カテゴリー: 生活

求めることと求められることと自主性

ボランティアに行けなくなって1週間。

自分で求めて行っているはずなのに、何を求められているかを気にしている。

支援側はクライアントの希望に沿った支援をするわけだけれど、
私はクライアントとして、支援をしてもらう立場で、支援をする側の立場に立つという希望を出すという倒錯したことを求めてしまっている。そして求めているものが与えられているのに、受け入れられないということは、やはり私が悪いのだろう。なんだかなにをしているのかよくわからない状況を作ってしまっている。

しかし、実は自分が真に求めているものが何なのか覚知できない。

誰も私にそれを教えることはできず、私自身で見つけなければならない。

なにか代償が必要なのか・・・?代償とは何か?

このままだと自分を破壊しそうなのだけど、そんな力も残っていない。
緩慢に消えゆくのだろうか。

こういう感じ方をしているのが「調子の悪い」時の私である。

現場に出るときはそういう気持ちをすべて抑圧して笑顔を作るわけで、
それと、絶望している自分とのギャップに耐えられないのか?

とにかく元気が出ない。

「毎日仕事へ出ることができる」のが最低クリアしなければならないラインなのだが・・・。

自分が何に納得していないのかわからない。
逆に納得しないまま事を進めることができないのは弱さだ。

考えるな・・・。でも、解が出ないといつかまた繰り返す。
自分で答えを見つけなければ。

そして考えが自分に向いている限り不調は続くのだ。

野菜炒めとサラダの中間点

やる気の無い自炊をしました。

ベーコンの油のみで炒める。あとは塩こしょうのみ。

野菜炒めサラダ
野菜炒めサラダ

玉ねぎは半生。辛い。
ニンジンも半生。香りが強い。
ピーマンはそれほどでもない。
レタスはほぼ生。

ご飯が炊きあがる前に食べちゃった。

ご飯が炊けたら、塩でもふって食べよう。

調子の悪い日が続くときは生き延びることが第一ですよね。

じっと耐えていなくちゃ。

でも、ご飯の炊きあがるまで耐えられない私。

やっぱりダメな人間のだなあとがっかり。


で、ご飯が炊けたので、塩を振りかけて食べました。
おかずが何にもないけれど、鶏がらスープの素をお湯に溶かして飲みました。具なしスープです。

なんか癖になりそう・・・。

ぽっかりあいた一日

朝、ボランティア先に休むと告げて、

そのまま睡眠。何も考えないでいられるのは寝ているときくらい。

午後5時、耳鼻科へ治療に行って来る。

で、一日が終わる。

枯れるのを待つかのように。

八方美人がキレる時

今日の収穫。WRAPの勉強の副産物。&blog上での対話+いろいろ考えてみて。

ストレスをため込んで急に爆発する性質のある者は、
周りにその旨を周知させておくべきである。

と、いうわけで私はボランティア先の方々によく話しておかないといけない。

私のストレスのため方は前の記事など参照。

なにか新しいこと始めようというときは要注意。
仕事に必要だから・・・と、書籍を買い漁りはじめたり、資格を取ろうとしたり。
それはストレス回避の逃げとしてなにかをしようと考えているからだ。

そして、いろんなことを抱え込んで内部圧力が指数関数的に増してゆき爆発へ・・・。

できないことはできないと言えるように自分を知らなければならない。
でも、できることを増やさないと職場に適応できない。
できないと思うことも「やってみなくちゃわからない」。

むずかしいや。
みんなが頑張って働いている中では、全力でないと私はついていけない。
無理を承知で挑戦を続けねばならない。

でも、無理なものは無理なのだ。一方で努力は実るものでもある。

あきらめてはいけないけれど、なにか方法を考えないと。
努力を惜しまず、ストレスを溜めず。

スーパーマンにはなれないし。どうしたものか・・・。

(意識が自分の方向しか向いていないというのも問題ではあるけれど、自分に問題があり、自分が悪いんだと思うのだからしょうがないのかなと思ったり、他人や社会にもっと意識を向けた方がいいのかなと思ったり。逆にそれゆえに爆発は内向きに、自分の方に向かうので他害の恐れはあまりないとは思う。思考が停止してるのかどうかも定かではなく苦しいような歯がゆいような。)

自己コントロールを意識すると調子を崩すらしい

ここしばらくの不調の原因が頭の中で少し解けてきました。

自分に対するコントロール意識が過剰になると不調を呼ぶらしいこと。
逆に、何か他の対象に意識が向いていればそれほどでもないこと。

「日常」に対して意識を向けすぎると何でも苦痛になる。
それは「改善」が目的でも「自由」と引き換えになることによると思う。

管理することは必要だ。で、管理ができていないからダメなのだと思っていた。

だけど、過剰な管理の実行は多大なストレスになることに気づいた。

「とらわれ」とでもいうのだろうか?

人間は機械ではないのだ。
論理で固めてもはみ出す部分が常にある。
それを納めようとすれば無理が生じる。

また、一つの問題に解答は一つではない。数学ではないのだ。

幅をもたせて、しかも自己の領域についてはキッチリと線引きをしないことが大事なのだろう。
あいまいなままにつかみどころのないものを制御する。
そこになにか本質的なものがあると感じる。

マニュアルではなく、動的に変化するものに対応していく手段が必要だ。
手段もこれといって定まったものではない。手段も動的に変化するに違いない。

そこでなにか特効薬があるかと言えば、ないのだ。

ここしばらくのストレスはそのあたりの齟齬に起因するものだと思われる。

まだしばらく考えてみたい。
自分のこころをリリースしてやりながら。