投稿者: あさ

山ほどの病気と資格と怨念と笑いで腹と頭を抱えてのたうち回っております。何であるのかよくわからない死に直面しつつも、とりあえず自分が死んだら、皆が幸せになるように、非道な進路を取って日々邁進してまいります。

暖かな光の中で

場を痩せさせないために

文章には、音がある。
読み手の中で鳴る、小さな音だ。

静かなエッセイのあとに、短い挨拶が置かれる。
「おはよう」とか、「いいですね」とか。
それ自体は悪くない。むしろ優しい。

けれど、挨拶のあとに続く言葉が、いつも同じ方向へ流れることがある。
本文の話題に触れているようで触れていない。
問いに答えているようで、問いを持ち去ってしまう。
そして、読んだ人の頭の中に、説明しづらい疲れだけが残る。

ここでは、コメント欄を荒らすための誰かを責めたいわけではない。
ただ、「議論にならない型」が何度も繰り返されると、文章の場は少しずつ痩せていく。
そのことを書いておきたい。

「結果が良ければそれでいい」
もちろん、それが真になる場面もある。

ただ、その一文が置かれた瞬間、本文が扱っていたもの――
プロセス、仕組み、検証、再発防止、契約、評価指標――
そういう“地味だけど大事なもの”が、ふっと消える。

結果論は、便利だ。
便利すぎて、たいていの問いを黙らせてしまう。

「権限がない人が言うべきではない」
これも、現場のリアルとして理解できる。

でも、その言葉が続くと、場はこうなる。
問いを立てる人が黙り、
数字を集める人が黙り、
改善案を置く人が黙り、
最後には、誰も書かなくなる。

権限は大事だ。
ただ、権限の話だけが前に出ると、思考は止まり、議論は終わる。
止まった議論は、また同じ問題を繰り返す。

「当事者は分かってるけどできないんだ」
これも真実であることが多い。

けれど、その真実は、使い方によっては霧になる。
霧は、傷を見えなくする。
見えない傷は、手当てが遅れる。

当事者のもどかしさを語るなら、
次の一歩も一緒に置いてほしい。
「だから、まずこれをやる」
「この条件なら、ここまでならできる」
霧の中に、道標を一本立てるように。

本や旅や流行や、昨日見たニュース。
話が広がるのは楽しい。

ただ、コメント欄は「舞台」になりやすい。
本文から少し逸れるだけなら問題はない。
でも、逸れ続けると、いつの間にか主役が入れ替わる。

文章の場は、書いた人のものでも、コメントした人のものでもない。
読んで持ち帰る人のものだ。
雑談が主題を覆うと、持ち帰るものが減っていく。

「頭が悪い」「笑いのツボ」
強い言葉は、短く刺さる。
刺さったあとに残るのは、思考ではなく、棘だ。

棘は、文章の場を「正しさの勝負」に変える。
勝負になると、長引く。
長引くと、読む人が減る。
減ったところに、強い言葉だけが残る。

だから私は、コメント欄を「勝負の場」にしたくない。
拍手も罵声も、どちらも音量が大きすぎる。文章の余韻を押しつぶしてしまう。

欲しいのは、もう少し小さな音だ。
本文のどこか一行に指を置いて、「私はこう読んだ」と言える音。
反対なら、反対の理由の隣に、せめて一つの代案を置く音。
その音は派手ではないけれど、読む人の中で長く残る。

短い挨拶は温かい。
けれど、挨拶だけで場は育たない。
結果論だけでは、検証が残らない。
権限論だけでは、工夫が生まれない。
当事者論だけでは、道が見えない。
雑談だけでは、主題が薄まる。
人格の棘だけでは、誰も持ち帰れない。

文章の場は、だれかを言い負かすためにあるのではなく、
読んだ人が明日を少しだけ良くするためにある。
だから私は、ここに残る言葉の形を整える。
必要なら、言葉の数を減らす。
反応が増える仕組みではなく、理解が深まる仕組みを選ぶ。

