カテゴリー: 統合失調症

のら猫だって自分で生きている

私がいまだ独立して生きていけないことについて考えながら・・・。

今日の収穫
今日の収穫

近所の野良猫たちはうちの上司(猫)のエサを狙って勝手に家の中に侵入してくる。
引き戸を自分で開けるくらい賢い。
泥棒猫とはいえ自分の食い扶持は自分で何とかしている。
あのしたたかさは見習わなくてはいけない。

稼ぐと言うのはそういうものなのだろう。

金融危機はアメリカの住宅ローンが元らしいけど、
今、業績が上がらないで困っている人、
あるいはもっと直接的に住宅を失った人、
投機に失敗した人・・・etc.

損をした人がいるってことは儲けた人がどこかにいるってことなんだけど。
したたかな奴がおいしいところをさらっていく。
社会のしくみがなんか変だと思っても、負け犬の遠吠えということにされてしまう。

社会って何のためにあるんだろうね?
富裕層が景気を引っ張っていく予定だったのがどうもそんなことはできなかったようで、
なぜかそのツケを貧乏人が払わされている。

責任者は誰なんだかわからなくなっている。

他人のせいにしている場合ではないのか。
大事なのは毎日ごはんをしっかり食べることだ。
(そして私なら薬もキッチリ飲むこともだ)

のら猫を見習わないと。・・・人のものを盗むのは犯罪だけど。
でも、合法的であることを盾にして理不尽な儲け方をしているひともいるはずだ。
自分がその中に入ってないかみんなで確認しなくては。

バレンタインデーが近づいています。
カカオを生産する農場で過酷な労働に従事するひとたちのことを思い浮かべながら、
愛の告白でもしていてください。
法を犯してはいないですからいくらでもどうぞ。

それは合法的な行動です。
固い事言ってる私が悪いんです。
私だって貧乏だけど豊かな生活をしているのですから。

人に頼りきりなのに。

たぶん、今の社会や自分ってそんなに長くは持たないような気がする。
ええ、妄想ですけど。

 
 
のらねこがうちの外で鳴いている。赤ん坊のような声で。
必死に暮らしている。

私も必死で生きなければならないが・・・。いまそんな元気は無い。
疲れた。

花と猫と生命保険


花とハル猫
花とハル猫

疲れているあなたへ、それから自分にも。

疲れに追い討ちをかけられて、自分もギリギリで踏みとどまって。いや、一線を越えて。もうなにもかもいやになって。どうせ自分は病気だと・・・。

アリコジャパンから生命保険のセールスの電話が。年齢を聞かれた後、「あなたは何かご病気をお持ちですか?」だって。「言いたくありません」と答えたらあっさり引き下がってくれた。でも、すごいダメージをくらった。自分の中の偏見と、社会一般の偏見。いまだに消化できない。胸を張って「統合失調症です」と答えられる日は来るのだろうか。

生命保険かけることができるかどうかわからないけど、将来、もし家を建てるとかマンションを購入するとかと言う事態になったとき、その一点でアウトになるかもしれない。キャッシュで払えるような財力も無い。障害者対象の住宅を建てる際の補助金のようなものがあるらしいが、そんなに簡単におりる様なものではなかろう。

重度障害者等用住宅の新築等助成金
精神障害者も対象になっている。
http://www.jeed.or.jp/disability/employer/subsidy/sub01_commutation.html

これみたいなの。職場の理解が必要で、こちらでの負担分も必要だ。

(3)支給の条件
支給決定に当たって次の支給の条件が付されます。

イ 支給決定日から5年以上の期間、支給対象障害者を雇用し、支給対象障害者が支給対象となった住宅に居住していなければならないこと。
また、支給決定日から5年間の支給対象障害者の雇用状況等を、障害者助成事業実施状況報告書により支給決定日から5年経過後の1カ月以内に都道府県協会を経由して機構に報告しなければならないこと。

そんなに長い間働けるかもわからない。明日をも知れないと言うのに。

やはり一人暮らしで自立するには公営住宅や賃貸アパート暮らしが現実的なんだな。いきなり自分の家を持とうとか言う発想自体無茶なんだ。ローンを組むこともままならない。夢は叶う?無理を通せば道理が引っ込む?奇跡は起こる?はぁ・・・。

書き込みの内容が内容なだけに、読めばどう見たって普通じゃないのはわかります。

これから人権を侵害する可能性があるところまで踏み込みます。
私の中の爆弾の信管が作動してもうしばらくたっています。
誹謗、中傷と捉える方もいるでしょう。みっともないのもわかっています。
差別、偏見も随所に含まれています。他者に対しても、自分に対しても。

