国民皆障碍者社会

今、勉強してること。

1975年12月9日 第30回国連総会における「障害者の権利宣言」
第一項
「障害者」という言葉は、先天的か否かにかかわらず、身体的又は精神的能力の不全のために、通常の個人又は社会生活に必要なことを確保することが、自分自身では完全に又は部分的にできない人のことを意味する。

これの「障害者」にあてはまるひと手を挙げて!

「通常の」ってのがくせものかな。

これにあてはめると日本人はほとんど全員障害者でしょう?
みんな誰かに頼ってる。誰かの助けで暮らしてる。
食料自給率といい、エネルギー問題といい、経済問題といい、防衛問題といい、環境問題といい、就労問題といい、貧困問題といい・・・。

「通常の個人又は社会生活に必要なことを確保することが、自分自身では完全に又は部分的にできない」でしょ?

トップの政治家ですら親の七光りがないと「社会生活に必要なこと」が確保できない。
「党」を維持するのも自分自身では完全に又は部分的にできない。

程度問題でもあるのでしょうが、なんか考えないと。
何考えればいいのかここまできちゃうとわかんないんですけど。

私こと「あさ」も周囲に依存して生きています。
みなさんのおかげです。
多くの支援者の方々のお力添えでここまでやってまいりました。
ありがとうございます!さらなるご支援をお願いいたします!

・・・というと、常識的なんだけど、何で障碍者はこうも暮らしにくいのか。
(暮らしにくいのは障碍者だけではありませんね。国民みんな障碍者という設定だから訂正します。)
社会をいっぺん作り直す必要があるのかなあ。
でも、どういう社会がいいのかわかんない。

勉強しなくちゃ。・・・っていうと勉強より実践が大事とか言われちゃうのだろうけど。
「全国の障碍者よ立ち上がれ」・・・って国民全員立ち上がったらその先どうすればいいの?

うーん。

なんかいいこと言ってる人いないかなあ?情報お待ちします。

「語りえぬことには沈黙しなければならない」とかは無しでね。


追記 2009/01/27 19:30

ここで取り上げた「障害者の権利宣言」から勉強の内容は「障害者権利条約」に進んできています。いろいろ関連する事項の表現が変わってきてる。世の中ってやっぱり進歩してるんですね。


追記 2009/1/28 1:50

「障害」「障害者」の定義についての話を勉強中。世の中は進歩しているというより混乱しているのかな?

13 comments

  1. nvsnva says:

    国民みんなが障害者というなら、現実に存在し問題にするべきなのは、障害の質と軽重だけということになるのかな。

    いいこと言っているかどうかはわかりませんが、「たすけあい」について思うことがあります。

     AさんとBさんの二人の人がいるときに、あるときにはAさんがBさんを助け、また別の時にはBさんがAさんを助けて、両者ともハッピー。「たすけあい」とは、そんな状況をさしているのでしょうか。でも、より優秀なAさんがBさんを助ける部分が多く、BさんがAさんを助ける部分は少なめ。そんなケースも多いのではないでしょうか。
     直接的にではなく、間接的に助けているケースなどもあると思えば、この社会全体も、きっとそのようにできているのでしょう。
    a) ほとんど誰からも助けてもらわなくてもやっていけるぐらい優れた人が0.1%
    b) a)ほどではないけど、かなり優れた人が6.9%
    c) b)までいかないけど比較的優れた人が24.0%
    d) まあまあ普通の人が一番多くて38.0%
    e) 助けるより助けてもらう部分のほうが少し多い。c)の裏返しのような人が24.0%
    f) b)の裏返しのような人が6.9%
    g) a)の裏返しのような人が0.1%
     数字にはほとんど意味はありません。わたしが適当につけただけです。
     福祉が社会の制度になっている背景には「人は誰でも自分より弱いものを助けるべきだ」と、多くの人が考えていることもあると思います。私は障害者ですから、そのような社会の中でなければ生きていくことができません。でも、こんなことも考えるのですよ。「障害者は健常者よりも弱いから、健常者は障害者を助けるべきだと思う。でも、重い知的障害を持っているわけでもないのに、自分より弱いものがいる可能性すら考えないような障害者まで助けなければならないのか?」

