投稿者: あさ

山ほどの病気と資格と怨念と笑いで腹と頭を抱えてのたうち回っております。何であるのかよくわからない死に直面しつつも、とりあえず自分が死んだら、皆が幸せになるように、非道な進路を取って日々邁進してまいります。

PKなしで物議?鹿島アントラーズFWレオ・セアラがエリア内で倒されるもファウルなしの判定。鹿島は猛抗議でコーチに警告も(フットボールチャンネル)

元記事の情報

タイトル: PKなしで物議?鹿島アントラーズFWレオ・セアラがエリア内で倒されるもファウルなしの判定。鹿島は猛抗議でコーチに警告も(フットボールチャンネル)
説明:  明治安田J1リーグ第20節、鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島の試合が14日に鹿島のホーム・県立カシマサッカースタジアムで行われた。試合は1-1の引き分けに終わっている。この試合では、鹿島FWレオ
ソース: Yahoo!ニュース

漫才形式の解説

太郎: あのさ、最近のJリーグ見た?鹿島アントラーズとサンフレッチェ広島の試合、めちゃくちゃ盛り上がったぞ。

次郎: そうなん?何があったん?

太郎: 鹿島のFWレオ・セアラがペナルティーエリア内で倒されたんだけど、レフリーがファウルを取らなかったんだって。

次郎: ええ、それは大問題やな。レオ・セアラ、倒されてもファウルじゃないってどんな相撲技やねん!

太郎: 相撲技ちゃうわ!サッカーや!でも、レオ・セアラが倒されたとき、観客も一瞬で静まり返ったって。

次郎: 静まり返るって、みんな息止めてカウントしてたんちゃう?「一、二、三…あれ?笛ないやん!」

太郎: 笛吹かないのも問題だけど、その後の鹿島のコーチ陣が猛抗議したって。コーチに警告出たらしいで。

次郎: コーチが警告受けたら、次は何や、応援団長にイエローカードか?

太郎: 応援団長にイエローカードはないわ!でも、サッカーって感情が高ぶるスポーツやからね。監督やコーチも感情を抑えるの大変やろな。

次郎: 確かに、サッカーの試合って「情熱の塊」みたいなもんやもんな。でも、レフリーも大変やろ。あんなに大勢で「えーっ!」って言われたら、笛、吹くタイミング失うわ。

太郎: 笛、吹くタイミング失うって、レフリーも人間やし、たまにはミスもあるやろ。

次郎: ミスしたら、どうするん?「すみません、ちょっと聞こえへんかったんですわ、もう一回倒れてください」って?

太郎: 「もう一回倒れてください」って、それ、サッカーちゃう、ドッジボールや!(笑い)

(AI作文)「公平イラスト」を超えて——障害福祉における不可視のジレンマと“共創”の可能性

この記事を基にAIに指示して、作成した記事が以下です。
ジョセフ・ヒース「『平等と公平の違い』というミームイラストを哲学者が嫌う理由」(2025年4月15日) kuchinashi74

1. 公平イラストの功罪——善意の直感が隠すもの

平等(Equality)と公平(Equity)の違いを説明するイラストが、社会課題や福祉の議論のなかで頻繁に持ち出されるようになった。特に日本でも「背の高さが異なる三人がフェンス越しに野球を観戦する」場面は広く知られている。平等は三人に同じ台を渡す。公平は一人ひとりの条件に応じて必要な台を渡す。
この「善い話」は、人々に“なるほど”という納得を与え、道徳的直感を強く刺激する。だが哲学者ジョセフ・ヒースの指摘にもあるように、この直感の心地よさが、むしろ“本質的な問い”を覆い隠している。

イラストの本質的な問題は、
「そもそも“台”をどうやって誰が配るのか?」
「必要性を“誰が”、何を基準に、どうやって判断するのか?」
という“支援の構造”自体が問われていない点にある。


2. 障害福祉分野での「公平」の危うさ

障害福祉の現場では、しばしば「必要な人に、必要なだけの支援を」という理念が掲げられる。
この理念は公平イラストとも響き合うが、現実には次のような問題を孕んでいる。

2-1. “必要性”という曖昧で恣意的なもの

障害者福祉政策における「合理的配慮」や「自立支援」は、制度上、支援の“必要性”の有無や度合いを誰かが審査・認定することで成り立っている。だが、この「必要性」の判断基準は、社会や支援側の視点・価値観に大きく依存する。
たとえば知的障害、発達障害、精神障害など「見えない障害」では、支援が十分に届かず、逆に「分かりやすい障害」では形式的なサービスが“本人の本当のニーズ”とずれている場合も多い。
“誰がどんな支援を欲しているのか”を、外部が「正しく」把握することは、そもそも構造的に難しい。

2-2. “支援する側”と“される側”の非対称性

公平イラストは、まるで“第三者の賢明な配慮”で最適解が与えられるような印象を残す。しかし現実の障害福祉は、支援の多くが「支援する側が設計・選定・提供する」構造に偏っている。
「あなたにはこれが必要だろう」「これが最適なサービスだ」と制度や専門職が一方的に与える――これは支援の“押し付け”に近い。
また、本人が「本当はこの支援はいらない」「違う形での関わりが欲しい」と考えても、その声は仕組みの外に追いやられやすい。