遠慮なくご指摘ください。修正、加筆、等で対応したいと思います。
消せと言われれば、消しましょう。ただし、その経過、いきさつは公開します。

私が本当に苦しい時に追い討ちをかけられた想いを消化できなくなっています。
私の精神が危なくなっています。理性で押さえるのも難しい状態です。

「あなたは狂っている可能性があるかもしれません。」
そう言われてしまった以上、確認をする意味もあります。
確認をするまでも無く私は狂っていますが。

15年かけて回復してきたものが崩れ去る過程の記録になるかもしれません。
止めた方がいいという意見もいただいています。

「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」
簡単にそんなことを言う人へも一言、言いたいのですが、また別の機会に。
 
 
 

蒸し返します。「普通」って何か。

誰が言ったかは問題ではありません。
特定個人への攻撃でもありません。
世間一般にそう言われることに対しての意見です。

正直言ってこの題名のようなことをあっさり言われるのが納得がいかない。
簡単な問題ではないです。

ここしばらく問題にしている「彼」の話題になります。

彼の土俵に踏み入ることになりますが、文学の世界で何かを浮き彫りにしようとするならば、生活なり体験なりから『「普通」でないこと』に気づき、文章に表すことが大事になってくるのではないかと思います。日常や世界の中に見つけたふとしたこと。何でそれに注目するかと言えば「普通」とのズレを感じるから。読者はその気づきを求めています。私は文学者でも評論家でもないから正確なとらえ方ではないけれどそう思います。

日常のブログへの書き込みに文学をまぜるとどうなるか。
結果はいろいろです。

多分、彼は自分が「普通」でないと世間に思われていることを多分、承知している。
そこに気づいたとすれば、そして、自らを曲げることが出来ないとすれば、
「普通」でないことを演じることに全精力を注ぐのではないかと考えます。
「普通」でないことに価値を認め、ある意味、自己の復権のために。
たぶん自分が「普通」でないことを求めている。

ならば、どうみたって「普通」じゃない、他人とトラブルを起こすまでの文章に何が込められているのか?

「普通」じゃないことが彼の生命線でもあるのだと思います。
以前も書きましたが「自信」を取り戻すための痛々しい闘いをしているのです。
世間一般に日常からズレた「普通」でない自分を演出して注目を集めようとする。

だから自分のHPへの誘導も頻繁に行っているのでしょう。

問題は「普通」からのズレ方と、そもそも「普通」とは何かと言うこと。

彼はきっと世間一般の「普通」に対して闘いを挑んでいます。
だから書き込みの内容がどう見たって「普通」じゃなくなるのです。
自分に貼られた「普通ではない」というレッテルを自覚して、
起死回生の一発を狙って必死なのでしょう。

だから、そんな彼を救うには彼の小説を読み、感想を返せばいいのですが、
残念なことに彼の文章能力は、私個人としては褒めることができません。
精読することすら困難を感じます。読めないものに感想は書けない。
まだまだこれから磨かれていくべきものだと思います。

そんな状況下、彼は私に必死に受験指導を試みました。
彼は自分が「普通」から外れることに常時必死なわけですから、
指導の内容は「普通」ではありません。

そして、「普通」ではないものを認めさせるために権威付けを行います。
それが過去の受験での自分の成績を誇示することにつながります。
「普通」ではない好成績の誇示。
「普通」ではないのを世間に認めてもらえた数少ない事のひとつです。
彼の「普通」は試験の成績に支配されているのです。

もしくはノーベル賞学者の後輩であることに。
医師の半数より成績が良かったとか、
ほかにもありましたが、「普通」からの逸脱に価値を求めているのは同じです。

 
少し彼から離れます。

「普通」とはなにか。

ここまでで使ってきた「普通」と言う言葉がその意味を少し変えていきます。
混乱するかもしれませんが前もって断っておきます。

PSWの実習で指導者に「普通とはなんですか?」と私はたずねられました。

これを読んでるあなたは即座に答えられますか?

「普通」は「普通」だ。
「世間の平均」だ。

その程度に考える健康的な人が多いと思います。
あるいは「異常ではない」ことだとか。

でも、どれも何の説明にもなっていません。
あるいは「他の人と同じこと」が「普通」ですか?
それも説明にならないですね。

私に教授された結論は
「限られたその人の周囲で関わる人が困るような逸脱が無ければ普通」
わかるようなわからないような・・・。

でも、これは精神障碍者への対応を考える大きなヒントになります。
周囲が困れば「普通」ではないので対処が必要になります。
困らなければ「変わった人だね」でおしまいです。
介入がおせっかいになるか否かの境目です。

話を元に戻して件の彼ですが、
わたしは散々困らされたので「普通」ではないと判断し、
対処の方法を考えました。無視すればよかったのでしょうが、
できなかった。なぜでしょうね?