    障害者一般が暮らしにくいかどうかはわかりません。ただ、具体的になにかができるというわけでなくても、自分より弱いものや強いものことまで視野に入れて物をかんがえるのは、頭を鍛えてくれるような気がします。

  2. ベホマズン@ says:

    どうもまたまたベホマズン@です。あささんは深いですね。なぜ障害者は暮らしにくいのかという話でしたが、逆に、社会で暮らしにくい人が障害を持っていることにされてしまうのではないのかなあとふと思いました。自分も精神障害者手帳3級所持者ですが、社会に居場所が無かったとき医療福祉の場に居場所を見出し手帳を交付されました。それで助けられた部分もあります。何を言っていいか分からなくなってきましたが障害者の中でも精神の人は不当な扱いを受けている印象は持ちます。自分の卒論のテーマもそんなテーマでした。地道な啓蒙活動しか無いんじゃないですかね。あささんみたいな人がブログでも講演会でも現状を話せば少しずつステレオタイプが変化すると思います。自分もこれからの人生少しでも精神障害者の偏見を拭いさっていきたいと決意して卒論書きました。あささんもその深い洞察力で今後も障害とは何なのか考察していってください。応援しています。

  3. あさ says:

    >nvsnva さん
    そうですね。「たすけあい」は視点として重要ですよね。でも、「自分は助けられるような障碍者ではない」というプライドのようなものを持ち、年金や手帳を拒否する方もいらっしゃるんですよね。よく例に出るのが「電車でお年寄りに席を譲ろうとしたら、人を年寄り扱いするな、と怒られた」とか。

    数学っぽく正規分布もどきがでてきて思ったんだけど、障碍者ってのは一言でくくるべきものじゃなくて分散分析みたいにクラスターとして考えるべきものなのかもしれませんね。で、できることをやって、できないことを助けてもらうと。

    >「障害者は健常者よりも弱いから、健常者は障害者を助けるべきだと思う。でも、重い知的障害を持っているわけでもないのに、自分より弱いものがいる可能性すら考えないような障害者まで助けなければならないのか?」

    これは重いですね。障碍者への援助は基本的に障碍者のニーズによって発生するわけですが、このニーズをハッキリさせることって結構難しいですね。助けて欲しいというニーズを発している人を助けるという基本が守られると、それにフリーライダーが乗ってくる可能性がある。

    たとえば医師が診察に使える時間は有限で、患者があふれている時。自分の話を聞いてほしいというニーズを持った同じ程度の疾患を持った患者がいたとして、診察してたら話の途中で時間切れ・・・ありがちな話です。そこでもっと自分の話を聞けと医師に迫る(強いニーズ)か、調子の悪いままなのをあきらめて帰るか(弱いニーズ)。自分より弱いもののために引き下がることははたして良いことなのか。ニーズをベースにするとそんなたとえ話ができるような気がします。弱いニーズの持ち主は自分の善意によって病気が悪化するかもしれない・・・。

    よく考えると「強い」「弱い」じゃないんですよね・・・。多変量解析の世界・・・。
    もっと難しい何かがあるような気がするんだけれど、まだまだ私の頭の鍛え方は足りないようです。

    良かれと思って悪事をなすのが世間ですし・・・。社会的ジレンマもある。
    自分でもなにをやることが「よいこと」なのか悩んでいます。

  4. あさ says:

    >ベホマズン@ さん
    最初人を褒めるところから入るあたり、なかなか良い感じですね。

    障碍者の定義に立ち返った考え方ですね。レッテル貼りが障害を生むみたいな。
    精神障碍者が不当な扱いを受けるというのは、正当か不当かの判断に障害当事者の意思や意欲などが反映されることによるのではないのかなと思ったりしました。判断材料が障害されている・・・。単純に言うと「良い人は助ける価値があるが、悪い人は助ける価値が無い。そして良い悪いは本人のこころの持ちようだ。」という考え方があって、で、こころが障害でノーマルから外れるとなった時に不当な扱いとなって返ってくるのだと思いました。本当はもっと単純じゃないんでしょうけどね。「よい」「わるい」は倫理に絡んでくるのですがこれがまた難しい問題が山積みのようで・・・。

