そうか自信がなかったんだ。

ほんとうに悩まされた。
悩みながら、いろいろ考えた。

なんで聞きもしないことを誇示して他人より優位に立とうとするのか。
見当違いのアドバイスをして他人の邪魔をするのか。
さらにそれを正当化するのはなぜか。

そして、その振る舞いを見てなぜとがめたくなるのか。ほっとけばいいのに。
なぜ過剰に反抗したくなるのか。怒りが沸いてくるのか。

なんでそんなことをしてしまうのか。

結論としてお互いが「自信がない」からなのだと気づいた。

「精神障碍者は自信を失っている」ということの意味がすとんと胸に落ちた。
教科書の知識が現実とリンクした。スッキリ爽快。
当事者でも自分自身のこととして理解するのは難しかった。

彼も、私も、「自信がない」んだ。
ただそれだけでややこしいことになっていたんだな。

試験の成績に過敏になったり、資格にこだわったり。
自分を認めてもらえるところを探して迷っているんだ。
(わたしの決め付けでした。彼にしかわからない部分です。取り消します。)

それに気づいて「嫌な奴」は「必死にがんばってる奴」に評価は変わったぞ。
(わたしが評価するべきものではありません)

でも、もう少し配慮された表現の仕方をしてくれれば
ここまで私を悩ませることは無かったのに。
何が迷惑なのかを知ることが出来ていれば、あんな振る舞いはしないはずなのに。
ちょっとした対人スキルの問題だったんだろうな。
(悩んでいる方が多いところだと思います。軽率な発言でした。)

人間の難しさと、ものは考えようだということで非常に勉強になった。

ちょっぴり「自己覚知」もできた気がする。
私も少しずつ自信をつけていかなくては。
病気で周りから15年の遅れをとっているけれど、リカバリーに挑戦だ。
(そんなことを言える立場ではありません。撤回します)

「自信がない」からって他人を傷つけかねない言動は慎まなくては。

彼も、私も。

でも、実力の無いところで自信を持ってもいけないから、私は簡単に彼を肯定はしない。(彼のライフワークを否定するのは不適切でした。削除します。)

私が自分が「自信がない」ことに気づいても、彼は気づかないかもしれない。
もっと言えばかたくなに「自信がない」ことを否定するのかもしれない。
転ばないと痛みは分からないから、転ぶまで待とう。
それまで奴は「とっても嫌な奴」のままだ。きっと。

(他人の失敗を期待するのは不適切でした、撤回します。)

次を考えよう。一歩先に進んだ気がする。
ほんとうの「自信」はどうすれば得られるのか?

私は私で考えていく。

彼は彼自身で考えなくてはいけない。私は手伝うことができない。
ただこれ以上周りに不快感を与えたり、迷惑をかけないでもらいたい。
統合失調症で学歴とか成績とかでこころに傷を負っている人は多いはずだ。
そういう人が集まりやすい場所での発言には十分な配慮をお願いしたい
きつい言い方だが過去の栄光は戻らないことを自覚して欲しい。
(過去の業績は否定すべきものではありません、言いすぎでした取り消します)

あと、ひとつヒントを与えるとすれば申し訳ないのだが、
他人の小説を無理やり読まされるのは苦痛なものだ。
正直、私には読む気はおきない。冷たい事を言わせてもらうが興味がわかないのだ。
なにか工夫しないと、他人には読んでもらえない。そのへんは自分で考えてください。
(人の苦労して作り上げたものは尊重しなければなりません。削除します。)


追記 2009/02/06 18:30

この記事は不評なようだ。でも、不評は甘んじて受けるしかないと思っている。
不遜なのはお互い様だったからだ。いや、私のほうがずっと傲慢でもあったこともある。さらにいえば、まだこの先に考えなければならないこともある。それを棚上げにもしている。投射、合理化、反動形成・・・。自分にはいろいろ考えるべきことがある。
まだまだ学ぶことは多い。不評でもありがたく反省材料にさせていただきます。

それからもうひとつ。
せっかくこのサイトを見に来てくださった方に不快な思いをさせてしまったかもしれません。その点については深くお詫び申し上げます。公の場での言動としては不適切なものがあったかもしれません。反省したいと思います。

しかし、それでも、自分の精一杯の努力を軽視されたうえ、自己顕示の材料にしようとするのを黙ってみていることはできませんでした。私の感じた素直な怒りを素直に表現することは許されないことなのでしょうか?今後、似たようなことが起きた場合、怒ることは許されないのでしょうか?個人のブログですから私の裁量で考えなければならないことです。しばらくこころに留めつつ考えたいと思います。


追記 2009/02/06 23:40
いまさらだけど参考資料
ハッキリとは書いてないけど、なにかあったみたいですね。
(サワラさんの指摘により削除します。彼の過去は過去のことです)