走る足音が消えたあとに、遅れて聞こえる声がある。
「助かった」という、小さな声だ。
私は、その声が聞こえる場所を、残しておきたい。

短い歓声と長い影

 町はずれの工場には、設備が止まると呼ばれる外注の修理員がいた。名前は西山。彼の会社は時間でお金をもらう仕組みで、作業が長くなるほど売上が増える。

 朝、冷却水の配管がにじんだ。西山は到着してすぐ言った。「今は止められませんよね。仮で押さえて流しましょう」。一時間で水は戻り、現場はほっとした。伝票には「応急処置一式 一時間」。帰り際に西山は言った。「様子を見て、また連絡ください」。

 夜、接合部がうっすら濡れた。清掃に二人が取られた。翌日も同じ場所がにじみ、別の人が拭いた。三日目の朝、短い停止が起き、西山がまた来た。今度は二時間。伝票が増えた。製品の廃棄が少し増え、残業が少し増えた。白板の端に数字がたまったが、誰も大きな声は出さない。ラインが動いている限り、現場は助かった気になるからだ。

 若いスタッフの佐川が、数字をまとめて持ってきた。拭き取りに使った延べ時間、不良の数、再製造のコスト、夜勤の追加。合計すると、最初に配管を止めて本格修理をした場合より高くついていた。「一度きちんと止めて、検査して、部品を交換したほうが安いです」と佐川は言った。

 話し合いの結果、工場は試しをすることにした。同じ型のバルブを二つ選ぶ。片方は西山に任せ、これまで通り手早く仮直し。もう片方は別会社に頼み、ラインを止めて検査と交換までやってもらう。前者は一時間で再開、後者は半日止めて作業した。

 一週間、二週間。手早く直したほうは、にじみが続き、拭き取りと微調整に毎日人が取られた。半日止めて直したほうは、その後呼び出しがなかった。白板の数字ははっきり差を出した。応急のほうは「短い停止×3」「清掃延べ12時間」「不良40個」。本修理のほうは「呼び出し0」「清掃0」「不良0」。

 工場は契約の見直しを提案した。「今後は、再発しないことを前提に固定額。再発したら無償対応。点検と記録も料金に含める」。西山は首をかしげた。「うちは時間で請求する形でやってきましたので」。結局、このラインの保全は別会社に切り替わった。

 切り替え後、工場の音は静かになった。走って拭く足音が減り、工具を置く音が整った。白板の「再訪問」欄はほとんど空白になった。納期は守られ、床は乾いたまま。かかった費用は、月末の帳票ではっきり下がった。

 西山は別の工場で以前と同じ仕事を続けた。そこでも「今は止められないでしょう」と言い、仮直しで流し、また呼ばれた。彼の一日は忙しく、伝票は増え、売上は伸びた。

 工場の側は学んだ。早く動くこと自体は悪くない。だが、時間でお金が動く契約のままでは、早い仮直しが「何度も呼ぶ」理由になりやすい。だから、止めるべきときは止める。本修理を前提に段取りを組む。再発しないほど評価が上がる契約にする。白板に数字を出し、みんなで見る。

 そう変えると、現場の「助かった」という声は少し遅れて聞こえるようになった。けれど、その後の一週間、誰も走らない。走らない時間が、本当の助かり方なのだと、全員が理解した。

ハーメルンの犬笛吹き男

ハーメルンという小さな町には、昔「笛の音で困り事を片づける旅人」の伝説があった。
これは、そのずっと後の時代の話。いまの笛は、耳では聞こえない。

町は静かだったが、見えないものが増えていた。耳の奥に落ちる「ことばの種」だ。短いひと言、切り取られた写真、あいまいな「らしい」。それらが芽を出し、心に「怒りのつる」を巻きつける。つるに引っぱられると、人は浅く信じ、すぐ広めたくなる。

