自発性について

エンパワメントは自ら力を身につけるべきであるかのごとき言説がある。

自発というものはいったいなんだろうか。

本当の自発というものはあるのだろうか?

アカさまを見ていて、様々なものを見聞きしながら影響を受け何事かを始めるところを見るわけであるが、
人間。全くのオリジナルなものなんて作れない。
もしそんなのがあったら他人には理解不能なわけである。

芸術家が理解されないものを作るのもその辺に根っこがあるらしいけれど、
障害者がエンパワメントされるという場合、他人に促されて活動開始するのが真のエンパワメントではない・・・

・・・ということはないと思う。

某所の某記述を見て思った。

健常者だって「自発」っていうのはあるのかどうか疑わしいと。

自らに力を与えると言っても、きっかけが専門職の働きかけであろうが、問題ではないように思うのだが。

当然、強制とは一線ひかねばならないが。

さて、ここに自由というものがなんであるかが問題になるんだろうけれど
全くの自由なんてモノはないわけで、

ああ、エヴァ的厨二思考に陥ることになってしまった。

社会の変革を考えるとき、自由がどーのこーの考えたりするわけであるが
何からの自由であるかをはっきりさせないといけないのだなと思ったり。

 
 
 
なんでこんなこと考えてるかっつーと
借りて来て見た「人生ここにあり」があまり面白くなかったことにあるわけで。
人生流れ流されて行くのが本来なのだろうなと思ったり。

で、自分はどーなのよって感じで、あがきにあがいて結局流されている。

自己実現?

それは狙ってやるもんじゃないと思うんだよなあ。

結果たどり着くものだと思う今日この頃なのでした。

 
 
何書いてんだおれ。

7 comments

  1. 野次馬ちゃん  says:

    むじゅかちいお話でちゅねええ

    レット・イット・ビー
    レット・イット・ビー
    レット・イット・ビー
    レット・イット・ビー
    ウイスパーザなんちゃら~
    レット・イット・ビー

  2. シバ says:

    まぁ世界の歴史から考えるに
    今の日本くらい「自由」を謳歌しちゃって桜花しそうなのも
    そうないのだろうがなぁ

    ここまで信条信仰性癖食性知識などの抑圧対象な欲求に
    自由度を許してるのもそうそうあり得ない。

    エヴァ的には基準点があるから自由なんだろうが、
    その基準点の曖昧さというか包容力の大きさが
    いつか自滅を呼び込みそうで怖いから
    カルトな宗教とか無くならないんだろうけどな。

    翻って自発とはそういう基準に対するアンチテーゼが主だと思うのよ。
    人間は所詮、経験の生き物でしかないから
    完全オリジナルな発想や発明を否定はしないけど
    ここまで高度化されるとホントにオリジナルな自発は
    「発狂」とかのレベルでしか発せられないのでは?

    と、無駄文を熟々と連ねてハヤシ、食べたいな。

  3. あさ says:

    今日はじゃがいもの入ってない甘口カレーが夕飯です。

    ハヤシとの差はどこにあるのか?

    モヤシを入れたらどうなるのか?

    自由なのか発狂なのか?

    発狂は美化してはいかんとは思うわけだが。

  4. まっちゃん says:

    桜花!良いね!!
    人間爆弾!!いいね!!

    笑っているのか?泣いているのか?一見だけでは理解できず

    傍観者としてただ見守る毎日です。

    ってことで光あれって言ったあれが悪かったな!
    ちょっと反省です。

  5. シバ says:

    光あれ?

    ゲーハーの話?

    そりゃあアカンわぁ、みんなデレケートな・・・

    まぴかりさん

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