    なんだかお書きになった卒論、興味深いですね。
    ネットで公開とかなさらないのですか?読んでみたいような気も・・・。

    私はまだまだ勉強しないと周囲の人を説得するほどの力はありません。
    説得に必要な要素に「エートス」(徳)というものがあるそうで、決定的に私には徳が欠けてます。まだまだ修行です。

    ベホマズン@さんもなにかなさらないんですか?
    常識をわきまえた結構やり手の予感がしますが・・・。

  5. あさ says:

    あ、不評バナーを誰かがクリックしてったみたい。
    切実に障害に苦しんでる人から見たらこの議論は不愉快だろうなと思います。
    でも、いろいろ考えてみたいのでお許しを。

    教科書を読み進めているのですが、障害者権利条約のところまできました。
    障害を機能障害ととらえるのではなく、「機能障害を障害とするのではなく、障害者に対する態度と環境によって引き起こされる社会的相互作用である」と、とらえるようです。

    やっぱりよく考えられていますね。

    それでも、国民みんな障害者だって言えるのかな・・・。

  6. nvsnva says:

    >教科書を読み進めているのですが、障害者権利条約のところまできました。
    >障害を機能障害ととらえるのではなく、「障害者に対する態度と環境によって引き起こされる社会的相互作用」と、とらえるようです。

    この場合、「障害」を定義するより先に「障害者」を定義しなければならないと思いますが、その順序になっているのですか?

  7. あさ says:

    >nvsnva さん
    よく読んだら一部が逆でした。訂正します。ありがとうございました。
    「機能障害を障害とするのではなく、障害者に対する態度と環境によって引き起こされる社会的相互作用である」でした。逆ってわけでもないか?

    ・・・で、それでも疑問は残りますか?教科書では簡単に流されてるところです。
    「障害者」を「ある主体」(仮に主語とするという感じ)として考える・・・くらいの理解を私はしています。

    どうでしょう?意味的に通ってますでしょうか?

    いまICFについて読んでます。翻訳によってややこしいことが起こっていて理解しづらいところです。後ろの方をチラッと見たらもっとややこしそうです。全部読むまであまりここに書かないほうがいいかな・・・?歴史的変遷と現在の言葉の用法が難しいです。

  8. nvsnva says:

    疑問は残ります。繰り返しになるかもしれませんか「障害」の定義は何ですか?「障害者」の定義は何でしょうか?あささんがとりあげた「障害者の権利宣言」での「障害者」の意味づけがそのまま続いているのかな。

    ちょっと条約の仮訳文を読んでみました。

    http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/shomei_32b.html

    疑問は残りました。原文ではどうなっているのか知りません。

  9. あさ says:

    >nvsnva さん

    >「障害」の定義
    やっぱそこは大事なところらしいですよ。
    今使ってる教科書が11講で障害者権利条約を扱ってたんですが、
    14講で「障害の定義と医学モデル」と題して障害の定義を問題に取り上げています。
    今、読み終えたところです。一応、読み終えたんですが・・・

    日本においても世界においても定義がまだ固まってない模様です。
    医学モデルと社会モデルのせめぎあいがあってはっきりと定義されていないとのこと。

    で、教科書では、障害者権利条約の基礎になった「バンコク草案」というもので障害の定義が3種類出されていると説明されています。
    http://www.jfd.or.jp/int/unconv/escap-conv2003a-bkconvdraft-j.html

    抜粋します
    ————————————————————————————

    障害 (Disability)

     提案A

    「障害」とは人の医学的状態もしくは健康状態と、その人を取り巻く社会的、経済的、物理的環境とのダイナミックな相互作用である。その人を取り巻く環境と、その人の身体的、感覚的、精神的、発達、学習、神経、その他の機能障害(impairment)(体内に機能不全もしくは疾患の原因となる生物もしくは媒介物が存在する場合も含む)との相互作用の結果一つもしくはそれ以上の日常生活活動への参加機会が制限される状態を言う。