「普通」についての認識を彼は持っていないと私は思いました。
気づいてくれるかどうかわからないし、
気づけないのが精神障害というものです。

では、どうすればいいか。
学習してもらうには過去を振り返ってもらうのが一番です。
何をすると非難され何をすると受け入れられるか。
「自分の周りの人を困らせない」やり方に気づけるか?

歴史から学ぶこともひとつの手だと考え、彼の過去を引っ張ってきました。
今、現在のやり取りから距離を置いて、
冷静に過去を振り返って考えることが出来るように。

そうしたら今度は私が「普通」ではないということになりました。
今こうして蒸し返しているのも「普通」ではないのでしょう。

「普通」でないから排除するというのは、現実的ですが、良いか悪いか悩ましいところです。
「普通」ではないから、「困らされるから」「嫌だから」見ないようにする・・・。
それは自由です。彼へ対応する気がないならば無視でよいでしょう。
そして、対応する義務もありません。
もっと言えば、彼の自由にさせることが彼の権利を守ることでもあります。
場合にもよりますが。 
 
 

いろいろ考えてみたものの、彼が気づいてくれるかどうか・・・。
「普通」を獲得して自己の文学世界を世間に知らしめることができるか。
編集者との対応で「普通」の対応が出来るか。
(たいてい自覚無く「普通に対応できる」と言うでしょうが・・・)

彼は難しいことに挑戦しています。
自身を「普通」な状態にもって行きながら「普通でないもの」を生み出す作業です。
問題作とはならなくとも文学上、意味のあるものは何かが「普通」ではないでしょう。
読んで悩む人が出たり、社会的な影響を及ぼすことになったり。
ペンの力で困らされた人は多いでしょう。その逆も然り。
それは「普通」ではないことによる力です。

彼には何かを成し遂げようという意志を感じます。
 
 
 

「普通」についての考えが私の頭の中を巡っています。
私はまだ精神的に安定していません。
わたしだって「普通」ではありません。

もっと言うと他人に迷惑をかけない人間はいないのですから、
みんな「普通」ではないのですが・・・。
折り合いを付けて毎日が過ぎていきます。

彼が「普通」じゃないのは彼の生命線です。
そしてそれを保って「普通」な生活を送れるようにする。
傷だらけになったとしても、それは仕方の無い傷だと思います。
転んだら起きる。彼はそれは出来るようです。
ただ再び同じように転ぶ。

私も何度も転びます。転んでいます。今回も転びました。
精神障害との闘いはその繰り返しだと思います。

私も彼も精神障害者です。
だからこそ傷つくのを恐れてはいられません。

そして、私の文章に傷つく人は、なぜ傷つくのか考えてみて欲しいと思います。
大きなお世話だと言うでしょうが・・・。ええ、考えなくて結構です。
健康的な精神生活を送るためにはこんなことを考えていてはいけません。

私も変わり続けます。
この文章内でさえ「普通」の意味がどんどんずれていきました。
これからも変わるのでしょうが、たぶん正解はありません。

こんな「普通」でない文章を最後まで読むようなあなたは
「普通」じゃない可能性が高いと思います。

自ら「普通」について考えられるくらい「普通」ではない人だと思います。

「普通」には困らされます。
「普通」では考えられないくらいに。

あの「彼」が多分、この文章を読むだろうとわかってあえて書いてます。私自身の「普通」でないところは病気というものではなく、性格の悪さに起因するものです。試験は終わりましたが、様々な形でかけられた呪いの言葉はまだ私に突き刺さっています。気分を変えろとか忘れろとか簡単に済むものではありません。消化されるまでしばらくかかると思います。

繰り返しますが、私は性格が悪いのです。

さんざん落ちるかもしれないと遠まわしに言い続け、数々の呪いをかけながら人を振り回し、自己顕示を続ける。そして彼の発言は看過され私の発言は看過されない。彼の人徳の賜物でしょう。そして「普通」のネット社会を理解していない私が狂っているのですね。
 
 

