みんなが見にきてくれてるから、今の心境です。
http://ansaikuropedia.org/index.php?title=地獄への道は善意で舗装されている&oldid=806595
こんな気持ち。わかりますでしょうか?
たぶん、悪気はないんだろうけれど、結果的に災厄を招くわけですね。
みんなが見にきてくれてるから、今の心境です。
http://ansaikuropedia.org/index.php?title=地獄への道は善意で舗装されている&oldid=806595
こんな気持ち。わかりますでしょうか?
たぶん、悪気はないんだろうけれど、結果的に災厄を招くわけですね。
批判的文章を書くときにいつも思う事があります。
それは、自分の言葉は自分の思考の幅までしか届かないという事です。
ゆえに、他人を批判するときにはまさに自分の鏡として文章が紡ぎ出されます。
自分が他人の思考を批判するときは、同時に自分の思考を批判しているわけです。
あくまでも、他人と思っているのは、自分の中で作られたその他人の像に過ぎません。
自分の中で他人の像を作り出すのには、自分の中でのボキャブラリーやモデルしか使えません。思った事を表現したり常識を語るとき、それは他人の姿をした自分の影を語っているわけです。
常にそんな事を考えていては何にもかけなくなってしまうから、
普段は気楽に構えて書き綴れば良いのですが、クリティカルな場合は注意が必要だと思います。
シバさんにこないだ指摘されたけれど、疲れているときには視野狭窄が起こりやすいです。
自分の中での他人の姿はあくまでも自分で組み立てたものなのです。
しつこく繰り返しちゃってるけれど、
ひとを批判する事は、自分自身を批判する事にもなります。
日頃から注意していないといけないことではあります。
まあ、普段そんな事考えていては、疲れてしまうから気楽にしてブログを綴るわけですが・・・。
人間って面白いね。
PSWになるためにいろいろ指導を受けたのだけれど、
その中のキーワードに「自己覚知」というものがあります。
詳しい意味はそのスジの本で学ぶのが良いと思うので割愛します。
カウンセラーや精神科医の「転移」「逆転移」や、
もっと一般的には他人に「巻き込まれる」という事態と同じ系統の話だと思います。
それが必ずしもいけない訳ではありません。
しかし、そういう状態にある事は自覚しながらでないといけないなと思います。
堅苦しくなったけれど、現状楽しくやれているので良いかなと思います。
つうか、そんなことより確定申告をはやくしないといかんのだ。
仕事に戻らなくちゃ。
毎日.jpより。あの入試カンニング事件の記事から。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110303k0000m040144000c.html
<前略>
入試問題の投稿者と同じ「aicezuki」を名乗る人物はヤフー知恵袋に、仙台市内にもある大手予備校「河合塾」の今年の冬季講習で使われた京大対策教材に掲載された英語と数学の問題を投稿したり、「宮城県仙台市でいい精神科・心療内科を教えてください。よろしくお願いします」と絵文字付きで投稿している。【太田裕之、林哲平】
この記者、なんかやな記事書きそうな気がする。どう思う?
