カテゴリー:

予想以上にタイトなスケジュールに・・・。

やばい。
子供の行事やらがん患者の集まりやら診察やらで
新しく入れた仕事で拘束もかかって、
ギッチギチのキッチキチー。

28日29日にはトンキンに出かけるぞ。
それもスケジュールギッチギチ。
たまらんわー。

体力がもつか?

またもつの話なのか?

さてさてどうなりますことやら。

しごと

私事ですが、死事に近い仕事に突入の予定。

がんの患者の集まりで遠方に土日に泊りがけで出かける予定もある。
今週じゃないけれど。

その他雑事で昨日も忙しかった。
新しい銀行口座作ったり。
キャッシュカードにいらない機能つけるなよ・・・もう。
説明聞かされて時間食って・・・約款も面倒だし。

これから土曜日も塞がることが多くなる予定に。
まあ、仕方がない。

せいぜい稼ぐとす・・・稼げるのか?
ブラックな予感もしつつ。

通院日。

Uro科
血液検査と尿検査。
で、診察。

待ち時間でほぼ1日潰れる。

寒いと辛いが。

その途中に、もう一度データのプリントに挑戦。
色補正、サイズ補正をかましたので、
少しはマシに・・・なったかな?

これでダメならしょうがねえ。諦めよう。

さて、朝飯食べてお洗濯。

泣いている…。

子供が気に入らないことがあるとすぐ泣く。
で、ちょっとするとケロッとしている。

実に功利的振る舞いをするので、人間の本質を見る思い。

さて、支払いの滞っている蔵への請求書に何か付けないといけないな。
鯖代立て替えてるし。

どーしてやるかな。
解析かけて結果をつけて効果の程を…。
どう説明するか、コンピュータ苦手だと公言するからなあ。
平たく書くのにホネが折れそう。

別の蔵は切る方向で。
泣ける・・・。

さて、お昼からお出かけ。
こないだの入院の共済向けの診断書提出。
それと画像のプリントアウト。

診断書もプリントアウトも泣けるほど高いぞ。

がんばろ・・・。

自分に生きる価値がないと思ったら死ぬべきか。

考えても仕方ない、詮無いことを考えるぞ。

生きる価値がないかあるか。
本人の望まぬ延命は是か非か。

価値ってなんなんだ?

>延命治療拒否で、説得してとお医者さんからヘルプです。
>父と定年後の保健制度のあり方を話す
>死を覚悟した人としては、仕事をリタイアした人に延命治療はあり得ないって感じらしい、
>反面 貧乏人は死んでもしょんないって事を言ってるけどね🎵
>まあ、戦争を知っている人からすれば、甘々なんだろうか?

まずここで、死とは何かを理解しているか?というのが一点。
死とは何か、他人の死を見てきたものは想像はできるが、
他者の死と自分の死は決定的に違う。
死を覚悟するということはどういうことなのか?

仕事をリタイアした人は死ぬべきか?
仕事だけが人生なのだろうか?
生産至上主義に陥ってはいまいか。
働かざるもの食うべからず・・・?
なんで?

定年後の保健制度・・・お役人は机の上でモノを考えている。
一方、現場は矛盾と波乱に満ちている。制度なんかで収まるものではない。
落とし所を探るのはできても、最適解などはないのが真実だろう。
貧乏人は死んでもしょんない→カネは尺度の一つでしかない。
生きることができるなら生きる。死ぬときは死ぬのではあるが・・・。

この世界で、
自分には生きる価値があると思っている人間は傲慢だと思う。
生きる価値というものが何なのか、自分に都合よく決めているのであろう。
逆も然りで自分に生きる価値がないと思うのも傲慢だ。
死を辞さないのは「他人のため」という欺瞞的な思考がなくはないか?

生きる気がなくても生きている人間は大勢いる。
普段は生死なんて考えないのが普通なのだが、
意識にのぼらずとも生きようとするのが生物なのではないかと思う。
それで苦しむわけで、

人間、自分が希望して生きているわけではない。
生きているから生きている。
トートロジーみたいだが、生死は自分の自由になるものではないのだ。

俺は統合失調症の経験から、
この世界は一切信用ならないもので構成されているという認識を持ち、
それでも、自分の「存在」のみは確実なものだということを知り、
流れに抗ったり、流されたり、いろいろ一貫性なく生きている。

矛盾に満ちた人生であり、俺の人格は矛盾に満ち、都合よくその場しのぎで生きている。

でも、思うに任せられない状態で生きているのが人間であると思う。

自己決定とか、当事者の意思を尊重して・・・などというが、
自己とはなんだ?
意思ってなんだ?

結局はその場しのぎにうつろいゆく、不確かなものに過ぎない。

統合失調症に加えて、俺は脳をいじられている。
死を覚悟して脳みそをほじくり返され、
流されるまま、自己の意思の確実性に疑いを持って生きている。

自分の価値を自分で判断できるものなのか?
また、周りの意見で判断するものでもない。

なるようにしかならない。

ならば、あえて生きるのを放棄するのも、生きるのに固執するのもアリだろう。

そこまで行って
「死ぬる時節には死ぬがよく候」
が出てくるのか。

しかしこれは自分で自分の死に対して言う言葉ではない。
他人にかける言葉でしかない。

自分で自分の死期は決められないのだ。当然。

自死を選ぶ人間の気持ちもわかるのではある。
しかし、考えれば考えるほど苦し紛れの方策に思える。
舵を切る方向が分からないはずなのに舵を切っていると感じるからだ。
生き続ける方向に舵を切るのも、わからないまま舵を切ってはいるのではあるが・・・。
死ぬのも生きるのもチキンなのである。

というわけで、今年は酉年です。
フライドチキンなどにされるためや鳥インフルで何十万羽単位で処分される鳥に思いを馳せ、

醜態を晒しつつ、生きていく所存なのだが、

他人については、勝手にしやがれである。
今まで散々生きてきといて、「潔く死ぬ」なんて言えないのである。
厳しいけれど、俺は統合失調症持ちのステージ4のがん患者として往生際など考えている余裕はない。

生きているから生きている。・・・らしい・・・。としか言えん。
不可観測、不可制御。
どうしようもないことを問われても、どうしようもないねえと応えるしかないのだ。

当然、これだけ書いたこの文章、価値などあるかないか知ったこっちゃない。

あー、長い。うざい。

・・・つーことでまっちゃんは事態をよく観測して所見をこっそり教えるように。
私信でした。
うっかり読んでしまった赤の他人は残念でした。
脳みそかき回された気分をお楽しみいただければ幸いdeath。