存在とは?消失したバナナをめぐって

バナナダイエット」なる言葉が耳に入ってきました。
世間ではバナナを食べて痩せようとする方がいらっしゃるそうだとか。

統合失調症を発症した頃を思い出して、自分の感覚の確実性について考える。

統合失調症者の私の目の前にバナナがあるとする。

本当にそれはバナナだろうか?証拠はなんだろう?

黄色いからか?…自分が勝手に黄色いと思い込んでるだけではないのか?
細長いからか?…細長いと言うのはどういうことをいうのだ?直感的に細長いと言う感覚は受けるが、それは確実に細長いのか?ただ単に自分が細長いと思い込んでいるだけではないのか?
バナナであると言うのは自分がそう思っているだけなのではないのか?
あるいは、世間がそう思わせるように自分に対して仕向けているのではないのか?
何らかの作為によってそれがバナナに仕立て上げられているのではないのか?

皮をむいてみる。

なぜ皮をむこうという行為を行う事を思いついたのだろう?目の前の物体を前に皮をむかねばならぬ理由はどこにあったのだろう?動機はなんだろう?バナナであるから皮をむくのか?皮をむいて当然なのか?何で当然なのだろう?過去の経験から「バナナは皮をむくものだ」と言うことを学習しているからか?それって確実な知識なのか?自分ひとりの思い込みではないのか?回りのみんなが剥いているから正しいのか?みんなのやる事はいつも正しいのか?それに、みんなのやってることを自分が正しく観察できているかどうか自信を持っていていいのか?勘違いかもしれないぞ。

食べてみる。

本当に食べ物なのか?その証拠は?おいしいに違いないと言う期待は、今までは正しかったかもしれないが、今回も正しいとは限らないぞ。本当は食べ物じゃなくて、回りで見ていた人に取り押さえられて病院に運ばれて胃洗浄受けなくちゃならないかも知れないぞ。

おいしいか?

おいしくても感覚が変容して「ただそう感じているだけ」かもしれないぞ。口の中に入ってるものは自分の意図したものが入っているのか?意識朦朧としてなんかよくわかんないままに口に突っ込んでしまったのかもしれないぞ。

手元には皮が残っている。

これはどうすべきものか?食べてはいけないのはなぜだ?食べなければいけなかったりしないか?捨てるものなのか?自分が必要ないものだと判断したとしても、本当にその判断は正しいのか?正しいって自分が思ってるだけじゃないのか?

…しつこく書いてみたけど、統合失調症の急性期直後にはここまで極端じゃないけど、正しいと正しくない事が、妄想と真実(?)が混沌としてきわめて何を信じればいいのか分からなくなる。正しいと思ってた事が妄想だったというショックを周囲に演繹して恐怖に…いえ、ここまで極端ではないですよ。ないけど…妄想や幻覚と折り合っていくのはこんな感じだったり。あ、あくまでも私の場合について、若干誇張気味ですが。
 
 

「バナナダイエット」が注目を集める中、「バナナ最中」とクロスさせてこんな事思いました。統合失調症が疲れやすいのはこんな様な事をなんとなくこころの隅っこで考えてるからじゃないかなと思います。

いや、バナナが店頭から消えるってホントかな?
短期的ではあるけど「妄想」とからめておきたい気分です。

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