「こころの病を生きる」

「統合失調症患者と精神科医師の往復書簡」だそうです。
数年前に買ったものを再読。

当事者のPSWという私の目指すところのものを達成している方の文章は刺激になりました。
でも、実際のところ現在どんな仕事っぷりなんだろう。興味はあるけど。
拠点はここhttp://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/みたい。
あと、この著者の文章がここに
http://www.caresapo.jp/fukushi/blog/sano/

でもね、私の毎日の生活の苦しみってこの本では解消されませんでした。
それを求める本ではないのだろうけど。

もう私は作業所の当事者職員は辞めようと思うので、今後をぼんやり考えながら読みました。業界は狭いから、再就職は限られてしまうと思うので、少し欝気味。

健常者ってやっぱり病者のことは理解できないのだろうなと思う。
想像はできるのだろうけど、ピントはずれ。
病者であっても自分以外の病者のことは理解できないのだけど。
なんだ、だれも他人のことはわかんないってありふれた結論か。

でもなんかできるだろうか?
バイステックの個別化の言わんとしているところの一端かな?

疲れが抜けるかと思って読み始めたけど、そうでもなかった。

もっと考えなくちゃ。
考える脳みそのコアが故障してるので大変なんだけど…。

5 comments

  1. ゆば~ば says:

    自分はいったいなにをやっているんだろうと思います。
    自分のところの障害者雇用もまともに遂行できていないくせに、他の企業の人々に対して、障害者雇用に取り組みましょう、相談にのりますよって、説いてまわって。おとといも某社にそんなことを言いに行きました。
    悲しみに沈む夜を幾晩も越えて、その向こうに何があるのだろう。こういう悲しみを、頼んで回る相手にも背負わせていく。私たちの仕事っていったい、どこにつながっていくのだろう。
    映画のようにきれいには終われない。
    か細い虫の音や、メーテルリンクやアンデルセンが描いた弱くかすかにしか見えてこない人の世の幸せや、それでも人恋しいと思う気持ちや、そういうやりきれない切ないものに囲まれて、一人の時間を過ごす。これは、生きていく上に必要不可欠の心のありようでしょう。

    ただ、待っています。それしか言えません。

  2. あさ says:

    言葉というのは軽いものだと思いました。
    毎日の生活ははるかに重いものです。
    疲労を言葉で表しても上滑りするだけです。

    理事長の足首のように無理に固めて毎日を送る。

    現実はそんなものです。
    固めても暮らしていけないのに気づいた時、
    自分をあきらめて次を考えます。

  3. ゆば~ば says:

    上の本の著者が勤める「ごかい」は、藤枝友の会と肩をならべて、地を這うような当事者運動を長くやってきたグループです。休むついでに、ちょっと足を延ばして、見に行ってみるとおもしろいと思います。出張費は出せないと思うけど。
    悪いおばさんのまたまた悪い指南に今度こそだまされないぞと思うなら、受け流してください。

  4. ゆば~ば says:

    ごめんなさい。名前を間違えました。上の人が勤めているところは「無限」。「ごかい」は、京都にあるので、私は行ってみたく思っていますが、まだ、実現できていません。
    「無限」は、事業所を立ち上げているんですね。興味があります。

  5. あさ says:

    そうですね、そういうところを見に行くのもおもしろいかもしれませんね。あなたから言われてしまうと「仕事」になってしまうので行く気はなくなりますが。外から見たものと中から見たものが大違いだという教訓もありますのでそこは注意すべきでしょうけどね。

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