「当事者主権」中西正司・上野千鶴子 を読み終えた。

病院の待ち時間は異様に長いです。
ちびちび読んでいたこの本を読み終えました。

統合失調症者の主権ってどうすれば獲得できるのだろう。
「べてる」の例が出されているけれど、べてるの表に出てこない部分ってやつがあるんじゃあないかって思う今日この頃です。

統合失調症者がみんな「べてる」に適応できるわけではないのだろうし。

「べてる」の方針が「適応できない事を肯定する」みたいな感じだったりするのだろうけれど、それが嫌だって人もいるだろうし、そんな抽象的なものじゃなくて、感覚的に水が合わないって人もいると思う。

べてるについてはこの本ではちょこっとしかでてこないけれど・・・。

精神障害者は主権を持つ事ができるのか?
パターナリズムから脱しようと音頭をとる人は、その行為がまさにパターナリズムではないかという矛盾に悩んだりしないのだろうか?

精神障害者同士がピアの立場でカウンセリングしあったり、ミーティングしたりするのは、独りで考え込んでいるよりはいいのだろうけれども、自らの問題を表出するという行為に障害を持つのが精神障害者であるわけで・・・。最近増えてると言われるうつ病系の一種としてのくくりでまとめられる人たちとかも、表出の仕方にまさに問題を抱えているわけで。それに当事者同士でもパターナリズムはあるだろうし。

他人の事はいいや。

自分の事を考えるに、果たして主権を持つ事ができているだろうか?って考えると、「主権ってなあに?」という問いが出てくるわけで。よく「自分らしく生きる」とか「あたりまえのくらし」とかいわれるけれど、そういうのって健常者でも持ってないものじゃないのかなって思います。

「普通」とか「常識」とか「自立(自律)」とか、「個性」とか、そういうのは、現代の「神」の名前なんじゃないかな?って思ったり。信仰の一種のような気がしてなりません。「神」って言うと特定の何か偶像みたいなものを考える人が多いと思うのだけれど、そういうのじゃなくて、説明不能なものの処理をしてくれるものはみんな「神」なんじゃないかなと思います。言ってみれば「思考のゴミ捨て場」が「神」なのではないかと。

そこから日常に帰ってどううまくやってくかってのがキモなのだろうけれど。

主権を奪うために選挙に出る「神」。
まさに政治の混乱はそのへんに問題があるのだろうな。

結局、この本を読んでも「へー」と思ったり、
「頑張った人たちがいるんだな」とか思ったり。

当事者主権って自分の事を自分で決めるってのを言いたいんだろうけれど、
例えばレストランでメニューを出されてその中から好きなものを選ぶってのは主権を持っていると言えるのだろうか?マークシートのテストで高得点をたたき出すのは自己決定によるものなのだろうか?ってな事を思ってみたり。

はみだすとアウトなものに主権と言われるとなんか微妙な感じがするけれど、そういうのって程度問題でどんな事にも当てはまる事だから・・・。

そこをみんなでうまくやろうってのが「法律」なはずなんだけれど、六法全書を理解しろってのは無理なわけで、さらに理解してると思われる人たちの解釈が割れたりもして・・・。さらには立法府はグダグダだし。成文法がそんなんじゃ、自然法なんてカオスだし。

なんだか釈然としないまま読み終えました。

その釈然としないところに人間の面白いところがあるのだろうけれど、面白いだけじゃ飯は喰えないんだな。これが。

私の課題は自力で飯を食えるようになる事・・・だとすると、結構多くの主権を手放すような気もしたり、それを嫌がるのは甘えにすぎないのだろうし。

考えるだけ無駄かもな。

そんな事を考えつつ窓辺のプリン容器のクローバーたちを眺めるのでした。
雑草って素敵だな。

4 comments

  1. シバ says:

    女神の様な私から見ても、その神様の扱いは酷いでございます。
    神様も「ホント」のこと言われると傷つくわよ〜

    無神論者だけど。

    雑草って無敵ですよね。

  2. あさ says:

    >シバ さん

    ゴミ捨て場は都市鉱山でもありますから。ええもんがはいっとるでしょ。

    雑草がアスファルトの割れ目から芽を出しても何も言われないのに、
    大根とかが同じ事やるとニュースになります。

    先生!不公平だと思います!

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