統合失調症の人には病識がないといわれているけれど、
最近は「当事者研究」だの「回復者」だの「サバイバー」だの
「ピア・カウンセリング」だの「ピア・ヘルパー」だのと
自覚の下に社会復帰に向かったり、病気を受け入れたりという方向にあるようです。
よく「体調が悪い」という表現で病気の状態が悪いことを言うけれど、
何か違和感を感じてしまいます。陰性症状が強く出ているのはわかるけれど。
で、擬態による疾病利得についてなんだけれど、
何をもって擬態と判断するのかを含めて、利得とは何か考えてしまいます。
精神障害は脳の働きがうまくいかなくなって起こる障害だ・・・。
と、昔は「病気→機能障害→能力障害→社会的不利」
というモデルで語られていたのだけれど、
最近では「心身機能」「活動」「社会参加」「環境因子」「個人因子」が
相互に関連して「障害」を形作るという考え方をするようです。
昔のモデルは「ICIDH」モデル、現在のは「ICF」モデルとしてまとめられています。
単純に症状を「擬態」するだけが「障害」ではないわけです。
そして、統合失調症は病気と障害が同居するとも言われ、
社会的なスティグマなども絡み合って不利益を被るわけです。
で、そういうのを擬態するっていうのは、
疾病利得だけを享受することはできないと思われます。
精神障害者のリカバリーでは、病気の側面だけを考えていてはいけないわけで、
社会参加など、多方面からのアプローチが必要となります。
で、私ですが、病気の症状は薬で押さえ込んでいるのだけれど、
一人前に生活するための社会的基盤がまだありません。
いまやっている仕事がいつまで続けられるか?大変不安です。
そんなことを繰り返すうちに、「体験としての障害」っていう
またよくわかんない障害に襲われることになります。
ここまでくると、もう理解困難です。
環境因子を整えるために思い切って都会に出て来たり、
社会参加のために仕事を始めてみたり。
手を尽くしているのですが、まだまだリカバリーには遠いです。
どのラインまで到達すればリカバリーできたということになるかはわかりませんが。
もともと人間には得手不得手があるので、
いわゆる健常者もなんらかの障害を持っていると捉えることもできます。
社会復帰するために、自分で自分の尻を叩いているのを見て
「擬態だ」とか言われたら嫌だろうな。
もっともBPDのようなものがベースだとさらに厄介ですが。
いや、厄介って言っちゃいけないですね。
「くるい・きちがい考」なだいなだ著
とかを読むと、いろいろ考えさせられます。
擬態かどうかってあんまり重要ではない気がするのですけれど。
失われた年月は戻ってこないし・・・。
問題自体は解決しないし。
擬態は置いといても、なぜその症状で統合失調症なんだろうかと思う方もちらほら。
病気になりたくてなるというのはやはり病んでるわけで。
社会も個人も病んでいるわけですよ。そこに精神科医の需要が発生するわけで、
顧客満足を目指せば結果は当然・・・。