「精神保健福祉士の私」か「精神障碍者の私」か

まだ試験に合格していないからあまり考えてもしょうがないのだけれど・・・。

病院に出かけて精神保健福祉士の実習を受けたわけですが、

もし、私が精神保健福祉士(PSW)になったなら、クライアントに対しては「私」はあくまでも「PSW」であって専門職としての仕事をしなければならない。自らの障碍はたまたま私がそうなのであってクライアントの利益のためには関係ない。そこで自己開示をして障碍者であることを示すのはクライアントにはあまり利益にならない。また、専門職としての力量は障碍のあるなしとは関係ない。よって「PSWのあさ」であることを第一にすべきだ・・・。

という考え方があり、抵抗が出来ない。

「仕事」として活動する時、クライアントを中心に考えて、あくまでも自分の事情は引っ込める。クライアントの利益が最優先。当然ではあります。

が、それでいいのか?とも考えます。

クライアントに最大の利益をもたらすために「障碍者の私」が必要なのではないかと思ったりもします。しかし、「当事者」であることが大事なのならばPSWの資格なんていらないのでは?資格を取ったところで一人前のPSWの仕事もできないくせに「障碍者」であることを盾に逃げている・・・ということになってしまうのかも?

逆に「健常者」が共感を持ってクライアントに接する・・・。みたいな教科書的な状況ってありえるのか?と思ったりもしますが。

やはり「障碍当事者のPSW」は信頼できないものなのか?当事者かどうかは関係ないのか?

私が自意識過剰になっているだけなのか?

私は能力不足を他の問題にすりかえようとしているのか。
「障碍当事者」だから他人の痛みがよくわかる・・・なんてのは間違いなのですが、「健常者」が自覚なしに他人を踏みにじるのも事実。(某氏の指摘によると、障碍者だって他人を踏みにじるじゃないかとのこと。ごもっともです・・・。)人生においてひとはみな何らかのハンデを持ち悩んでいるのは承知だけど、それにどう対処しているかはひとによって大きく違う。当事者同士でも困難の質は違う。私が当事者であろうがなかろうが援助に当たっては関係ない。

でも、当事者が援助者になるというのはおかしなことではない。・・・はず。
それはセルフヘルプとも少し違っている気もしてはいる。

話が抽象的すぎるからおかしくなるのかもしれない。
いや、私の思考が半ば病的領域に近づいてるせいだろうか。

具体的に何をなしたかが問題になるのか?机上でなに考えてもしょうがない。

でも、「やったもん勝ち」というのは好きではない。

一度、原点に戻る必要があるのか?

押し黙った多くの人に裁かれている感覚がある。
社会から排除されてると実感もしている。
それは妄想気分だと切って捨てられる恐怖もある。

国家試験に集中すべきだが、試験以外に大きな山がある。
そこに気づいているのが「障碍当事者の私」なのだけど、社会的にはあまり重要視されない。

なにかを見つけなければならない。なにかを。自明なはずなのだけど。

スクーリングで完全に調子が狂わされました。
何かが違う。何かが・・・。

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