カテゴリー: 統合失調症

統合失調症の症状と病識と

陽性症状が出てはじめて病院に行ったのが15年前の春。
そのときはFMラジオで自分のことを婉曲に馬鹿にされているという妄想がありました。
街を歩くと、向こうからその頃読んでた本の著者の有名な大学教授が歩いてくる。
商店街では遠く離れた地にいるはずの初恋の彼女がトラックから荷下ろしをしていたり。
バスに乗ると後ろに座った子供が自分を馬鹿にしてきたり。
自転車で交差点にかかると必ず自分をつけねらう車にとおせんぼされたり。
下宿では天井に穴が開いていて、そこからカメラで盗撮されてはるかかなたのTV局で放映されていたり。

…ってなことが妄想として次々と。
ラジオの音量が自分の言葉に対して反応し、ボリュームが大きくなったり小さくなったり、自分の家の前に自分を監視するための車が止まる音がしたり。…これらは幻聴の一種だったのでしょうか?上階の住人が延々と「スタンド・バイ・ミー」のイントロをギターで弾き続けたり…ってのはただ二階の人も変だったのかもしれないけど。

周りに狙われててそのうちとんでもないことになる、と親に電話したら親がすっ飛んできて学校の保健センターへ。
で、病院で投薬を受け、症状が消えていったわけですが、陽性症状が消えても困ったことが残ります。

いわゆる「病識」があるという状態まで回復しての話なのですが、病気が消えても障害が残ります。

自分で見たこと聞いたことが素直に信じられなくなること。目で見えるものはそのまま信じられない。耳で聞いたことは病気が聞かせているのかもしれない。「百聞は一見にしかず」が空虚なコトバに感じられます。
実際に見えたり聞こえたりしてたことが自分の脳内で作られたまぼろしのものだったわけですから。いまみえてるものが本物かどうかわからない。人に聞けば分かるか?その人が言うことも幻聴かもしれない。いや、その人の存在すら妄想の中なのかも。

また、自分の「考え」も信用できない。正しいと思ったこと、信じてたことがそうでなかったから。
自分の判断のための理由になる情報がゆがんでいて、判断自体も弛緩している。
で、判断がことごとく狂うと自覚するから、自分から積極的に行動が出来ない。なすすべがない。

当時の医者いわく、私が見たり聞いたりしたことをそのまま話すと「それはあなたがそう思っているだけでしょう?」と。
この世界すべてが、これから起こるであろう事もすべて「そう思う」だけなのか…?

論理的な思考をすれば、病的な思考から抜け出せると思う方もいらっしゃるかも知れませんが、論理というのはその根本となる公理系が正しくないとめちゃくちゃになるわけでカンタンなことではないのです。

根本が間違ってる可能性を考えつつ最善の思考をめぐらせなければならない…。
「病識」という言葉はよく使われるけど微妙なコトバです。

健康な人はその辺が「常識」や「勘」というので不都合なく生活できてしまうのですが、
それが上手くいかないのが統合失調症。

健康な人に対しても「ゲーデルの不完全性定理」かなんか持ち出して、あんたらも病者と同じで気づいてないだけだ!とか言ってしまいたいのですが、それこそ妄想が出てると思われて薬を増やされそうなので言えません。

えーと、何を言いたかったんだろう。
気づかなくてもいいことに病気を通じて気づかされてしまったということなのかな?
そんなんじゃなくてただ暮らしにくいことを言いたかったような気もするのだけど。

また考えます。

薬を一種類増やしてもらいました。

今日は通院日。

最近の睡眠状況と日中の体調について「あんまりよくない」旨を訴えてみたところ新しくメイラックスというお薬を処方してもらえました。
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se11/se1124029.html

ただいま夕食前にはじめて飲んでみて、効いてくるのを待ってるところ。3~4時間で効果が現れるということで、今晩ゆっくり眠れると良いな。生活をシフトダウンして少しでも楽な方向へと舵を切っているところなのですが、来月、再来月の修行(実習)でどのような変調が現れるかちょっと心配。