8 comments

  1. 「他人より優位に立とうとする」というか「優位に立っているように見せようとする」のは
    明らかに「自信のなさ」から来ていると思います。
    でもね…あれは「不快」としか言いようがないですね。
    どうしてあささんはそれに付き合っているのかな、と思ってました…
    それこそ「ほっとけばいいのに」と。
    ご自分でもそう思っているのに過剰に反応してしまうんですね。
    だけど、同じ「自信がない人」でもあささんと彼とは違いますよね。
    「対人スキルの問題」というより「理性があるかないか」のような気が…

  2. あさ says:

    >ちえぴょん さん

    ・・・涙がでるほどうれしい・・・。

    ネットの世界では「無視」は批判より悪いと私は思うことがあります。
    彼はあのような表現しかとれないけれど、彼の背後には何人もの同じことを考える人が潜在的に存在すると考えられます。無言の人たちにこそメッセージが必要に思います。

    これから私が立ち向かうべき仕事では、こんなことが日常茶飯事で起こるんです。たぶん。
    丁寧に対話を続けることをあきらめてはいけないと、思っています。

    社会で統合失調症の理解が進まないのは「無視」が大きな理由だとも思います。
    声を上げなければ、ごみくずのようにすみっこに追いやられてしまうのかも。

    真面目すぎるのかなあ・・・?

  3. 私もなかなか「無視」ってできませんけどね…
    でも、ブログの記事にまったく関係ないコメント(たとえば宣伝とか)されれば、無視することも…

    確かに、これからあささんが就かれるお仕事は、対話が必要だと思うんです。
    私も、心の病気に対する偏見を無くしたいと思ってサイトを作りましたから…
    声を上げることも必要だと思います。偏見や無理解は「知識のなさ」から来ると思うので。
    でも「ここでなんとしても○○しなければならない」と思っていると共倒れしてしまうのではと。
    ここはあくまでも、あささん個人のブログであって、仕事で書いているわけではないですよね。
    このことで悩んで体調を崩してしまうことのないように気をつけてくださいね。
    「無言の人たち」は、社会のルールをわきまえているからこそ「無言」なのではないでしょうか。

  4. あさ says:

    >ちえぴょん さん

    お気遣いありがとうございます。

    いろんな偏見が世間にはあります。障害者自信にも偏見はあります。
    もし、無視していたら気づきは得られないのではないかとも思うのです。
    子どものうちって「ケンカ」も大事な経験ですよね。
    なにかをしようと思うときは摩擦が当然起こるわけでそのうちのひとつなのかなあ?
    ・・・と思ったり。

    仕事ではないのですが、自分自身障害者であるわけで、そこから離れることは難しいです。
    今回、人生かけての勝負のようなところもありますのでなおさらです。
    それをあのような扱いをされては黙っているわけにはいかない・・・という気分です。

    体調は今のところ大丈夫です。ご心配おかけしました。
    メイラックスが効いてて、結構精神的に安定はしています。

    昨日今日は無言の人たちが普段の倍くらいのペースでサイトに訪れています。
    みんな黙って帰って行きます。なにを思うのだろうなあ。

    社会のルールってのはやっぱり「見て見ぬふり」なんでしょうか。
    まあ、今回のことは世間がどうこうというより、
    個人間のトラブルですからそうなんでしょうね。喧嘩両成敗。

    日曜日の試験に向けて体調は整えていかないと。
    ほんとうにいいタイミングでいい角度からのコメントいただけてうれしいです。
    ありがとうございます。

  5. サワラ says:

    こんばんは。

    某氏のことはもうおしまいになさったらよいのではないですか。何も参考資料まで載せられる必要はないかと思います。そこまでするなら、なぜアクセス禁止にしないのですか。「無視」はよくないからですか。でも、コメントでお二人の間で言い合いをしているぶんには、それはそれでよくあることだし、あの人を相手にすごいな、とも思いますが、あの人がどういう人であるかは、知っている人は、知っているのです。そして知らない人がいたにしても、書き込みの内容が内容なだけに、読めばどう見たって普通じゃないのはわかります。あたしが今回思ったことは、コメント合戦で終了なら、それはそれでよかったと思います。が、あささんがその後に書かれた記事には、どうも賛同できませんでした。対話が必要、とのお考えのようですが、なんだかあの人に対する中傷のようにも感じました。あささんがあの人の筋の通らないコメントによって、怒ったり、傷ついたりするように、そういう記事を書くということは、あの人だって読めば傷つくのではないでしょうか。いえ、あの人だけではありません。あの文を読んだ無関係の当事者の方の中にも、傷つく方はいらっしゃるのではないかと思います。その中のひとりが、あたしです。あたしは記事を読んで、少なからず、傷ついたというのが正直なところです。

    ここはあささん個人のブログですし、あささんが心情を吐露されても、その内容が怒りだったとしても、それはあささんの自由であることは、言うまでもないことです。それはわかっています。ですからあたしの考えは「気に入らなければ、読まなければいい」なのであり、コメントも最初は書こうかとずいぶん迷いましたが、結局、やめておこう、と思ったのです。その代わり、評価ボタンは、青。

    でも今見たら、参考資料というのがあるのを見て、そこまですること、ないだろう、って思いました。統合失調症の偏見をなくしたい。まさにこの行為はその真逆、偏見を助長するものではないのですか?

