カテゴリー: 統合失調症

葬儀から逃げ帰る

おじさんの葬儀が終わりました。

・・・といってもまだ親父たちは会食中。
さすがにそこに残ったら聞かれたくないことを
えぐるように聞かれるのはわかっているので逃げ帰ってきました。

火葬中の雑談も苦しかった。

そのあと、長い待ち時間の後、葬儀。
うちのオヤジ、おじさんの孫の弔辞聞いて、鼻水たらして涙してた。
似合わないよ・・・。意外だった。

今日はメイラックスを普段の倍量、デパス併用で
安定性第一で重武装して行ったけど、
終わって帰ってみればもう疲れてフラフラ。
メイラックスの効果持続時間計算に入れて前日から
準備してたんだけど、あまり効き目なし。

さらに妹が子供連れてきてるので、
子供(5歳)に振り回されて死線をさまよっています。

やっと自室に避難して閉じこもることに成功。

葬式で倒れなくてよかった・・・。
デパスさらに追加して寝ます。

もう自分の周りで死者が出てほしくない。
葬式は嫌だ。
誰か早く不老不死の薬を開発してくれ。
さもなきゃ俺が死んでしまう。
葬式でエネルギー使い果たして・・・。

世代が変わっていく。自分は変われるのか?

おじさんの通夜は明日、葬儀は明後日。

いとこの親たちがひとりひとり亡くなってゆく。
世帯主が変わっていく。
家のつきあいが自分の代の人たちに代わっていく。

私自身が喪主になる日も来るだろう。

少しずつ変わっていく。
激動の世の中で、少しずつ。
矛盾するけれど、人間の歩む時間はいろんな方向から見ることができる。

こころづもりをしている暇があるのかないのか・・・。
時間は流れてゆく。

あわてないように。
急ぎ過ぎないように。
でも、間に合うように。

覚悟を決めなくては。

現実は簡単ではないけれど。
足元を固めることからはじめないとならない自分。
これから厳しいことが待っている。
耐えられるのかな?

考えてどうこうなるものではないのかもしれないけれど。


それから考える。
精神科病棟に長期入院している方々。
彼らはそんな世間からも隔絶されていることがある。

私は悩めるだけ幸せなのか?
「あたりまえの苦労」のある断面を今見ているのか?

私は病気でずいぶんいろんなものを失ったと思っている。
でも、私よりはるかに多くのものを失っている人々が居る。

定額給付金?

世の中を見る角度が我々とは違うのだ。

「“病院の実力”公開の波紋」

今日もTVっ子。
こんど引っ越すにあたって、病院を変わる可能性があるのでよく見とかないと。
どうせならいい病院にかかりたい。


クローズアップ現代
「“病院の実力”公開の波紋」
2009/03/02 19:30 ~ 2009/03/02 19:56 (NHK総合)

内容:
全国1400の病院について厚生労働省が診療データを集めて評価を公開しています。

例として挙げられたのは、胆のう炎について二つの病院の比較。
ある二つの病院について入院期間について大きな差が見つかりました。
同じ病気なのに治療機関に大きな差があるのはなぜかを調べます。

ひとつの病院内でも薬物の使用法が医師によってばらつきがあると指摘。標準的な方法を確立する必要があることが分かりました。
病院によっての違いは、内科的治療から腹腔鏡を使った外科的治療への切り替えが進んでいるのが原因だと分かりました。

他の病院との比較を行う客観的データ(DPCデータ)が得られることで、最適な治療を行うことができるようになりつつあります。患者の重症度などを反映させたデータにできるようさらに改良を加えていくようです。

イギリスではネットで詳細な病院評価を見ることができ、患者が病院を選択するのに役立てています。年間7000万件の医療データを国が解析しています。そして医療の質によって医師の給与にも反映させられています。適切な医療が行われ、患者の利益に貢献しています。

日本ではまだ、しっかりしたデータを集めることに問題があります。病院の負担を減らすため調査の必須項目を減らすなど、評価の質が後退している面があります。国や中立機関がもっと詳細で正確なデータの収集、提供を行っていく必要があります。


という内容でした。
で、実際にネットで調べようと思ったのですが・・・。
どこで調べられるんだろう?久々にネットで迷子になりました。

とりあえず 診断群分類包括評価-wikipedia

もう少し探してみます。・・・が、転居して大きな病院にかかるのかは分からない。小さなクリニックの情報は現地の保健所で聞くのが確かなのでしょうか?