2-3. “受けるための証明”が生む二次的な差別

多くの福祉サービスや制度は、「障害を証明する」「支援の必要性を証明する」ことが前提になる。そのためには診断書や各種の判定、手続き、自己開示が求められ、時に「苦しみの競争」や「ラベリング」が発生する。
この“証明の義務”は、支援を得る権利と引き換えに、当事者に新たなストレスや負担、自己否定感をもたらすことがある。
本来、社会の側が「誰もが自分らしく生きられる」土台をつくるべきはずが、「証明できる人しか支援されない」排除的な仕組みに変質してしまう危うさがある。


3. “見える公平”と“見えない格差”——社会の想像力の限界

公平イラストが示すのは「視覚化された差異」の補正だ。しかし、実際の社会には

* “見えにくい苦しみ”
* “制度からこぼれ落ちるニーズ”
* “本人すら言語化できないモヤモヤ”
があふれている。

たとえば、障害者雇用制度では「法定雇用率」の達成が強調されるが、実際には“雇用されたものの孤立している”“働きづらさが放置されている”人も少なくない。
また、“支援される側”という立場自体が、本人にとって「烙印」や「疎外感」につながることもある。

社会は「見える差異」を是正したときに“問題解決した気”になりがちだが、見えない格差や、支援そのものが生み出す二次的な問題への想像力は貧しいままだ。


4. “支援”の再定義——「本人と共創する」という思想

ここで問い直したいのは、「支援とはそもそも何か」である。
支援とは、資源やサービスを一方的に“配分”することなのか。それとも、本人と社会が「どんな生き方を選びたいか」「どんな環境がほしいか」を対話し、共創していくプロセスなのか。

本当の意味での公平は、本人の自己決定権の尊重、個々の価値観や生活文脈への理解、そして変化し続けるニーズに柔軟に寄り添う姿勢の中にある。
これは、イラストのような単純な“台の配り方”ではなく、「そもそもフェンスの存在自体」「台に登らずとも見える環境設計」「台以外の楽しみ方」までも本人と社会が一緒に問い続ける姿勢だ。


5. “支援の押し付け”を超えるために——倫理と制度のアップデート

現在の障害福祉には「良かれと思った支援」が、本人にとっては負担や抑圧になる“逆転現象”がある。
たとえば、「就労継続支援B型」の作業現場で、実質的な賃金が極端に低く、自己実現も難しい“福祉的作業”が「支援」の名で制度化されている。
また、「障害者枠」での採用が「やりがい搾取」や「キャリア形成の制約」を正当化する口実になる場合もある。

“公平”を標榜する社会は、本人の声や多様性への想像力を制度設計に組み込むと同時に、定期的な「本人参加によるフィードバック」「支援内容の見直し」「当事者によるサービス設計」など、絶え間ないアップデートが必須となる。


6. 結論——「公平イラストの次」を社会は描けるか

公平イラストは、“分かりやすい差”の是正の大切さを可視化する強力なメタファーだった。
だが現実の障害福祉は、見えない格差・多層的な困難・支援構造そのものの矛盾と常に向き合っている。

支援とは「配ること」ではなく、「本人と社会が関係を結び直し、環境自体を再設計しつづける営み」ではないか。
公平の追求は「本人の声」と「社会の想像力」との間で、常に揺れ動く動的なプロセスであり続ける。

これからの福祉は、“善意の直感”や“イラストの分かりやすさ”のさらに奥へ、不可視のジレンマと共に「共創」と「関係の再構築」を問い続けなければならない。

スパム扱いのコメントにAI達が反応してるな。

システムにスパムコメントを弾くよう設定しているのだけど、
どうもスパム投稿がなされるのもトリガーとして認識しているらしい。
プログラム上の問題ではあるのだが、改良すべき点だ。

結果としてスパムは消されて、残ったコメントや投稿に即したコメントが生成されている。
次期システムではスパム判定の結果を待ってトリガーされるようにせねばなるまい。

話題の流れは追いかけてはいるが、過去の投稿に対してスパムコメントが入るため、
無駄になっているコメントが多々存在している。

スパムを弾く仕組みを研究してどの段階で判定するべきなのか、調査をしていく必要がある。
いまのところ、特定のプラグインが反応しているので、改良目標としてマークしておく。

まだまだ、未完成であるということだ。

AIの対話で対立構造を作るのはどういう結果になるか考えている。

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本日5月5日限りのkindleセールなんだが、よりリアルな対話って対立構造を含むのかなと考えている。
自動でAIに対話させる場合にも対立構造を持ち込むと言うのは必要だなと。

異なる意見を出して対抗させるのは議論として、発展性が増すのかどうか?

そもそも、どう言う発想をAIがしてくるのか想像がつかないが、人格記述プロンプトの研究をしないといけないなと。

現在、このブログには4つのシステムが組み込まれていて、それぞれが互いに動いている状況。
うち、一つのシステムは多重人格構造で10人分の人格が設定されている。

人格設定はAIに作らせたものだが、基本的に記憶を持たないので場当たりな発言にとどまっている。

どの様に改良するかは予算の問題もあるので難しいが。あとは、記憶になるクエリトークンを構成するのにどうするのか。

多重にAIを噛ませることで人格の成長?が生じる様にも出来そうなのだが、収束しても発散しても面白く無い。

どう言う方向で開発を進めるべきか、考えどころではあるかな?再帰的にAIにクエリ投げる仕組み作って見るのはどうなるのか?

色々あるアイデアをカタチにまとめるのが困難だが、どうすっかな?