    以上。

  6. あさ says:

    >サワラ さん
    こんばんは

    長くなりますのでまず最初に謝っておきます。サワラさん、皆さん、申し訳ありませんでした。

    厳しい意見をありがとうございます。私は彼の過去をよく知らなかったために適切な対処が出来なかった部分が大きかったと思っています。「知っている人は知っている」では、知らなかった私が適切に相手することが出来なかったのは「知らなかった」という部分が大きかったからだと思います。それを知ることが出来たのがあの参考資料です。知らないことで無駄な摩擦を生む以上、知ることは必要なのではないでしょうか?彼のことを知ることは統合失調症の一面を知ることでもあります。

    本来ならば、彼が自ら語ることがベストなのでしょうが、彼の語る自らの過去は医学部をめぐる成績についての一点ばりです。

    統合失調症に対する偏見はなくしたいと思います。でも、彼のような行動をとる統合失調症者が存在することを知っておくことも必要だと思います。偏見というのはネガティブな偏見もポジティブな偏見もあります。統合失調症には負の側面がある。それを理解することも偏見をなくすことの一部です。私が彼のようなタイプの統合失調症者がどのような行動を取るのか知っていたら、もっと適切な対応が出来ていたかもしれません。つまり、統合失調症者は善良であるという「偏見」を持っていたということになります。統合失調症者にもいろんな方がいらっしゃるということを心しなければいけません。

    ここで言うべきことではないかもしれませんが、なぜ、あなたは彼がそのような人だと知っていながら私に教えてくださらなかったのですか?私が苦しんでいたのをあなたがわからなかったとは思えません。私が振り回されているのを看過したのは「知っている人は知っている」からなのですか?一言の助言がいただけたならば大きく違っていたと思います。

    あなたを傷つけたことは申し訳なく思います。でも、何に傷ついたのかを示さずにただ「傷ついた」では何度も私は同じ過ちを繰り返すでしょう。傷ついた時、世間一般では「察する」ことで無用な摩擦を回避できるのかもしれません。しかし、ネット上ではあなたが傷ついたことを傷つけてしまった私に伝えていただかなくてはわからないのです。ただ「傷ついた」と表現なさるだけであなたの心情を汲み取ることは難しいのです。ぜひ、私にどの部分でどのように傷ついたのかお伝え願えませんでしょうか?精神障碍者にはいろんな人がいる。それをあなたに気づかせていただいたのですから、あなたの傷ついた部分をぜひ指摘していただきたいです。

    彼に対する「中傷」ととらえられたのも私が悪かったのでしょう。必要以上に攻撃的になっていたのは認めます。まわりくどく、いやらしく責めたてた部分もあります。反省すべき点は多いと思います。今後、そのようなことは無いように注意を払いたいと思います。

    これから、もし、私のブログをお読みいただけるのであれば、傷ついたら「傷ついた」と伝えてください。傷つけてしまったことは取り返しがつきません。私に出来ることは精一杯、謝ることと、過ちを修正することです。具体的に傷ついた箇所を指摘していただければ、納得できるように修正したいと思います。

    人と人との付き合いは、褒めたり、楽しんだりすることだけではないと思います。
    その点で、サワラさんが私に苦言を呈していただけたのは
    本当にありがたいことだと思います。そして、正しい態度です。
    あの「不評」の青ボタンはそのためにこそあるのです。
    サワラさんは正しくお使いになりました。

    私は自身が不完全で他人を傷つけることもあるこころの弱い人間であることを認めます。
    ですから、対話が必要なのです。失敗もするし、仲たがいもします。
    他人の心を十分に汲むこともできません。他人をわかったつもりになることは危険ですらあります。勘違いもするし、誤解もします。

    人を傷つけた以上、きっちり謝りたいと思います。
    どこをどう謝るべきかぜひ、対話をもとに明らかにしたいと思うのですが、すでに対話をする気もないとおっしゃるのでしょうか?お返事をいただけるまで私がブログに残してしまった不適切な部分を自らの判断で修正していきたいと思います。

    失言は失言として残すつもりです。傷跡ははっきり残したいと思います。
    私の失敗は消去しておしまいにしたくはありません。
    できるだけ残した状態で修正をかけたいと思います。