あと、考えてみるに、精神科の場合、医師との相性といった面も考えなければなりませんので、単純にネットで調べて分かるというものでもないかも。最低ラインをクリアしているかどうかの判別には使えるのかな?どうなんだろう。それともこの評価は入院とかまでいかないと関係ないのかな?薬の使い方の違いとかが分かるといいのだけれども。

これとはどう違うんだろう?
病院機能評価結果
病院の評価のレポートが読めますが・・・。DPCデータとはまた違う角度なのかな?

自分には価値は無い

ただメシ食って、生きてるだけ。
何の役にも立たない。
生きていることに価値がある。
ただそれだけ。
だから生きてる。
そんな気分の今。
気力が尽きた。
今までもなんども気力が尽きてきた。
また尽きた。
これからも尽きるだろう。
寝るわ。
メイラックス追加して投下。
デパスも投下。

自信の振れはば

自分語りが鬱陶しいのは分かるけど・・・。
自分の自信について、考えることがあります。

病気のせいと言うよりもともとの性格にかかわることだと思うのですが、自信が過剰な状態と過小な状態でかなり振れはばがあります。等身大の自分の像が獲得できていない。

ちょっと背伸びして難しめの本を読んだりすると、自分もそれに合わせて大きくなる。その道の専門家の意見を、批判してみたり、解釈してみたり。自分の器を考えると、とても言えたようなことじゃなくても、なんか自分の基盤から遊離したことを書きたくなったりします。

実力的に相手にならないのにね。

書いた後で、後悔したりもするのですが、その時の自分の精一杯を後から振り返るとそれはそれで、自分を形作るものを垣間見たりして、冷や汗をかきつつ、面白い。いや、面白がるより反省しなくちゃいけないのだけれど。

blogはもう半ば強迫的に書かなければ安心できないようなところがあり、無理やり文章をひねり出すことも多々あるのだけれど、ひねりだすためにものを考える時の自分のクセが少しずつ見えてきています。そのクセも体調に大きく左右されることが分かりつつあったり。

たぶん起源は小学生のころ、担任の先生に授業中「他の意見はありませんか」と言う形で、自分では考えつくしたと思ったところから、さらに何かを言わなければならない状況に追い込まれたりしたことかと。当時、学級委員だった私はクラスで何か問題が起こるたびに「改善案」をクラス全体で話し合ってとりまとめるように言いつけられることが多々ありました。先生は発生した問題についてみんなをどなりつけて、「どうすればいいか分かるまで授業はやらない。」と宣言して職員室に帰ってしまう。

ほったらかすとさらに怒るので、意見を無理矢理ひねり出す。それを解決案として持っていくとダメ出しを食らう。・・・もう、何もかも出尽くしたという状況から苦し紛れで意見をまとめていく。もうまとめるというより、逃げ道を探すという感じ。

そんなことが日常的にあって神経を病んで、小学生にして神経科にお世話になったのでした。いまだに思い出すと胃がキリキリしてきます。

工場で働く方は「カイゼン」とかで無茶を考えた経験はないでしょうか?
ムリ、ムダ、ムラを無くすために無茶を考える・・・。
現場は自分の首を絞めて苦しんだり。
そのうえそれは現場が楽になるためだと言われて見たり・・・。
私の勤めてた会社がおかしかっただけなのかな?

で、自信に話を戻すと、自信がなくても自信を持ったように振舞うということが要求されたことで、自分が今、本当に自信があるのかどうか分からなくなってます。今も自分が何書いてるのか自信が無いわけですが、私の自我のおかしなところはそのあたりが起源になっている部分が大きいのかなと思ったりします。もういい大人なんだから克服できていてもいいのに・・・。

自分を大きく見積もったり小さく見積もったり。
物差しで計れるわけじゃない、測定できるものではないのだけれど。

正直で素直になる・・・。なかなか難しいことです。

本気で正直なところを言うと、世界の全てが信じられない。
妄想と現実の境界が分からない。

虚勢を張ってなんかを正しいと信じたふりをすればボロが出る。

狂気と正気の狭間でとりあえず生きてはいるけれど。
好い加減がつかめない。妥協が下手なのでしょうか。
何かにとりつかれているのだろうか。

上の方で何かが分かりつつあると書いたばかりなのにもうなにがなんだか分からなくなっている。果たして何が分かって何が分かっていないのか。ただ言葉で遊んでいるだけなのか。思考が弛緩しています。

いや、私はただの馬鹿なのだ。

そのへんで自信が大きく振れています。

生活するために必要ないところに引っかかって、必要なところは手から滑り落ちる。
病気だけど、病気に逃げてはいけない。

絡んだものがほどけない。
せめて書き残すことでなにか見えないかなと思います。

たぶん3日もすればこれを書いた内容を忘れてまた滅茶苦茶になります。
国民皆障害者というところから自分だけ特別だというところまで。
ほんとうに私はでたらめです。