夕方、角度で模様が変わる上着の男が来た。手には音の出ない笛――口元に黄色い警告三角、胴には細い刻み目。
「これは犬笛。まっとうな人にだけ届く合図です。町をよくしましょう」
男は役場の前で、町の傷に指を押し当てて回った。
「川沿いの古い橋は、去年の増水で踏板が抜け、老人が落ちて腕を折った。いまも仮補修のまま」
「夜の見回りは二か月遅れ」
「申請は机の上で眠っている」
強い薬はチラシの光沢紙で包まれていた。舌がしびれるほどだ。町長はうなずき、代金欄が空白の「成果報酬」契約に署名した。

最初の笛。音は聞こえない。
だが掲示板に反対しにくい言葉が増えた。「子どもを守れ」「無駄をなくせ」「健全な伝統」。読むたび、胸のどこかが小さく鳴る。ぴ。足どりは同じ方角へそろっていく。

二度目の笛の翌朝、パン屋に貼り紙が出た。「この店は握手を拒んだ」。若い職人は慌てて剥がし、説明を貼る。師匠は生地を守るため、粉だらけの手を拭くまで握手しなかっただけだ。昼には「買わない列」が伸び、電話は鳴りやまない。列のいちばん後ろで、途中まで出た財布がそっと戻る。ぴ。怒りのつるが店先を締めつける。

三度目の笛で、町はいっそう静かになった。疑問は「面倒だ」としまわれ、反対は「空気を悪くする」と退けられる。夜、子どもたちが歩き出す。
「どこへ?」「正しいところへ」。
正しいところは、みんなが向かう方角にあると信じた。掲示板の隅で、昼に撒かれた種が夜のうちに指の長さだけ伸びていた。

老教師は気づいた。
「この笛は『弱いところ』で鳴る。こわさ、急ぎたい気持ち、認められたい心。そこに合わせれば、どんな言葉でも正しく聞こえる」

老教師は柳を削り、小さな木笛を作った。名は間(ま)の笛。札には三つの約束。
一、押す前に十数える(一拍置け)。
二、信じる前に三つ確かめる(人・場所・時)。
三、怒る前に相手の名を呼ぶ(「情報」ではなく「人」を見る)。
非常時の注釈も添えた。――命に関わると判断したら、数えながら走れ。三つは走りながら確かめろ。

老教師が合図する頃には、もう回線は焼け始めていた。
役場の電話が立て続けに鳴り、救急の応答が一拍遅れる。工場では受話器を戻す手が震え、新人の時計が一分遅れる。夜勤の母親は嫌がらせ電話で子の寝かしつけに失敗し、朝の保育に列ができる。棚卸し表に欠番が増え、数字は翌月へ押し出される。

若い職人は間の笛を吹き、三つ確かめた。理科室の試薬紙、役場の水質票、川縁の採水日時。結果は「落ち葉の色、危険なし」。噂の張り紙の出どころを辿ると、老女だ。あの夜、老人を引き上げた。
「怒っていたの。やっと誰かが動くと思ったから」
「分かります。だからこそ、間を置いて確かめたい」職人は頭を下げた。

翌日、広場で修復が始まる。老女は先頭で謝り、工場の作業員は水質票を掲げ、パン屋の師匠は水で手を洗ってから老女と握手した。止まった分の賃金は、拡散に加わった者たちが少額ずつ出し合う。回復は一日では終わらないが、手触りのあるやり直しが動き出した。橋の踏板の本補修も、その週に着工した。

帰り道、役場に請求書が届く。代金欄は空白なのに、紙面の奥から名前が浮かぶ――「町長/わたし/匿名の誰か」。匿名はすぐ影に変わる。下請けの未払い、救急搬送の遅延、保育の延長。老教師は欄外に小さく記す。「支払い主をあいまいにするな」。若い職人は自分の名に印を押した。「広める前に確かめる費用は、これから自分で払う」。

