悪コンディションでも高パフォーマンスを…。

肺が痛い。眠い。腹下り気味。
風邪っぽい。

アカさまおむつかぶれで大泣き。

睡眠不足。

それでも書類群3セットの内2セット準備した。

あとは難物が1セット残っている。
少しずつワープロに向かって処理中。

何回か突っ返されるのを覚悟の上で・・・。

明日は打ち合わせなど3つ用事が重なっている。
甘えてはいられない。

それでももういくつか仕事が残っている。
非情にも直したばかりのWebに変更指示が。
手際良くやらないと・・・。

学びつつ挑戦の日々です。

認知の歪みに対しての対応とノーマライゼーション

今日は書類3セット揃える作業で忙殺されそうです。

で、関係ないのですが、どう考えても自分の認識と異なった見方で
世界を捉えている人への対処について。

認識が異なるというのは認知の歪みも含めて
最近の政策論議なんか見てても思うのだけれども、
同じ物が提示されているにもかかわらず
異なった見方で、あるいは考え方で物事を捉えてしまう現象が、
大変問題を引き起こしております。

一般的な認識っていうものがあるとするならば、
それから外れれば「狂い」とされるわけだけれど、
障害による妄想などを抱えていても社会生活ができるようになるためには
認知の歪んだ状態でも生活できなければなりません。

それがノーマライゼーションと結びつくのであれば、
かなりおかしなことを言っていても社会の側でそれを吸収、
あるいは緩衝せねばならないのかと思われます。

障碍は社会の側にあるとするならば、
おかしなのは社会の側?

さてさて、この言説。
どこまで拡大解釈ができるものなのか?
社会を作るのは各個人間の議論等による合意によるわけですが、
頓珍漢な認識というものもあるわけで、
そこは疾病といってしまうしか無い。

疾病は医療の対象となるわけだけれども、
果たして、個人の思想や感情を医療の対象にするのはどんなものか。

現在進行形で私の周りで起きている
「一方的な思い込み」と「政治的信念のぶつかり合い」
この両者の決定的に分けるものはなんなのか?

ノーマライゼーションのためには同等に議論の俎上に乗せるべきなのか?

全く頭の痛い問題なのですが、
このへんの議論について深く考察されたものって
なんかあるんでしょうかねえ?

あったら知りたいのでご一報を。

学問のすすめ

kindleで最初に読んだのがコレ。

昔も今もなーんも変わっていないんだな。
言ってみれば焼き直しがそこら中にあふれているのが古典のすごいところ。

いちまんえんさつのひとにあやかろうってわけじゃないけれど。

政局混乱の時期にコレ読んで、なるほどねえって感じです。

青空文庫で¥0でした。

文体は昔のものだけど、現代そのまんまの状況。
人間はあんまり進歩しない。

のか、

古典は古びないのか。

どっちだろう?

◯ヴァQ?もう記憶の彼方だな…。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%90%E3%82%B1%E3%81%AEQ%E5%A4%AA%E9%83%8E

なんかここ数日「Q」とかいうのが巷を騒がせていたようだが・・・。

懐かしい。というか、ファミコンのワンワンパニックは恐怖のクソゲーだぜ。

それとも「ウルトラQ」を遂に庵野氏が作品化したのか?
「帰ってきたウルトラマン」をやったくらいだからなるほどな。

Oちゃんが大活躍するところを見たいなあ。
あらゆる敵を一喝のもとに木っ端微塵に。

ところで、実写版では高橋尚◯が主人公なんだろうか。
素顔&ジャージで街の中で大暴れ!庵野トクサツの真骨頂!!
 
 
 
・・・という話題で盛り上がるしか無い。・・・のか?