エンパワメントは自ら力を身につけるべきであるかのごとき言説がある。
自発というものはいったいなんだろうか。
本当の自発というものはあるのだろうか?
アカさまを見ていて、様々なものを見聞きしながら影響を受け何事かを始めるところを見るわけであるが、
人間。全くのオリジナルなものなんて作れない。
もしそんなのがあったら他人には理解不能なわけである。
芸術家が理解されないものを作るのもその辺に根っこがあるらしいけれど、
障害者がエンパワメントされるという場合、他人に促されて活動開始するのが真のエンパワメントではない・・・
・・・ということはないと思う。
某所の某記述を見て思った。
健常者だって「自発」っていうのはあるのかどうか疑わしいと。
自らに力を与えると言っても、きっかけが専門職の働きかけであろうが、問題ではないように思うのだが。
当然、強制とは一線ひかねばならないが。
さて、ここに自由というものがなんであるかが問題になるんだろうけれど
全くの自由なんてモノはないわけで、
ああ、エヴァ的厨二思考に陥ることになってしまった。
社会の変革を考えるとき、自由がどーのこーの考えたりするわけであるが
何からの自由であるかをはっきりさせないといけないのだなと思ったり。
なんでこんなこと考えてるかっつーと
借りて来て見た「人生ここにあり」があまり面白くなかったことにあるわけで。
人生流れ流されて行くのが本来なのだろうなと思ったり。
で、自分はどーなのよって感じで、あがきにあがいて結局流されている。
自己実現?
それは狙ってやるもんじゃないと思うんだよなあ。
結果たどり着くものだと思う今日この頃なのでした。
何書いてんだおれ。