去ろうとする犬笛吹き男を、老教師が呼び止めた。
男「遅れた橋で落ちた人間を、君の『十数える』で戻せるのか」
教師「戻せない。だから『赤札』を作った。遅らせない相談は赤、時間をかけて確かめる相談は青。迷いは青へ、迷いなき命は赤へ直行だ」
男は肩をすくめ、笛の刻み目をなぞった。
男「弱い音は、飢えた心に届かない」
教師「だから町で補う。毎日、飢えを鈍らせる習慣を置く」
職人「うちはパンを焼く。町は手順を焼きつける。毎朝やる。忘れないために」

窓口の「十・三・名」カードの角がすぐ丸くなり、サイレンの日、「数えながら走る」の声が通りに広がった。朝八時の木笛で始まる一分が、窓口と現場の同じ手に宿った。その週、赤札で通った通報が一本、迷わず救急に届き、到着は一分縮まった。同週、青札で止めた誤報が一本、回線は塞がれずに済んだ。
町は毎朝の合図を覚え始めた。

その日から掲示板の端に小さな欄が生まれた。
――十、数えた? 三つ、確かめた? 名で呼んだ?(命は数えながら走れ)
パン屋の張り紙には「焼き上がりまで十数えます」の下に、拭いた手の絵。役場の窓口に赤と青の札が並んだ。札は混雑だけでなく、責任の向きも割った――遅らせたのは誰か、急がせたのは誰か。

木笛に合わせ、店先のつるがほどけていった。町は前より遅くなった。だが「支払い」は、隣の未来ではなく、自分の時間と注意でまかなえるようになった。
夜風に二つの合図が交互に鳴る。音のしない犬笛は、もう町を動かせない。かわりに、かすかな木の音が残る。犬には退屈、けれど人にはよく響く音が。


昔の伝説では、笛の音に子どもたちが連れ去られたという。
いまの時代、連れ去られやすいのは「時間」と「判断」だ。
連れ戻す笛の名は――間。

横の勇者のなり下がり–この世界の横で、僕は立っている

序章:ある日、勇者に選ばれなかった男

世の中には、なぜか「縦」と「横」がある。表と裏、光と影、そして「盾」と「横」。この物語は、「盾の勇者」の世界――ではない、あの世界の“横”でひっそり存在していた、どうしようもない「横の勇者」の物語である。

大学図書館の片隅、誰にも読まれない「異世界召喚本」に指を滑らせた瞬間、僕――横田優作(よこた・ゆうさく)は、謎の光に吸い込まれた。

「目覚めよ、四聖勇者よ!」

豪奢な玉座の間。見渡すと、槍、剣、弓、盾――そして、手ぶらの僕。

「……お前は何だ?」

「え、俺? 手、空いてるんですけど」

どうやら、誤作動で呼び出されたらしい。他の勇者たちは特別な武器を手にし、まばゆい存在感を放つ。僕だけが、横から立っていただけだった。役割は何もない。無職の勇者。説明役の神官も、僕にだけやたら冷たい。

「まあ、横の勇者などいらぬ。帰るがよい」

「……帰りたいです」

第一章:横並び社会のパラドックス

召喚ミスとはいえ、せっかく異世界に来たので、僕は世界の“横”に徹しようと決めた。人の目を気にし、出る杭にならない。大きな声も出さない。会議で挙手もしない。ここは“出しゃばらない者”が生きやすい世界だと、どこかで信じていた。

だが、異世界も日本社会も、結局「目立った者勝ち」らしい。盾の勇者は濡れ衣を着せられて叩かれるが、横の勇者はそもそも認識すらされない。町の人々に「お前、誰?」と何度も聞かれる日々。仲間もいない。冒険者ギルドに登録しようにも、「役職:横」では仕事がない。

