ルート検索なかったら一方通行トラップに引っかかりそうなところに行ってきます。
住宅街の中を抜けるのは非常に困難な土地柄で、いつも困ってます。
カーナビは高くて買えないので地図を印刷して持参です。
ルート検索がありがたい。
ただし、ルートから外れると、大変なことに。
しかも、行きと帰りでルートが違う。
さて、無事に帰ってくることができるのでしょうか?
カーナビ欲しいなあ。
ルート検索なかったら一方通行トラップに引っかかりそうなところに行ってきます。
住宅街の中を抜けるのは非常に困難な土地柄で、いつも困ってます。
カーナビは高くて買えないので地図を印刷して持参です。
ルート検索がありがたい。
ただし、ルートから外れると、大変なことに。
しかも、行きと帰りでルートが違う。
さて、無事に帰ってくることができるのでしょうか?
カーナビ欲しいなあ。
お目当てはここのランチ。
喫茶「ぴあ ひと・まち」
http://www.hitomachi-kyoto.jp/floor_01_kissa.html
車で行ったら京都市内はタクシーが路上駐車しまくっていて非常に運転が怖かったです。
京都駅付近から北上して行ったら右折して入らないとならないことになって困惑。
結局近くの路地裏に入り込んで1時間100円の有料駐車場に停車。
風情のある川沿いに歩いて突撃してきました。
時間が悪かったせいか、自分らの他に客がいない。
しかもランチが終わってしまってました。
接客どんな感じにしてるか見たかったんだけどな。
暇な時間帯らしくって、店員さんたちは談笑中。
私らが注文した後も和やかに談笑しておられました。
穏やかな空気が流れる喫茶ではありました。
奥の厨房で数名働いてらっしゃる様子が伺えました。
突っ込みどころは多数あったけれど、まあいいや。
商売っ気の無さ加減が印象的でした。
そんなもんなのかな?
場所、設備は良いので、なんかのついでに寄るのには良い所に思いました。
オリジナルランチ食べたかったよう。
プリンタで印刷できないとのことで電話がきた。
メールなどの文字は印刷できるけど、画像が印刷できないとのこと。
インク切れてるんじゃないですか?
っていったら、買ってきて入れてみるとのこと。
その前に、インク残量を調べてみてといったけど、聞く耳持たず。
がんばってください。
また呼び出しくらうのかなあ。
ボランティアになっちゃうのかなあ?
どうやら世間は月曜日。
昨日は一日嫁さんに付き合ったので、遅れを挽回すべくお仕事です。
急用が入らなければいいけれど…。
1件ペンディング状態の案件が一つ。
1件急いで仕上げていかないといけないのが一つ…。
さて、この2件が終わったら何をしようか。
いくつか考えてるけれど、勉強の時間も取らないといけないなと思う次第。
OJTで行くしかないか。
さて、一週間がんばりますか。
今週末は検査結果が出ます。心配で仕方ないのだけれど。
障害に理解ある人とでもやはり健常者との対話は気を使います。
何に気を使うかというと、障害について気を使わせないように気を使う。
・・・ということに気を使っていることについて気付かれないように気を使う。
ことによって、疲れていることに気付かれないようにも気を使う。のでした。
なんだかね。
社会復帰して健常者に紛れているとオープンだとこの苦しみがあります。
クローズだとこの苦しみはない代わりに、
気を使ってくれないことによるハードな待遇が待っています。
なんなんだろうね。
理解されることによる、この居づらさ、生活のしづらさってのは。
一種の社会的障害。二次的障害。体験としての障害?
ジレンマの一種ではあるのですが、気にしない様に心を鍛えなければいけませんかね?
今日は近所に街宣車の群れが多数押し寄せてきていて圧倒されました。
彼らには、精神障害者の持つマイノリティとしての繊細さとは対極にある
マイノリティとしての傲慢さがあるような気がします。
だって、路上駐車で幹線道路渋滞させて平気だもん。
主義主張を表現するのに、ああするしかないのかと疑問に思います。
つうか、これってデモとかにも通じることであるわけで、
原発反対デモや、貧困撲滅デモなんかはどうなんだと言われてしまうと、
同列に扱うべきかどうか悩むところです。
意思の表示にもっとスマートな手段はないのかなあとか、
障害者の権利を主張するにあたって同様のことをしていいものかと悩ましかったり。
私は、暮らしにくさを感じているすべての人間は障害者であると思う故、
健常者なんて一人もいないとは思うのですが、
自分を健常者だと思っている人は、健常者なのだろうかとも思うわけで、
そこは個人の意識にかかってくるのではなかろうかとも思います。
街宣車を見て思うのは、ああ、彼らも障害者なのだなあ。・・・とか。
不謹慎でしょうか?危険でしょうか?障害者に入れてはいけないのでしょうか?
彼らは暮らしにくさの改善を目的とはしていないのでしょうか?
・・・行動障害・・・という言葉が脳裏をよぎったところで黙っといたほうがいいなと思いつつ、自己の暮らしにくさを感じない人達がいる可能性はあるのかないのか、感じないというより、気づかないというパターンもあるのか?ある場面では障害者で、違う場面では障害者ではないという多面的な人間存在をよく認識せねばいけないのだろうかと色々考えを巡らせます。
少なくとも、完全に健常な人はいないのは確信してはいるのですが。
だったら、障害についての枠の考え方を再考し、国やら自治体の施策は違った軸で組み替えなければいけないと思うのでした。
「生きづらさ」ってのが蔓延しているあたり、根っこは深そうです。