「障害はこころにはないよ社会にあるんだ」

精神科ユーザー2人と弁護士の書いたすばらしい本でした。

「精神障害者」というくくりが社会の適切な対応を妨げているんだろうか。
とはいえ、他のくくりを持ってきても言葉が変わるだけで差別自体は続くのだろうし。
これだけ根深いと「差別」が人間の遺伝子に組み込まれたものなのではないか?と恐ろしくなります。

差別はされる側にとってはとんでもない苦痛なんだけど、
する側にとっては何で苦痛なのかがわからないんだな。

 
 

しかし、
ここで明らかにしておきたいのは私は差別主義者だということです。
特定の対象をほかのものとはまったく別扱いにしています。

私は世の中の「ネコ」というものに他のものとは一線を引いて激しく差別しています。
見つけ次第捕獲を試み、強制的に拘束したならば、いやがるのを無視してなでくりまわします。
彼らの肖像権を無視して写真を撮影してみたり、彼らの自立を阻害するのを知った上で食物を与えたりします。

さらには行動の自由を制限し、家に閉じ込めたりもします。
首輪をつけて、獣医に強制連行したりもします。
「またたび」という薬物を与えて彼らの理性を失わせ、その様子を見て楽しんだり…。
不適切な薬物投与は精神科医療でも問題になっています。まさに悪。

ああ、なんて非人道的なことを私はしているのでしょうか。

…それなのに、なんでうちのねこはのんびりしあわせそうなんだろう。
ねことひとを一緒にしちゃいかんのだろうけど、問題は予想以上に複雑な気がします。

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