最近、自分自身の障害に対する見方が少し変化してきています。
就労して出来る限りの仕事を精一杯しようというのから、
余力を残して元気で暮らせるように…と。

元気というもののとらえ方が人によって違うと思われるのですが、
少しでも心穏やかに暮らしていければいいなと思います。

明日は出勤したら、お役所に提出する書類と商品在庫をチェックしてまとめないとなりません。
ちょっと緊急度が高いので無事こなせるか不安です。

薬で落ち着いてこなせればいいのですけれど。

力士保健及び力士福祉に関する法律

自分が代議士になったらどんな法律つくるだろ?
やっぱ国のことを考えなくちゃ。ようし、国技について考えてみよう。

某法律をちらちら見ながら…。法案を考えてみました。


力士による暴力事件等の多発を受けて、政府与党は対策法を国会に提出しました。
力士はその肉体的特質と、合法ではありますが暴力を職業とするという特殊性、及び国技という名のもとに運営が行われる以上、国家の責任による厳重な管理の必要がありかつ保護を要するものであります。


力士保健及び力士福祉に関する法律

第1条 この法律は、力士の取組及び稽古を行い、力士自立支援法と相まつてその社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行い、並びにその発生の予防その他国民の力士的健康の保持及び増進に努めることによつて、力士の福祉の増進及び国技の向上を図ることを目的とする。

第24条 行司は、職務を執行するに当たり、異常な挙動その他周囲の事情から判断して、取組のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる力士を発見したときは、直ちに、その旨を、もよりの親方を経て横綱審議委員会に通報しなければならない。

第29条 親方は、第27条の規定による立ち合いの結果、その立ち合いを受けた者が力士であり、かつ、取組及び稽古のために入幕させなければその取組のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたときは、その力士を親方等の設置した国技館または巡業先で入幕させることができる。

第36条 相撲部屋の管理者は、入幕中の者につき、その取組又は稽古に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる。
2 相撲部屋の管理者は、前項の規定にかかわらず、信書の発受の制限、都道府県その他の行政機関の職員との面会の制限その他の行動の制限であつて、厚生労働大臣があらかじめ横綱審議会の意見を聴いて定める行動の制限については、これを行うことができない。
3 第1項の規定による行動の制限のうち、厚生労働大臣があらかじめ横綱審議会の意見を聴いて定める力士の隔離その他の行動の制限は、親方が必要と認める場合でなければ行うことができない。


 

なんだこりゃ。…へんな法律!
代議士さんってすごいね。まねできないや!
 
力士の危険性と精神障害者の危険性を一緒にするなって?
どっちも似たようなもんじゃないの?

にんげんだもの。

精神障害者は苦しんでいます。
社会のための法律なのは百も承知。
でも、だからといって苦しみが軽減されるわけではありません。 
 
…すいません。こんどはもうすこしマシなネタ考えます…。

「障害はこころにはないよ社会にあるんだ」

精神科ユーザー2人と弁護士の書いたすばらしい本でした。

「精神障害者」というくくりが社会の適切な対応を妨げているんだろうか。
とはいえ、他のくくりを持ってきても言葉が変わるだけで差別自体は続くのだろうし。
これだけ根深いと「差別」が人間の遺伝子に組み込まれたものなのではないか?と恐ろしくなります。

差別はされる側にとってはとんでもない苦痛なんだけど、
する側にとっては何で苦痛なのかがわからないんだな。

 
 

しかし、
ここで明らかにしておきたいのは私は差別主義者だということです。
特定の対象をほかのものとはまったく別扱いにしています。

私は世の中の「ネコ」というものに他のものとは一線を引いて激しく差別しています。
見つけ次第捕獲を試み、強制的に拘束したならば、いやがるのを無視してなでくりまわします。
彼らの肖像権を無視して写真を撮影してみたり、彼らの自立を阻害するのを知った上で食物を与えたりします。

さらには行動の自由を制限し、家に閉じ込めたりもします。
首輪をつけて、獣医に強制連行したりもします。
「またたび」という薬物を与えて彼らの理性を失わせ、その様子を見て楽しんだり…。
不適切な薬物投与は精神科医療でも問題になっています。まさに悪。

ああ、なんて非人道的なことを私はしているのでしょうか。

…それなのに、なんでうちのねこはのんびりしあわせそうなんだろう。
ねことひとを一緒にしちゃいかんのだろうけど、問題は予想以上に複雑な気がします。