ぽっかりあいた一日

朝、ボランティア先に休むと告げて、

そのまま睡眠。何も考えないでいられるのは寝ているときくらい。

午後5時、耳鼻科へ治療に行って来る。

で、一日が終わる。

枯れるのを待つかのように。

八方美人がキレる時

今日の収穫。WRAPの勉強の副産物。&blog上での対話+いろいろ考えてみて。

ストレスをため込んで急に爆発する性質のある者は、
周りにその旨を周知させておくべきである。

と、いうわけで私はボランティア先の方々によく話しておかないといけない。

私のストレスのため方は前の記事など参照。

なにか新しいこと始めようというときは要注意。
仕事に必要だから・・・と、書籍を買い漁りはじめたり、資格を取ろうとしたり。
それはストレス回避の逃げとしてなにかをしようと考えているからだ。

そして、いろんなことを抱え込んで内部圧力が指数関数的に増してゆき爆発へ・・・。

できないことはできないと言えるように自分を知らなければならない。
でも、できることを増やさないと職場に適応できない。
できないと思うことも「やってみなくちゃわからない」。

むずかしいや。
みんなが頑張って働いている中では、全力でないと私はついていけない。
無理を承知で挑戦を続けねばならない。

でも、無理なものは無理なのだ。一方で努力は実るものでもある。

あきらめてはいけないけれど、なにか方法を考えないと。
努力を惜しまず、ストレスを溜めず。

スーパーマンにはなれないし。どうしたものか・・・。

(意識が自分の方向しか向いていないというのも問題ではあるけれど、自分に問題があり、自分が悪いんだと思うのだからしょうがないのかなと思ったり、他人や社会にもっと意識を向けた方がいいのかなと思ったり。逆にそれゆえに爆発は内向きに、自分の方に向かうので他害の恐れはあまりないとは思う。思考が停止してるのかどうかも定かではなく苦しいような歯がゆいような。)

自己コントロールを意識すると調子を崩すらしい

ここしばらくの不調の原因が頭の中で少し解けてきました。

自分に対するコントロール意識が過剰になると不調を呼ぶらしいこと。
逆に、何か他の対象に意識が向いていればそれほどでもないこと。

「日常」に対して意識を向けすぎると何でも苦痛になる。
それは「改善」が目的でも「自由」と引き換えになることによると思う。

管理することは必要だ。で、管理ができていないからダメなのだと思っていた。

だけど、過剰な管理の実行は多大なストレスになることに気づいた。

「とらわれ」とでもいうのだろうか?

人間は機械ではないのだ。
論理で固めてもはみ出す部分が常にある。
それを納めようとすれば無理が生じる。

また、一つの問題に解答は一つではない。数学ではないのだ。

幅をもたせて、しかも自己の領域についてはキッチリと線引きをしないことが大事なのだろう。
あいまいなままにつかみどころのないものを制御する。
そこになにか本質的なものがあると感じる。

マニュアルではなく、動的に変化するものに対応していく手段が必要だ。
手段もこれといって定まったものではない。手段も動的に変化するに違いない。

そこでなにか特効薬があるかと言えば、ないのだ。

ここしばらくのストレスはそのあたりの齟齬に起因するものだと思われる。

まだしばらく考えてみたい。
自分のこころをリリースしてやりながら。

明日こそは

明日はボランティアに行かなくちゃ。

みんなに心配をかけてしまっています。

でも、自分が難しい立場に立っているのも事実で、
それに伴って心の奥底でなにかが引っかかっているのも事実。(いや、妄想か?)

何か打ち破らないといけない。
もしくは迂回路を見つけなくてはいけない。

それができないのが自分の弱さであり、障害の一部であり、課題でもあります。

その場にいるだけでも意味のあることだと自分に言い聞かせて、
明日は針のむしろに座ってきたいです。

ああ、なんでこんなに苦しいのだろう?
原因を見つける必要があるのだけれど、「当事者研究」ってこういう過程を形にしたものなのかな?

もっと自分がおおらかになれたなら良いのだけれど。

しごとさぼっちゃった

正確にはボランティアを。

「調子が悪い」という魔法の呪文で逃げられるんだけれど、

「それじゃ仕事は紹介できませんね」という当然なリアクションを受けるわけで・・・。

なんでボランティアに行けないのか自分でもわからない。

朝は7時半には起きている。9時ちょっと前に家を出れば良くて、9時15分から仕事は始まります。

なんでだろう?

自己の奥底になんかあるっぽいけれどガッチガチに抑圧されてるみたい。

これは小学校に上がる前からあるもののはず。そんな気がする。

とりあえずみんなに迷惑をかける私は悪人です。