気分のコントロールができない日

今朝は起きられなかった。

気分が悪い。…そう表現するのが最適なんだろうな。
相当疲労がたまっている。というより、これからのスケジュールを考えてうんざりしてくる。
試験とか、仕事とか。

私生活では切り詰められるところを切り詰めて、ストレスを抑えてる。
blogもガス抜きに重宝している。

仕事では嫌な空気を感じている。
なんであんなに空気を悪くする態度を取れる人がいるのだろう。
本人は周りを改善しようと思ってるっぽい。
正義の味方とは思ってないらしいが、自分が悪者になっても組織が良くなればいい…と思ってるらしい。
もっと穏やかなやり方がないのだろうか。

正直、一緒に仕事をしたくない。
自分がその人がいなくなったとして穴を埋められるかと言うとそんなこともないのでくやしい。
なんであんな人格なのかわかんないけど、自分に自信のあることだけ主張して、そのほかの問題点は知ったことではないとでもいわんばかりの態度。できることだけはやっているのだからそれで良しとしてしまう周り。組織が良くなるには周りの人間の意識を変えねばならないとでも思ってる様子。

自分にできるかどうかわからないことばかりやっている私としては、とっても嫌な気分。
私としては先を見越して必死にできることを増やして穴をつぶしているのだけど、その人は「できないことはできない」で通してしまうのがずるくてうらやましい。その人だって何も努力してないわけではないのだろうけど、守備範囲外のタマ拾いはしないのがくやしい。それでいて組織の不十分さに憤っている。なんなんだろう。

そんな気分を抑えて仕事に通ってたわけなのだけれど、もうかなりくたびれてしまった。

くたびれた。

そんななか、PSWの模擬試験の結果が送られてきた。
70人中7番。正答率55%
母数が少ないんでアテにはならない。
共通科目がちょっと弱い。福祉の歴史系について勉強しないと。
法律も押さえてかないと。

でも、仕事が優先されるのかなあ。
まあ、仕事と大いに関係あるはずなのできっちり勉強しないと。

なんでこんなに気分が落ち込むのだろう。
落ち込むと言うのは正確でないかも。

季節の変わり目だからかなあ。

PSW実習報告書を書き上げて

PSWの実習の疲れから脱し、日々の仕事からの疲れに疲労の質が移行してきました。
動けなくなる前に実習報告書を思い切って仕上げました。

A4一枚にまとめろと言うのは難しいことでした。40文字×40行。
計24日間の集大成がこれっぽっち?

実習中、日誌は過剰なほどのボリュームで書き綴ってきました。
指導者の方からは「もっとまとめなさい」と苦言をいただくくらいに。

報告書は取り組みで感じたこと少々と、印象に残ったケースをひとつ取り上げてまとめておわり。

24日間はもっといろんなことがあって非常に苦しんだのですが、ほとんど割愛。
苦しんだ分成長したかと言えば、そうでもなく、自分を確認しただけで終わった感じ。

かなり考えた実習だったはずなのですが、枠もそれなりに強固で新しい発見に至ったわけでもなく、自分の当事者性を活かした援助についてはほぼ棚上げ状態です。クライエントは私の障害にかかわってくるのではなく、ご自身の障害で手一杯、PSWの側の過去(病歴や職歴)は援助にはあまり関係ない。むしろ邪魔になるのかも。今後、ピアの視点を使うポイントを模索していく必要があります。

あとは報告書の施設概要についての記述などで抜けているところを埋めれば書類上は片付きます。

さあ、国家試験に向けて切り替えをしっかりしないと。
現在、当初の計画からすでに数日の遅れが発生してます。
仕事の方も切り替えていくことがいくつかでてきて考えないといけないことが多数。
判断の遅れから周りに迷惑かけてることもあり、取り繕わないといけないこともある。

なかなかペースがつかめず、非定型なストレスに見舞われてます。
不安も強く、ここでしっかりしないと崩れはじめたら一気に崩壊しそうな感じもします。

月末~月初の事務作業も待ってます。
ファイルサーバの構築は技術的には目処が立ったのであとは予算をつけてもらえるかどうか。技術的に私のサポートをしてくれるメンバーさんがいてくれると助かるけど、

…厳しいなあ。

報告書できたし、なつやすみとりたい…。もう秋だけど…。

くるい きちがい考

PSW実習で指導者に「普通」と言う言葉をうっかり使ったら、「普通」ってなんだと突っ込まれました。暮らしていくのにさしさわりのないこと…位しか思いつかなかったのだけど、もっとよく考えろとのこと。暮らしにさしさわりがないってどういうことなのか?