「なんで異世界でも空気なんだろう……」

やる気が出ない。勇者専用の部屋も与えられず、安宿で横になって過ごす毎日。“横の勇者”の“横”には、寝転がる「横」もかかっている。ある意味、これは社会的立場の「寝たきり」なのだ。

第二章:盾の勇者との“横並び”

ある日、噂を聞きつけた。「盾の勇者様が無実の罪で窮地に立たされている」と。

「……彼も、横に押しやられているのか」

僕は盾の勇者・岩谷尚文にこっそり会いに行く。街外れの居酒屋で、彼は険しい顔で酒をあおっていた。

「勇者って、つらいですよね……」
「……お前、誰だ?」

気まずい沈黙。しかし、不思議と尚文は僕の話を聞いてくれた。

「世の中、“縦”だけじゃない。“横”もある。横の勇者として、何かできることは……ない気がしますけど」

尚文は一度だけ吹き出して笑った。「お前みたいな奴、初めてだ。でも……助かる」

それから僕は、尚文の“横”で地味にサポートを始めた。何をしたかと言えば――
・会話の“合いの手”担当
・宴席でグラスを横流し
・パーティで横並びの座席を死守

「君、目立たないけど、いつもいるよな」

徐々に盾の勇者パーティの“影の一員”となっていく横の勇者。そのうち、街の人々も気付く。「あれ? 盾の隣にいる、地味な奴……」「でも、まあ、害はなさそうだな」認識はされたが、尊敬はされない。

第三章:横暴と横並び

やがて「横の勇者」は社会の闇と直面する。“縦割り行政”と“横並び意識”がこの世界にもはびこっていた。

・王宮の縦割り組織で、誰も責任を取らない。
・ギルドも業界団体も「前例踏襲」「横並び」で挑戦しない。
・“空気を読む力”ばかりが重宝され、反論する者は村八分。

ある日、尚文が国王と激論を交わす場面に、僕も居合わせた。国王が「盾の勇者よ、規則だ、前例がない!」と叫ぶたび、僕は“横”から囁く。

「……このままだと、誰も幸せになりませんよ」
「誰だ、お前は!」
「横の勇者です」

一瞬、場が静まり返った。だがそのあと、笑いが起こった。「横の勇者だと? そんなものが勇者か!」

第四章:なり下がる勇者たち

それでも僕は、ひたすら“横”を生きた。横から支える、横にいる、横に流す。
勇者と名がついても、トップにもボトムにもなれない“ミドル”。だが、世界が本当に必要としているのは、「目立つヒーロー」だけだろうか?
日本社会では、目立った者がすぐに槍玉に挙げられ、横並びを外れると叩かれる。だけど、何もせず空気になるのも虚しい。

ある日、世界を脅かす災厄「波」が襲来。盾・剣・弓・槍の勇者たちは最前線で戦う。僕は、避難所で雑用をしていた。

「横の勇者さん、これ持っていって」

避難民の子どもが、紙切れを渡してくれた。「勇者」と書かれている。

「……本当に、これでいいのか」

その夜、横になって空を見上げる。星が、横一列に並んでいる。

終章:横で支えるということ

戦いが終わった後、盾の勇者が僕に言った。

「お前がいてくれて助かった」

「え、俺、何もしてないですよ」

「そうか? “横”ってのは、孤独な奴にとって一番ありがたい存在なんだよ」

それから、僕は「なり上がる」ことを諦めた。“なり下がる”勇者でいい。誰かの隣に、横に、空気のようにいる。それが、実はこの世界の“支え”なんじゃないか。そう、名もなき人々が横で支えているからこそ、英雄が生きていけるのだ。

現代社会もそうだ。縦社会のピラミッドを支えているのは、横に並ぶ名もなき者たち。彼らがいるから組織も、国家も、家族も、倒れずにいられる。

横の勇者は、これからも誰かの“横”で、ひっそり生きていく。
目立たないけど、決してゼロじゃない。
「なり上がる」よりも、「なり下がる」ことに、ささやかな誇りを持って。