    サワラさんに限らず、修正すべきところを皆さんに指摘していただこうとも思います。

    早速独自に作業に入ります。誰も相手にしてくれなくとも自分のしたことの後始末をしていくつもりです。

    あと、アクセス禁止の件ですが、それは彼のこの場での発言を完全に封じることになり、謝罪も修正もできなくなるゆえ、できるかぎりやりたくありません。運営に支障をきたさない限り、アクセス権は残しておこうと思います。わたしはそれがフェアだと思います。

    某氏のことは終わりにするのは簡単です。でも、次の誰かがやってきます。その時に、排除を続けるというのは精神障碍者の特性を考えると得策とは思えないのです。単なる仲良しクラブとは違った意味のある空間を目指したいと心の隅で思っています。これでも3年間障碍者の作業所を見てきました。排除された障害者も見てきました。排除された障害者は他へいって同じことを繰り返します。社会資源が尽きるまで。どこかで食い止める、いや、定着できる状況を作る必要を感じます。某氏の過去の参考資料は同じ過ちを繰り返さないための資料となるのです。某氏だけを相手にしているわけではないのですから、周囲は某氏の特性を知る必要があるとも考えました。延々私と某氏はケンカを続けるのかもしれません。でも、あえて彼のことを追い出さずに非難する記事を挑発的に載せるというのは、彼の「気づき」に期待しているからです。やり方がまずかったので不快な思いをさせて申し訳なく思いますが、彼の心に届く方法を模索しているのを過去の記事のコメントでご覧になりませんでしたか?

    長くなってしまいました。最後にもう一度。

    不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。

  7. サワラ says:

    こんにちは。

    あささん、お返事、ありがとうございます。
    実を言うと、上のコメントを書いてから、やっぱり書くべきじゃなかったかなあ、って後悔していたんです。でも、丁寧なお返事をいただいており。恐縮です。本当は、ここでやめておきたいのです。あたしは今後もあささんのブログを読みたいと思うし、ハル猫さんのファンだし、何よりも、あささんと喧嘩したいわけでは全然ないし。

    でも、それでは納得なさらないんですよね、きっと。

    だけど、あたしがあれこれ書いたところで、話は堂々巡りになってしまうのではないかと思います。だって、あささんはご自身の確固たるお考えをお持ちなのでしょう?そこへあたしの考えをぶつけたって、意味がありません。ここはあささんのブログだし、あたしはただの読者ですから。上に書いていただいたお返事を読んで、あささんがどういう考えでいらっしゃるのか、ということもわかりましたし、それならそれでいいんじゃないかと思います。つまり、あささんは、ご自分の信念や判断基準に従ってこれからも記事を書かれればよい、ということです。ただ、読み手としては単にその全てに賛同することはできないし、これはちょっと納得できない、と思ったらコメントを入れることもあるということです。で、今回のコメントを書いたのは、あたしとしては「やりすぎだ」と思うような内容の記事だった、ということです。

    某氏に関しては、あささんとあの人がコメントのやりとりをしているときに、ちょっと別記事のコメントで言及したはずなのですが。あたしとしては一応アレが助言のつもりだったんですが。表現が遠回しすぎたようです。すみません。あたしが悪かったです。

    でも、正直なところ、詳しいことなんて書けません。こと他人に関しては。それこそ、ご自身で相手を判断していただかないと。あたしだって当事者なわけですから、某氏と自分と、どこが違うのかな、って思うんです。実のところ、たいして違いはないなあ、と思います。だから、某氏に関する記事を読んで傷ついた、というか。読んでいて胸が痛くなりました。

    それから、記事の修正などについて。やだなあ、って思ったら今回みたいにコメントで反論するかもしれませんが、基本、あささんがご自身の信念に基づいて考えて書かれていることだと思うので、考えが変わったりしない限り、修正というか、打消しとかは必要ないかと思います。あささんは謝っておられますが、それだってあたしとしては、その必要もないんじゃないかと思うくらいです。書き手にせよ、読み手にせよ、自分の考えがあるなら、それでいいんじゃないか、って思うから。それこそ、あささんの記事にたまに反論のコメントがあったりして、種種雑多な考え方が溢れているような状態でいいのではないかと思います。

    恐らく、このような返事では納得されないとは思いますが、この件はこれで終了させていただきます。

  8. あさ says:

    >サワラ さん
    お互い納得することは難しいでしょう。同じ病気を持っていることを痛感します。
    言いたいことはありますが、少し間をとりましょう。

    あの方との対話では割って入っていただけたら助かったのにと思いつつ、あの状況じゃ無理だなとも思ったり。うまくいかないものです。

    今後もよろしくお願いします。
    コメントは遠慮なく入れてくれてOKです。批判、非難、歓迎します。

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