統合失調症については
「自分自身の理解」すら難しいというところがあります。
そこが「病識がない」ってやつの一部なわけです。
(自己を理解するのは健常者でもやっぱりむずかしいけど)
 
 

普通の人(普通って何?というのはおいといて)は、トラブルに対して
ある程度の耐性があったり、逃げるタイミングをはかる事が出来たりします。
そして、今回の件のような微妙な事をうまく消化できるのです。

ですからこの問題は、双方、この病気らしいトラブり方とも言えるけれど。

統合失調症はそこらへんがうまく対応できない病気でもあります。
だからSSTとかでトレーニングするわけです。

「理解して欲しい」のは、そういうあたりの事情だと思います。
トラブルや課題ををうまくあしらうスキルに欠ける点も含めてですね。

で、疾病利得の件。病気だという事で得をするということについて。

私たちには「配慮」ってのはやっぱり必要なわけなんですよ。
だって、病気なんですから。
それを逆手に取って「病気なことを利用している」様に見える点が問題です。
それを努力の放棄だと見なされてしまうのはイヤな事だけど。
 
 

でも、ここはひとつ割り切って援助を気持ちよく受けるというのがよろしいかと。
 
 

で、大事なのは、ギブアンドテイクの精神だと思います。
何かしてもらったら、お礼するなり、いざというときその人を助けたりするとか。

もらいっぱなしじゃ、そりゃ何か言われちゃいますよ。

で、自分で出来る事は何か考えないといけないわけです。
何でも出来る人はいないし、できることがない(と思い込んでる)人もいる。
(何でも出来ると思ってる系統の方もいらっしゃいますがそれはそれとして・・・)

で、「努力」の登場です。努力して出来る事を作れと。

一般社会では正論なんだけれど、
私たちは努力しようとするとそれで壊れちゃう事があるので困るわけです。
なんてったって「努力しなくちゃいけない」って考えるだけで病状が悪化しかねない。

だから、お返しができない。

それをながめていると一方的にもらうだけの子供オトナに見えてしまい、
今回のような苦言につながってくるわけです。

お返し無しでもらってばかりなのをずっと見てると
そりゃ気持ちのいいものではありません。
ここは理解してもらわなければいけないのだけれど、
理解しろと強弁するわけにもいかない。

みんなの好意にただ乗りしてると思われちゃうわけです。
そのへんが「疾病利得」ってのを利用してうまい事やってるなあいつめ!
ということになるわけだと思います。

「無理しないでね」という一方で「努力しろよ」となるのは
以上のことがらがこんがらがっていて、不可分だから。

よく考えると、むこうが「なんかくれ!」って言ってるわけなんですが。
たぶん甘えてるのはお互い様なんでしょうね。

で、最近(でもないか)の傾向で、こんな本をご紹介。

こーいう傾向の言論があるんで、
統合失調症もうつ病もあれやこれやの病気の人間はちょっと肩身が狭い。

で、おすすめはこれ。ちょっとだけ前の本だけど。
人によって好き嫌いがまっぷたつに分かれると思いますが。

まあ、言葉を尽くさずに去るってのはどうかと思う。

でもね、徹底的に闘う当事者ってのもいるわけですよ。理解を求めて。
アメリカ産の古典的書物があります。

ここまでやっちゃうとなんか別の意味で問題あるんじゃねえかと思ったりしますが。
障害への理解を求めるってのは簡単に言う事じゃないんだなと思います。

必要な事だけど。
 
 
 

・・・なんで私ってこうも上から目線なんだろう・・・。
嫌んなってくるけれど、受容して努力しなきゃいけないのかな。

「コレ、私(あさ)の障害だからみんな許してね!!努力してもなおんないから!!」

っつーたら、あなたは腹が立ちますか?

2 comments

  1. シバ says:

    難しい問いだよね、現実的な問題として。
    そして言葉で語るのも。

    give-and-takeと言われると、
    ちょっと違うと感じる自分が居る。

    己の視点にならざるを得ないのは解るが、
    若干、視野狭窄してないか?

    疾病利得と努力についての関連をあまり卑下されると正直困る。
    詰まるところ、生産性の無い人間は・・・となりそうで。

    友人に指しか動かせない人が居る。
    SNSの数千人規模のコミュを私に託した人なんだが。
    正直、親と社会に生かされている。
    その人も苦悩してる。

    物理的なお返しをその人に求めないよね。
    でも、精神的に返してもらえるのが嬉しい。

    なんてね。
    考えてる風のフリをしてみる。

    苦悩の全ては理解どころか把握もできないけど、
    あんま「ふっかける」的なコト言わないでよー

    怒る、ではなく、悲しくなるから。

  2. あさ says:

    >シバ さん

    結局、「ノーマライゼーション」の行き着く先はどこなのか?
    ってな問題にも発展するんでしょうね。

    人間みんな弱点はあるわけで、言ってみれば全員障害者。

    対人関係に問題を多く抱える方も私も含めて多くいるわけで、
    そのフォローはどうすりゃいいの?ってのが大きな問題です。

    視野狭窄については、こういう問題を語るときには仕方がないと思います。
    逆に言うと、一般的な視点が持てないからなんだけれど。
    各個人それぞれ異なる事情によって今があるわけで。

    私の知ってる人の中にも、

    以前お世話になった方の中に、海に飛び込んで遊んでいるときに
    浅瀬に頭から飛び込んで頸椎やっちゃった方がいて、首から下全部麻痺。
    そんな方が今は他の人のカウンセリングなどを先頭に立ってやっている。
    障害を負ったのは自己責任だ・・・って、バッサリ簡単には言えない。
    努力しても体は元には戻らない。

    それでも彼は障害者の旗ふり役としていろいろ活動をしている。

    私は彼からは確かに何かをもらっている。モノではない。
    努力のひとつの形だと思う。

    その一方で、PSWのスクーリングで出会った人の中に、
    「自らのキャリアアップ」のために資格を取るという方がいた。
    微妙な気持ちにさせられた。「give-and-take」のダークサイドかな?

    私はその両方を抱えていた(いる)わけだったのだけど、
    カタカナ言葉での「win-win」より「give-and-take」のほうが
    まっとうなんじゃないかと思ってる。(異論は多そうだけど)

    そー言う事言ってると「ゲーム理論」とかの話に及んで
    わけわかんなくなるのだけれど。

    で、結局、障害者がつつがなく暮らしていけるのは、
    シバさんの言うところの精神的なお返しを含めた「利得」を
    提供できるかっつー所なんだけれど・・・

    ・・・こんな文章書いてるんじゃ利得は与えられんわな。
    損得勘定抜きってのはあり得るのだろうか?ってね。

    「楽しけりゃいーじゃん」って気持ちにはなれないし・・・。
    で、精神病んでる人の中にもいろんな人がいて・・・

    ・・・それこそ「ふっかける」ことになるから貝になります。

    参考文献

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