学校のメーリングリストで他の方にどう思うか質問してみました。
そこで勧められたのがこの本。

じつは何年も前に読んで、枕元にいつも置いてある本のうちの一冊です。
「クルッテイル」のは個人ではなくて周囲の社会かも…。

普通に暮らすと言うのは狂った社会に自分を合わせて過ごすことなのか?
精神障害を負って、妄想なんかを抱えて苦しみながら社会にあわせる?
大変な事です。個人を社会に合わせるのも、社会を変革するのも。
 
 

実習指導者は「社会」というのを「クライエントの周囲の人たち」に限る事で切り抜ける事ができると教えてくれました。普段、マスコミででっかい問題が語られてるのを見て、社会全体の考え方を変えなくちゃいけないような気分になったり(障害者の権利を求めたり、偏見をなくそうとしたり)することもたまにあるのだけど、それは無理だし(いや、無理と言っちゃいかん。努力は必要だし)、逆に危険な考えでもある。

でも、困っている個人の周りで関わる人たちだけを少し変えることならできるかもしれない。(それでも難しいのだけど)クライエントの暮らしていく範囲でかかわりを持つ人たちに理解があれば、なんとかなっていく。暮らす範囲を広げる時はそのつど、すこしづつ理解を求めていく。地道だけど、苦しいけど、コツコツやるしかないのかな。

 
 
「普通」って自分の手の届く範囲でしか通用しない言葉なんだと再認識。
で、「常識」や「ルール」とかとも折り合いをつけなくちゃ暮らせない。
統合失調症の自分にとっての「普通」ってかなり困難を伴う「普通」だったり。
バイステックのいう「個別化」とも関係してくるんだろな。

「普通でないこと」「じぶんだけの特別なこと」を求めてみたくもなるけど、
「普通」を基準にしてしまう以上、たかがしれていたりするのだろうな。
そして、本気で求めたら周りのひとを困らせる。
「普通」との綱引きをしていく体力が必要なんだろな。
 
 
「きちがい」にあこがれる人もいるみたいな気がするけど、
病気にならなくても周りの人間困らせる人は「きちがい」なわけで
ほとんどみんなが「きちがい」なんだろうな。

ほっとするような、つまらないような。

存在とは?消失したバナナをめぐって

バナナダイエット」なる言葉が耳に入ってきました。
世間ではバナナを食べて痩せようとする方がいらっしゃるそうだとか。

統合失調症を発症した頃を思い出して、自分の感覚の確実性について考える。

統合失調症者の私の目の前にバナナがあるとする。

本当にそれはバナナだろうか?証拠はなんだろう?

黄色いからか?…自分が勝手に黄色いと思い込んでるだけではないのか?
細長いからか?…細長いと言うのはどういうことをいうのだ?直感的に細長いと言う感覚は受けるが、それは確実に細長いのか?ただ単に自分が細長いと思い込んでいるだけではないのか?
バナナであると言うのは自分がそう思っているだけなのではないのか?
あるいは、世間がそう思わせるように自分に対して仕向けているのではないのか?
何らかの作為によってそれがバナナに仕立て上げられているのではないのか?

皮をむいてみる。

なぜ皮をむこうという行為を行う事を思いついたのだろう?目の前の物体を前に皮をむかねばならぬ理由はどこにあったのだろう?動機はなんだろう?バナナであるから皮をむくのか?皮をむいて当然なのか?何で当然なのだろう?過去の経験から「バナナは皮をむくものだ」と言うことを学習しているからか?それって確実な知識なのか?自分ひとりの思い込みではないのか?回りのみんなが剥いているから正しいのか?みんなのやる事はいつも正しいのか?それに、みんなのやってることを自分が正しく観察できているかどうか自信を持っていていいのか?勘違いかもしれないぞ。

食べてみる。

本当に食べ物なのか?その証拠は?おいしいに違いないと言う期待は、今までは正しかったかもしれないが、今回も正しいとは限らないぞ。本当は食べ物じゃなくて、回りで見ていた人に取り押さえられて病院に運ばれて胃洗浄受けなくちゃならないかも知れないぞ。

おいしいか?

おいしくても感覚が変容して「ただそう感じているだけ」かもしれないぞ。口の中に入ってるものは自分の意図したものが入っているのか?意識朦朧としてなんかよくわかんないままに口に突っ込んでしまったのかもしれないぞ。

手元には皮が残っている。

これはどうすべきものか?食べてはいけないのはなぜだ?食べなければいけなかったりしないか?捨てるものなのか?自分が必要ないものだと判断したとしても、本当にその判断は正しいのか?正しいって自分が思ってるだけじゃないのか?

…しつこく書いてみたけど、統合失調症の急性期直後にはここまで極端じゃないけど、正しいと正しくない事が、妄想と真実(?)が混沌としてきわめて何を信じればいいのか分からなくなる。正しいと思ってた事が妄想だったというショックを周囲に演繹して恐怖に…いえ、ここまで極端ではないですよ。ないけど…妄想や幻覚と折り合っていくのはこんな感じだったり。あ、あくまでも私の場合について、若干誇張気味ですが。
 
 

「バナナダイエット」が注目を集める中、「バナナ最中」とクロスさせてこんな事思いました。統合失調症が疲れやすいのはこんな様な事をなんとなくこころの隅っこで考えてるからじゃないかなと思います。

いや、バナナが店頭から消えるってホントかな?
短期的ではあるけど「妄想」とからめておきたい気分です。

バナナ最中@統合失調症とのつきあい方


チョコモナカジャンボで驚いていてはいけない!

85ページだ!!

リサイクル社会の最先端を行く食品かもしれない!
食品衛生法上問題は山積するかもしれないが、これは革命的だ!
少し前にあった「ダンボール肉まん」なんか屁だね。

これは屁じゃない!!ミだ!!

ちょっと言い過ぎた。…結末が見えてしまったか…。
いや、この本けっこう面白いから。

バナナダイエットやってるみなさんごめんなさい。