     提案B

    「障害」とは、人の身体的、感覚的、精神的、発達、学習、神経、その他の機能障害(impairment)(体内に機能不全もしくは疾患の原因となる生物もしくは媒介物が存在する場合も含む)とその人を取り巻く社会的、経済的、物理的環境とのダイナミックな相互作用であり、その結果その人が一つもしくはそれ以上の日常生活活動に参加する機会が制限されることを言う。

     提案C

    「障害」とは、身体的、感覚的、精神的、発達、学習、神経、その他の機能障害(impairment)を有する人(体内に機能不全もしくは疾患の原因となる生物もしくは媒介物が存在する人も含む)が直面する身体的、社会的、意識的、文化的バリアが原因で、他の者と平等な条件で地域社会に参加する機会が奪われ、もしくは制限されることを言う。

    ————————————————————————————–
    impairmentを機能障害と訳すのは不適切だと断り書きがついてました。

    というA,B,Cがあって、A、Bは「人の機能障害」と環境の相互作用で、
    Cは「機能障害を持つ人」と環境の相互作用だと教科書では説明してるんですが・・・。

    正直なところ私の能力ではこの3つの定義の違いが理解しきれません。
    参考までに引用しましたが、説明できず申し訳ない。
    定義になってるのかな?という感触です。

    これ読んで分かりますか?

  10. nvsnva says:

    はあ、なるほど。

    川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)

    によれば、

    (e) 障害〔ディスアビリティ〕が形成途上にある〔徐々に発展している〕概念であること、また、障害が機能障害〔インペアメント〕のある人と態度及び環境に関する障壁との相互作用であって、機能障害のある人が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生ずることを認め、

    となっていますね。ようやく進歩が見えてきましたが・・・

    原文を読んでみますかね。

  11. あさ says:

    結局、社会参加が妨げられていることが
    「障害」であることは共通しているような気がしてきました。
    何が原因かはあまり問われないような気もします・・・

    と、なると、障害の範囲って結構広大で、
    国民皆障碍者社会ってのも個人の社会参加は際限なくできるわけじゃないから、
    部分的には冗談じゃなくなるのかも。

    社会参加に制限があるのが障害ならば・・・なんか違和感がありますが。
    会社が忙しくて町内会に顔を出せないとか
    ドブさらいに参加できないってのも障害なのだろうか・・・?

    いや、精神障害の場合こういったことができないことこそが障害ですから、
    会社人間も障害者なのか・・・?

    会社という社会に参加してるならいいのかな・・・?

    それともそんな状況でも「健康」(impairmentがない)ならば障害ではないのかな?
    なんかそれもおかしな話かな。

  12. nvsnva says:

    ちょっと読んで考えてみました。

    確かに混乱しているように思います。私もよくわかりません。

    たとえば、提案Aの定義では障害になり、提案Bの定義では障害にならないケースとか、その逆のケースの例なども知りたいし、それぞれの定義を利用することで、その結果として批准した国の政策にどのように違いが生じてくるかといった例なども知りたいです。

    基本的な障害という概念でさえ「形成途上にある」と言われても困ります。「現在では形成途上にあるが、現段階での定義はこのようにする」ぐらいはできないのかな。それともこのあたりは各国で好きに決めていいのかしら。そのあたりまで検討しないと、安易に国が批准するわけにもいかないような気がします。

    ただ、民間の企業などが、障害者に配慮したサービスや経営をを検討するときなどは、この条約の精神には触れてみて欲しいです。その精神にどのような態度をとるかはともかく。

  13. あさ says:

    >nvsnva さん

    「制度」とか「法」の限界かもしれませんね。
    物事全てが文章で記述できるわけではないし。

    記述できても数学で言う「選択公理系」の世界にいきなり放り込まれるのかな?

    でも、考えるのは大事かも。答えが出るかは別として。
    意識上に問題があることがのぼってくるだけでもその後の行動は変わりますし・・・。

    でも、考えるべきことが多すぎてギブアップ寸前。
    教科書をあと40ページ読まないと・・・。
    普段意識してないことを一気に頭の中に拡げるんでわけわかめ。

    でも、やらなくちゃ。
    誰かと話したら、「通じない」ってことになるのが恐い。
    無知を恐れだすときりがないんだけど・・・。

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