なんでそこに注目して報道するかなあ。
そこってのはそれ、そこなんですけどね。
こういうほのめかすようなのって、とても嫌。
春先の環境変化を待つ、発病手前の人が読んだら引き金を引く原因になりかねないかと。
被害妄想とか関係妄想とかの。
社内で禁止されてるであろう言葉を使わなければ良いってもんじゃないだろうに。
しばらく静観です。
スルーすればいいんだけれど・・・。
懲りずに横やり。間接的に。一般的な問題でもあるから。
世間では本人に直接苦言を言う方は少数派ですよ。
理解してもらう事が努力の放棄の様におっしゃる方が
捨てぜりふキメて去っていく件について。
それと障害を理解してもらう事が、簡単ではない点について。
理解ってのは健常者同士でも難しい。はず。
だから理解をむやみに求めるのは危険かと思いつつ。
そして、統合失調症については
「自分自身の理解」すら難しいというところがあります。
そこが「病識がない」ってやつの一部なわけです。
(自己を理解するのは健常者でもやっぱりむずかしいけど)
普通の人(普通って何?というのはおいといて)は、トラブルに対して
ある程度の耐性があったり、逃げるタイミングをはかる事が出来たりします。
そして、今回の件のような微妙な事をうまく消化できるのです。
ですからこの問題は、双方、この病気らしいトラブり方とも言えるけれど。
統合失調症はそこらへんがうまく対応できない病気でもあります。
だからSSTとかでトレーニングするわけです。
「理解して欲しい」のは、そういうあたりの事情だと思います。
トラブルや課題ををうまくあしらうスキルに欠ける点も含めてですね。
で、疾病利得の件。病気だという事で得をするということについて。
私たちには「配慮」ってのはやっぱり必要なわけなんですよ。
だって、病気なんですから。
それを逆手に取って「病気なことを利用している」様に見える点が問題です。
それを努力の放棄だと見なされてしまうのはイヤな事だけど。
でも、ここはひとつ割り切って援助を気持ちよく受けるというのがよろしいかと。
で、大事なのは、ギブアンドテイクの精神だと思います。
何かしてもらったら、お礼するなり、いざというときその人を助けたりするとか。
もらいっぱなしじゃ、そりゃ何か言われちゃいますよ。
で、自分で出来る事は何か考えないといけないわけです。
何でも出来る人はいないし、できることがない(と思い込んでる)人もいる。
(何でも出来ると思ってる系統の方もいらっしゃいますがそれはそれとして・・・)
で、「努力」の登場です。努力して出来る事を作れと。
一般社会では正論なんだけれど、
私たちは努力しようとするとそれで壊れちゃう事があるので困るわけです。
なんてったって「努力しなくちゃいけない」って考えるだけで病状が悪化しかねない。
だから、お返しができない。
それをながめていると一方的にもらうだけの子供オトナに見えてしまい、
今回のような苦言につながってくるわけです。
お返し無しでもらってばかりなのをずっと見てると
そりゃ気持ちのいいものではありません。
ここは理解してもらわなければいけないのだけれど、
理解しろと強弁するわけにもいかない。
みんなの好意にただ乗りしてると思われちゃうわけです。
そのへんが「疾病利得」ってのを利用してうまい事やってるなあいつめ!
ということになるわけだと思います。
「無理しないでね」という一方で「努力しろよ」となるのは
以上のことがらがこんがらがっていて、不可分だから。
よく考えると、むこうが「なんかくれ!」って言ってるわけなんですが。
たぶん甘えてるのはお互い様なんでしょうね。
で、最近(でもないか)の傾向で、こんな本をご紹介。
こーいう傾向の言論があるんで、
統合失調症もうつ病もあれやこれやの病気の人間はちょっと肩身が狭い。
で、おすすめはこれ。ちょっとだけ前の本だけど。
人によって好き嫌いがまっぷたつに分かれると思いますが。
まあ、言葉を尽くさずに去るってのはどうかと思う。
でもね、徹底的に闘う当事者ってのもいるわけですよ。理解を求めて。
アメリカ産の古典的書物があります。
ここまでやっちゃうとなんか別の意味で問題あるんじゃねえかと思ったりしますが。
障害への理解を求めるってのは簡単に言う事じゃないんだなと思います。
必要な事だけど。
・・・なんで私ってこうも上から目線なんだろう・・・。
嫌んなってくるけれど、受容して努力しなきゃいけないのかな。
「コレ、私(あさ)の障害だからみんな許してね!!努力してもなおんないから!!」
っつーたら、あなたは腹が立ちますか?
ゆうべは表計算ソフトとにらめっこしながら、
いろいろと考えをめぐらしていました。
これからどうやって食っていこうかというときに
切り札になるものを作ろうかというところです。
今、徹夜明けの寝ぼけた頭でいるのですが、
割と夕べはいい仕事が出来た感じです。
さて、クリニックへ行って薬もらったら昼寝して
その後データ入力の仕事です。大丈夫かな?
でも、今まで悩んでたものがスッキリしたのでいい気分。
あとは考えた事をどこまでコーディングに反映させられるかです。
ふんばりどころですので、体調をよく吟味しながら無茶していきます。
とりあえず、交通事故には気をつけよう。