精神障害の「価値」について考え始めたのだけど

精神障害者の「価値」について考えている。
社会に貢献するとかいう系統の方向ではなくて…。
存在そのものに価値があるとかいうのでもなくて。

精神保健福祉士が自らの価値を問うように。

精神障害者が社会に位置を占めるための。
ガラクタを集めるのが好きな人にとってのガラクタの位置ってのもなんかなあ。
負のものを正にひっくり返すとか言うんではなくて、もっとなんというか…。

 
 
人間全員が障害を抱えているという切り口で見つけられると考えているのだけれど、社会の他人にストンと落ちていくものを見つけるのは難しい。

 
障害をマーケティングの視点から考える。
でないと、そのうちこの社会から…。
闘争で奪い取るって考え方からの脱却の意味もある。
「人権」ってのだけじゃ弱いと思うから。

 
一歩抜け出るために、必要なことだと思っている。
 
 

読みかけのコトラー

コトラーのマーケティングについての本を読んでいるのだけれど、
色々考えていることがある。

主に企業価値についてのことに関してのくだりなんだけれど、
社会で会社が受け入れられるためにどういう企業価値を持つべきかというあたり。

PSWを取るときに「PSWの価値」ってのを考えさせられたんだけれど、
っていうか、協会側が必死で訴えていて???って思っていたんだけれど、
それがストンとアタマに入って来ました。

社会での生き残りをかけた、経営戦略的ビジョンの話だったのか。

また読み終わったら考えてみよう。

いま、3部にわかれた本の2部まで読んだ。
3部は応用編なんだけれど、
ここまで読んでピンときていることがあるので、
待ち伏せ読み体勢で必要部分を拾って行きたいと思います。

ツレの通院

休暇中のツレが今日は病院です。
鉄剤貰ってこないと調子が悪いみたい。

運転手として同行です。

いつも自分が病院ばかり行ってるので、
逆の立場から考えるのはいい機会です。

回復をお待ち申し上げております。

…阪神が弱いのも悪いんだ。きっとそうだ。

弱すぎることについて

大阪に来てから、阪神タイガースの動向に気を使う事が多くなりました。
連れ合いはタイガースファンです。負けると非常に心を痛めております。

今年の阪神は現時点でリーグ5位。
昨日は最下位DeNAに11−5で負けております。

この状況について、「今年の阪神はダメだ」とケチョンケチョンな言われようです。

阪神の選手は必死に生活をかけて闘っております。
しかし勝てない。

それを鞭打つように冷たい言葉が影でかわされております。

果たしてこれはいじめかというと、世間ではそうは取られない。
正当な評価とみなされるようです。

なぜ正当かといえば、ルールにのっとってのスポーツであるからか?

翻って、我々の社会では?

いじめというのはルールにのっとった行為なのか?
往々にして、いじめの理由には、社会のルールからの逸脱が挙げられます。
その社会というのは、大きな意味でなく、友人間における小さな社会です。
そこでの暗黙のルールから逸脱すると制裁という名のもとにいじめが発生したりします。
いじめる側は、それをもって自分を正当化するわけです。

ルールを作っているのは誰かということに目を向けた時、
弱者強者の関係があらわになってきます。
強者の論理でルールが作られる。

強者というのは誰か?

往々にして不特定多数の暗黙のルールだったりする場合、ことは厄介です。

それを防ぐために法律というものがあったりするわけですが、
現在、立法府の状況を見るとこれがまた惨憺たる状況なわけです。

 
 

誰かを批判するだけでいじめが成立すると思ってる方もいらっしゃるようです。
そして、現在の社会ではいじめをする奴はルール破りだから、
制裁を加えてもいいと考える向きもある。

そのルールは誰が作ったの?

いじめを行う人間は頭がわるい訳ではないよ。
勝手にルールを作って適用しているだけです。

勝手に解釈をするにあたって、自分ルールを適用するわけです。

自分ルールの適用というのは、「個性」の尊重と裏腹でもあります。
自分の生きたいように生きるにあたって、自分ルールを持つのは大事です。
劣等感からのものではない。ましてや害悪でもない。

 
 
さて、我々精神障害者は世間から不当な差別と正当な区別を受けております。

この境目は「ルール」にあるわけです。法律が主なものです。
法律というものは「成文法」「実定法」だけではないということに注意。
いわゆる裁判員制度が成立する要因の「市民感覚」「常識」にもよるわけです。

さて、まだ裁判員制度は重大犯罪にのみ行われているのでありますが、
この「市民感覚」「常識」で市民に裁判が身近になった場合どうなるか?

正当にいじめが成立する可能性が出てくるのではないでしょうか?
いじめというより、人権侵害なわけですが、
刑罰を課すというのは言ってみれば「正当な理由を持った人権侵害」です。
罪刑法定主義に基づいて厳しく枷がかけられていますが…。

この構図が、現在のいじめとダブって見えて仕方ない。

「公共の福祉」に反すると判断されればバッサリです。
これに市民意識が持ち込まれれば精神障害者は現状、どこまで対抗できるのか?

恐ろしいことに今の社会には「社会的制裁」というものが存在します。
量刑判断にこれが考慮されちゃってるくらいですから、存在するのでしょう。

 
阪神タイガースには関西人による社会的制裁がくだされます。
精神障害者と重ねて考えるにいたたまれないものがあります。

しかし、大きく違うのは関西人はタイガースを応援しております。
愛してやまないといってもいいでしょう。

精神障害者は社会から愛されているのか?
 
 
どう思います?

弱いというのは「愛されない」ということではないかと考えます。
この状況を変えていくには精神障害者が愛される存在になること、
一般的に言われる「強くなる」というのはちょっと違うと思われます。
 
  
 

そして、人間は皆、愛されようと必死です。
自己愛に溺れてみたり、愛されるために愛してみたり。

よって、人類は皆障害者なのですといつもの結論に無理やり持ち込んでみたり。
 
自分は愛されて幸せだと思ってる人もいるかもしれませんが、
そういう幸せな方は別の欠陥を持っているような。
いや、ヤッカミではなくてですね・・・。
それはそれで障害っぽいというか。

 
 
とにかく、結論としてまとめますと、阪神は弱い!
でも、その障害を乗り越えて愛されるがゆえに強い!ということです。

だから愛される人間になりましょうとかは言わないよ。
愛されようと必死な人間はとってもさもしいと思うもの。
分をわきまえてほどほどに。

障害者の権利を獲得するにはタイガースを見習わなければいけないなと。
そう思うのでした。

しかし、世の中不穏だな。
発達障害のせいで量刑が重くされるなんて何ごとだろうか。
「公共の福祉」に対して考えを巡らす必要があるなと思います。
 
  
一般市民は障害者よりタイガースに興味があるってのも現実です。
今ひとつ建設的になれない今日このごろなのでした。
 
 

タイガースが負けるから悪いんだ!!きっとそうだ!!