通院日、なんだが・・・。

P科 通院日。薬が切れる。

子供は風邪。
昨日、40度近くまで熱が出て、薬で下げたが、今朝もまだ調子は悪い。

仕事は詰まってる。
如何ともしがたいが・・・。

ピンチではある。3つ仕事重なってる。急ぎが2つ。難解なのが2つ。
1つは時間も手間もかかる。1つは未知数。1つは超急ぎ。

どうすっかな?

知人が亡くなった。

癌の患者でした。

知人に癌の患者が多くいるのだけれど、
訃報に接するとそれなりに覚悟してても神妙な気分になる。
葬式が終わってからの報告がありました。

誰もが明日生きているとは限らない。
自分が死ぬ時、いつ、どこで、どんな感じで死ぬのか?
決められるとは思わないが、自身で選択せよという場面が来るかもしれない。

避けることはできずに死んでいく。
幸せであることだけが人生ではない。
楽しいだけでもない。
全てに意味を見いだせるわけでもない。

そこを欺瞞的に「私は幸福だ」と吹聴して回る人間もいるのだが。
自分の胸にしまっとけよと思いつつ。

いろいろ考えるが、不幸になりたいわけでもない。
しかし、だが・・・。

ねえ?

躁状態で精神医療否定されてもなあ。

躁鬱病で波を繰り返してる方が、
現在調子がいいらしくて、向精神病薬にネガティブな意見をばらまいてる。

薬物との相性は人それぞれだから一概に効くとも言えないのだが、
他人巻き込んでオルタナティヴの世界に引きずり込もうとするのはやめろ。

思想的にはわからんでもないが、頭の中身が被害者意識で凝り固まってるのに気づけ。

思想良心の自由はみんなにあるはずであるから、
自分に同調させようとすることで他人の思想に干渉してくるな。
そいつのやってることは、「対話」ではない。
聞きかじりの情報を右から左へ流しているだけで、薄っぺらく善人を気取っている。

薬が嫌ならお前だけ飲むの止めてろ。

陰謀論やら精神医療の未だ到達しない部分をあげつらって、
批判のための批判に夢中になってるのは、もはや害悪に近いぞ。

わからないことがあるのだから断言すんな。

精神科医や薬に支配されてると思ってるのは自分自身がそうなだけであって、
一精神医療ユーザーとして現代の精神医療で良好な状態にある人間もいるんだ。
自分の今までの考えと他人が同じだと思うなよ。

多分、こいつに近いところに影響されてるんだろう。

もういいから。
躁転しているのが自覚できないのはわかったから。

電車の中で大声で薬止めるのがどうのこうの説得にかかったりするのはやめてくれ。
いろんなタイムラインに雑多な情報を流し込むのを控えろ。
迷惑だ。
オルタナティヴ界隈が胡散臭く見られる原因を作ってるぞ。

これだから・・・・。もう・・・・。みなまでは言わんが。

みずのきおく

水の記憶・・・ホメオパシーの話。

ホメオパシー
ホメオパシーの科学的根拠とされノーベル賞候補が主張した「水の記憶」とは何か?

基本的に水はほとんどのものを溶かすから・・・。
記憶があろうものなら、過去の来歴全てをたどって素性の明らかな水を使わないと何が起きるかわからないことになる。
ホメオパシーに使用する水は何をもって安全だと・・・?まあ、ホメオパシーが効果もつとして。

レメディとやらに使う砂糖にも疑問がある。
空気中の水分を吸収せんのか?

普通に摂取している水の立場は?

理論的に破綻しているような気がするが、効くと思っている人がいるらしい。

まあ、効くと思えば効くのだろうか?
プラセボ効果?

宗教の類と思えばいいのかな。いいのだろうな。
世の中こんなんばっかり。

で、健康法の類を、ポジティブシンキングの美名のもとに吹いて回るのがいて鬱陶しい。
確実なものがないから、そうなるんだけれども。

新年早々、糖質がどーのこーの、減薬がどーのこーの・・・。
ああ、何なんだろうか。

・・・という辺り。今年はなまくら刀で切り込んで行こうかと考えてみたりしています。

下地作りから始めよう。

ホメオパシーの反対?仲間?

この辺を参考に・・・。

反精神医学って…どこまで信用できるのだろう?

反原発運動と反精神医学の記憶

ちょっと古い記事だけど。

がんにかかって、現代医療批判に対して疑いを持つようになった。
いわゆる抗がん剤批判とか、反医療に関わる言説について、
その多くが論者の恣意的なものであり、エビデンスがない、
つまるところ頼りないものである事が多いらしいという事が見えてきた。

ひるがえって、反精神医学においていろいろな言説があるけれども、
精神医学での標準治療ってあるんだろうか?と言う疑問と、
反精神医学が反対するものはその標準治療なのだろうか?と言う疑問が出てきた。

標準治療に対して反対するならば反精神医学はそれなりの位置が了解できるのだが、
標準治療が行われていない状況に対して反対するのであれば、
一体何に反対しているのか?と言う疑問が生じてくる。

恣意的と仮定した医療の現状に対しての反対ならば、
標準治療が行われていない事に対しての批判だから、
精神医学の否定というスタンスはおかしいし、
標準治療に対する批判とするならば、
エビデンスで対抗する必要がある。

・・・この場合、何がエビデンスとなりうるのか?
大きな問題があるんだけれども、
患者の主観がエビデンスたりうるのかということと、
社会の側、医師の側からの観察がエビデンスになりうるのか?
と言うあやふやな状況が存在すると思われる。

だったら、あやふやなものに、断定的な反対を唱えるのはなんかおかしい気がする。
何に反対しているのかがわからないからだ。

さて、反精神医学とは何なのであろう?

オルタナティヴも同様に、本流が定まっているところに傍流があれば納得いくのだが、
本流ってあるのかな?

ふと、自分らが本流になりたいと思っているんじゃないかとの疑念が。

ここいらへん、私の勉強不足で現実を把握しきれていないのではあるが、
ひょっとして、世間の精神医学も反精神医学も、みんなまとめて確固たるものが
ない状況にあるのかもしれない。

それは人生が確固たるものがあらかじめ用意されていないこととつながってくるわけで、
それって、医療とは別枠の問題。
ということは、なんか肯定否定で論じるものではないという事になる。

じゃあ、反精神医学もオルタナティヴも「押し付け」になるようならばおかしいわけで。
当然のごとく、個人の人生に介入しようとする動きは、なんか違和感がある。

ならば、こうするといい、ああするといいと他人に勧めるのはなんかおかしい。
情報提供にとどめるならまだしも、糾弾したり、拡散させたりするのはどうもね。

というわけで、反医療本に反する本が出てきにくいところはそこらにあるんだろうなと。

反医療に関わる人で、他人に吹聴してまわる人に出会ったのだが、
・・・なんかね・・・。
という疑問からの長文でした。