ああ、また読者が減る記事を書いてしまいました。

メイラックスを指示の4倍、飲み過ぎた。

メイラックスを処方してもらっていました。

1mg錠を1日2錠分。夕食後に様子を見ながら自分で調整しながら1錠もしくは2錠飲むようにとの指示が出ていたはずでした。

で、本来の服薬の指示を勘違いしてしまっていることに診察から2週間して気づきました。

間違えて、朝晩2錠ずつ、毎日飲んでいたのです。予定としては1錠を夕方服用すると言うのが基本だったはずが、その4倍を飲んでいたわけです。で、副作用が出たかと言うと、まったくいつもと同じ状態。変化なし。

やけに薬の残量が少ないなと思って確かめたら、これはえらいことだと。

血中濃度の半減期が120時間。徐々に影響が出てくるはずです。
反発症状が出る薬らしいのでこれから1週間くらい何が起こるやら・・・。

しかし、自分の薬に対する鈍さには困ったものです。
試験も終わったことだし、何が起こるか自分を観察したいと思います。
いい勉強になるかな。

しかし、これでは日常生活能力の通院、服薬が d 判定だ。

試験に追われて何もかもが崩れてしまいました。
所詮、私はその程度の人間なのです。

そこまで追い詰められていたという事でもあるのですが、今、やらなきゃならないことが多すぎて、完全に休めない。なんで病人にたくさんの書類を書かせて提出させるのか。お役所は書類で動くのはわかるのですが・・・。

科目修了試験が終わり、ひと区切り、そして。

二年半の緊張した生活をやっと切り替えられます。
仕事と勉強を両立させるのが目標でしたが、
いろいろあってそれはかないませんでした。
しごと辞めてしまいました。

3年前の9月ころ科目等履修生として学校に入り、単位を取得。
2年前の4月にそれを昔の大学生時代の単位と合わせて4年次に編入学。

入って1年で資格が取れると思っていたら大間違い。
資格に必要な科目の履修のためには前年度中に選考試験に合格し、ボランティア体験をした上、実習施設を見つけておかなければならなかったのです。このあたり毎年やり方が変わるらしく、今後挑戦しようとする人は事前の調査が必要です。

課題をこなして、去年の6月にスクーリング。クラスの皆さんと初顔合わせ。皆さん社会の第一線で働く人ばかり。そんな中、当事者としてどんなPSWが望ましいかを突然スピーチさせられて、冷や汗をかきました。

8月から9月にかけて実習に精神科病院へ。
作成した書類は結構な量になりました。毎日午前2時3時まで報告書を書く生活が4週間。

休息できる精神状態に持っていくことができなくて、再発ギリギリでの綱渡りでした。
かかりつけの病院では休息入院をすすめられましたが、強引に突破しました。

試験対策を始められたのは10月頃から。
体調は滅茶苦茶でした。

そんななか、何回か関連する授業を受けに
はるばる片道3時間電車に揺られてスクーリングに行ったり。

模擬試験を何回か受けて、12月にもう一度実習についてスクーリング。
実習の発表会です。

そして1月末に国家試験。

で、きょうの試験であとは国家試験も含めて結果の発表をもっておしまいです。

いろいろありましたが、漠然とした夢は現実になりそうです。

しかし二年半で足元は崩れ去りました。

来週には新しい足場を探しに遠征です。
周囲は今後の計画を知って再発を懸念しています。もっともです。

そんななかいろいろ雑音を拾ってきました、
それらもすべてを生かして次へ進みます。

まだ、お礼を言える段階ではありません。

現在、再発の兆候もあります。ここ数日のブログがいい証拠です。
被害感情が止まらなくなるのは、自我が壊れかけてるからです。

いまから、全世界との戦争です。
盗聴器を探さなくてはなりません。カベにはピンホールカメラが。
道行く人が自分のことを噂し、
ネット上では自分の個人情報が裏で流されて嘲笑されている。
見えない敵と戦い続ける・・・。

そんななかで平静を保って、PSWになる。
精神障碍者のノーマライゼーションを語る人は何を思うでしょうか?
偏見や不信、差別・・・それらを無くすことは単純に問題の解決になりません。

この先の道の険しさは15年の病歴から想像できます。
いままでの道のりよりずっと険しいでしょう。
想像を上回るのは間違いありません。
私の想像のおよぶ範囲はたいしたことがない。

『「クレタ人がクレタ人はうそつきだと言った」さてクレタ人は正直か?うそつきか?』

そんなクレタ人に失礼なパラドックスがあるそうです。

それをもとにこんな風に思います。
「私は誠実に不誠実な自分を見つめて行きたい。」と。
そして「責任を持って無責任な自分に対処したい。」と。

とりあえず休息です。
私は疲れました。
勉強にも、生きることにも。

休んで、また勉強です。そして生きていきます。
その必要があるのかどうかまったくわからないのですが。