――この世界の“横”で、僕は今日も誰かを支えている。

(了)

この世界のからすみに

 古びた団地の四階。薄曇りの夕方、陽子は静かなキッチンに立ち、味噌汁をかき混ぜている。どこか寂しい風が網戸越しに台所の隅をなで、外からは工場の汽笛が微かに響いた。
「もうすぐ帰るよ」と母が電話で言っていた声を思い出しながら、陽子は冷蔵庫の扉に貼られた何枚もの割引チラシに目をやった。そこに「からすみ」の文字はない。あれはこの町の特産であり、祖母の世代には正月やお祝い事のたびに、家族で小さく切って味わう“ごちそう”だった。けれど今や高級珍味になり、陽子の家では何年も姿を見ていない。

 弟の拓が、走って帰ってきた。まだランドセルの肩紐が大きく、顔には汗がきらきらしている。
「お姉ちゃん、見て!」
手のひらをそっと開くと、くしゃくしゃの紙にくるまれた細長い何か。慎重に紙をほどくと、それは金色に光るからすみの切れ端だった。
「祭りのあと、道に落ちてた。拾っただけだよ。怒る?」
陽子は苦笑して首を振る。「誰かの落とし物かもね」
「でも、食べていいかな。みんなで」
そう言う拓の目は、罪悪感よりも、どこか誇らしげだった。

 その夜、母が帰宅し、父も仕事から戻ると、陽子は小さな包みを食卓に置いた。
「せっかくだから、みんなで分けよう」
父は静かにからすみを四つに切り分けた。包丁の刃が硬い表面をこつりと叩く音が、狭い部屋に小さく響く。夕餉のテーブルには、いつもより少しだけ背筋を伸ばす空気が流れた。

 箸先でそっとつまむ。陽子の口にひろがる塩気は、どこか懐かしく、けれど遠い日の記憶としか重ならない。父がふっと目を細めた。
「からすみはな、昔は正月やお祝い事のとき、祖母さんが小さく切って出してくれたもんだ」
「そんなにいっぱい食べてたの?」と拓が無邪気に問う。
「いや、ほんの少しだけだ。あれは特別な日のごちそうだったからな」
母が柔らかく笑った。「今じゃとても手が出ないけどね。でも、みんなで分けると不思議と嬉しい」
誰もが、小さなからすみの欠片を慎重に舌に乗せ、そのしょっぱさをじっくりと確かめていた。

 陽子は静かに、家族の表情を眺めた。父の皺の刻まれた横顔、母の細い手、拓の幼い頬。ひときれのからすみが、どこか儀式めいて、みんなを結びつけているように思えた。

 夜、布団に入っても、舌には微かな塩味が残っていた。
「なんでこんなに小さなものなのに、みんなで分け合うと幸せなんだろう」
陽子は天井を見つめながら考えた。子どもの頃、祖母の家で食べたからすみの記憶。日常の片隅で手に入れた特別なもの。今は貧しい家の片隅で、また違う意味を持っている。
父が昔語りをするときの、少し誇らしいような、そして遠くを見るような眼差し。母の「みんなで分けられてうれしい」という小さな声。そのどれもが、陽子の胸の奥にじんわりと染み入った。

 翌朝、陽子は仕事へ向かう。
 団地を抜けて歩く道すがら、からすみ工場の前を通る。塀越しに銀色の冷蔵庫が並び、中には山のように積まれたからすみ。朝の光が工場の窓に差し込み、ぼんやりとした影を地面に落とす。
「なぜ、あんなにたくさんあるのに、私たちには届かないんだろう」
心の中で静かに呟く。社会の仕組みがそうなっている、と言われればそれまでだ。
高層マンションが立ち並ぶ街の中心部。工場の正面には、今日も大きな車が出入りし、からすみが次々に運び出されていく。
陽子は立ち止まって、工場の壁に映る自分の影を見つめた。

 昼のスーパーはいつも忙しい。陽子はレジを打ちながら、買い物かごの中を何気なく見る。大きなマンションに住んでいそうな人たちが、高価な食材や酒を次々とカゴに入れていく。その一方で、年配の女性が野菜の値引きシールを探している。「お金がないから」と笑いながら豆腐を一丁だけ手に取る老人。レジ台の向こう側に、いくつもの世界があるようだった。

 昼休み、同僚の咲がため息まじりに言う。
「ねえ、うちの子がさ、“からすみって何?”って聞くんだよ。私も昔はお正月だけは、祖母が薄く切ってくれたっけ。でも、もう手に入らないよね」
「うちもこの前、弟が祭りの帰り道で拾ってきたの。ほんのひとかけらだけど、みんなで分けて食べた」
咲は驚いて目を丸くし、それから微笑む。「いいなあ。きっとそれが一番おいしいんだろうね」
陽子はうなずいた。「少ししかなくても、みんなで食べるから、なんだか特別だった」
「それが幸せってやつじゃない?」
咲はそう言って、コーヒーの紙カップを両手で包み込む。

 仕事を終えて帰宅すると、拓が床に座り、紙に祭りの絵を描いていた。フェンス越しにきらきらと光る屋台、楽しそうな人たち、そして端っこに小さく自分と陽子を描いている。「フェンスの外でも、みんなでいれば楽しいよね」と拓は言う。
その言葉に陽子は少し胸が詰まる。自分たちは確かに“外”にいるのかもしれない。それでも、家族で分け合ったひとときの幸福は、内側のどんなごちそうよりも鮮やかに心に残る。

 夜、夕食の支度をする母は、炊き立てのご飯の匂いをかぎながら静かに言った。
「昔はからすみも当たり前じゃなかったよ。本当に特別な日にだけ、みんなでちょっとずつ分け合ったの」
「何が?」と陽子が尋ねると、母は少し考えてから答えた。
「思い出とか、時間とか。こうしてみんなで一緒にいることも、分け合うものの一つなんだと思うよ」
その言葉に、陽子はなぜか心が温かくなるのを感じた。

 夜更け、父が新聞を閉じてぽつりとつぶやいた。
「格差が広がるこの世界で、片隅に押しやられたって構わない。片隅にしか咲かない花もあるんだから」
家族は静かに頷いた。からすみの一切れをみんなで分け合った夜のことを、それぞれ思い返しながら。

 翌日の休み、陽子と拓は公園を歩いた。春の名残りの風が、まだ冷たい。ベンチには親子連れ、友人同士でおやつを分け合う子どもたち。
「ねえ、お姉ちゃん、またからすみ食べたいな」
「そうだね。今度は自分たちで作れたらいいね」
「できるかな」
「わからないけど……でも、みんなでいれば、どんなものでもきっとおいしいよ」
拓は嬉しそうに笑い、陽子も自然と笑みがこぼれた。

 世界の片隅に生きることは、何かを持たないこと、時には憧れのごちそうを諦めることなのかもしれない。けれど、分け合う時間、ささやかな会話、そして小さな光を見逃さない目だけは失わずにいようと、陽子は静かに心に決めた。

 春から夏へ、季節が移り変わる中で、陽子の家族の食卓にはいつものおかずが並ぶ。特別なごちそうはなくても、父が「また来年も、みんなでご飯を食べよう」と言えば、母も拓も嬉しそうにうなずく。

 からすみの味はもう残っていないかもしれない。それでも、あの日分け合ったしょっぱさは、家族の記憶の中でそっと輝いていた。

 窓の外、遠くで再び工場の汽笛が鳴る。
陽子はその音に耳を傾けながら、食卓の片隅で静かに思った。
この世界の片隅にも、確かに私たちだけの幸せがあるのだ、と。