カテゴリー: 統合失調症

私は人間だ。

静岡駅前
静岡駅前

人間は醜い。戦争を筆頭に愚かなことを繰り返す。

私も人間だ。

昨日の日記で頑張ろうと思ったのに
今日は日の出ているうちに起きることさえできなかった。

本来だったら通院日。先生に診てもらわないといけない日だったのに。
ワーカーさんとの面談も延期だ。

勉強も進んでいない。今からやるつもり。

人間は愚かだ。いや、私が愚かだ。

ここで、精神的にカラダをコントロールできれば普通に仕事に就けるし
いろいろな活動ができるのだろうけど、これが病気なのか。

正直、いまだにカラダは眠りを欲している。
がまんしなくちゃ。

今、2008/12/24 20:00
調子が悪い・・・。聖人になりたい・・・。

うう・・・師にあわせる顔が無い・・・。

師と対話して。

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師と夕日を眺めてきました。

師といろいろ話をした。

師はおっしゃる。
まずは目の前のことをかたづけろと。
具体的には試験をやっつけろと。

一日一日精一杯こなしていけと。

師は自らもそれはできてないとおっしゃる。
自分はだらしなくて、頭がわるいのだと。

でも、師は強さを持っていると私は思う。

(どういう文脈でおっしゃったかは省略するが
他人に面と向かって「あなたは頭がいい」などと言う。
師の言いたいことは言っているそのこと自体ではない
あえて頭がいいと私に対して言うことの裏を考えさせている。
かなり他人を操るのが上手い人だと思う。)

師は私に「もっとふてぶてしくなれ」とおっしゃる。
小心者の私をよく理解していらっしゃる。
(と、自分で自分を小心者だと言うことがふてぶてしくなるということですよね?)

他にもいろんなはなしを聞かせていただいた。
都会の福祉施設の状況なども聞かせていただいた。
師もまだ勉強を続けている。

追い越したいけど、なかなか追い越せない人だ。

でも、師と私とは違う人間だ。
目指すところも同じではあるが、役割は違ってくる。

出来ることをふやし、出来ないことを自覚できるようふんばらないと。

・・・でも、張り切っても3日もたないんだよなあ、俺。
ほんとに本気にならないと・・・。

師との対話

私には師がいる。ある施設で働くPSWの先輩だ。
師とはずいぶん長いこと対話を重ねてきた。

精神保健福祉士の資格試験の後、私は就職口を探しに都会に出てみるつもりでいる。
社会資源の整っているところで、病者としての自覚を持ち、かつ、一歩前に進むことが出来るか探るつもりだ。

しかし、私の生活能力は都会での一人暮らしに耐えられるほど高くない。
ストレスにも弱い。
自分の障碍を受け入れ切れるかもわからない。
プライドもある。

一人暮らしが出来るのかわからない上、
オープンで仕事を探して、十分な暮らしが保てるのか自信がない。
師は私を抱えきれるほどには強くない。万能ではないのはお互い分かっている。

それでも、前に進むつもりだ。
そこへ踏み切るのが「ごくあたり前の生活」につながっていく。

師は私の面倒を見ることが出来るか心配している。
師の信条は独特のものがあるので、それを私は追いかける。
届かないところは一緒に考えてもらうつもりだ。
しかし、私と師は別の人間でもある。それぞれの人生はそれぞれに責任がある。

私の調子が崩れるのではないかと師は心配されている。
でも、崩れても他にいい活路は見当たらない。

今日も師と話をした。
心配や不安を共有してくださる貴重な方だ。
一生ついていく覚悟で私は信頼している。

私がしっかりしなければならない。
就労して安定して独り立ちできないとならない。
でないと師を安心させられない。

がんばると無理が生じて倒れるのがわかっていても、
それでもがんばらないといけないのがこの社会だ。
社会の方を変えてやりたいがそこまでの力は無い。
ソーシャルアクションを起こすほどの無理が私には出来ないのだから・・・。
(いつかはできるようになるのだろうか?)

だから、がんばる。できることを。
今日勉強した「公的扶助論」。自分の身に突き刺さる内容だ。
歴史が苦手だと甘えてはいられない。

今後の「社会福祉原論」「社会保障論」「地域福祉論」と続く苦手科目。

試験まで残された時間は少ない。
まずは一歩を。

一日一日を必死で。

薬でボーっとしているアタマでも乗り越えていく。
確実な知識を自分の手に。
言い訳はしていられない。
ジプレキサになど負けてはいられない。

状況は一日ずつ厳しくなる。ここが正念場だ。

苦しい。とても苦しい。
でも、師はもっと苦しんでいる。
いろいろなことを知るものは、それだけのものを背負ってしまう。

人のために泣くことのできる師に報いたい。

プロフィール追加しました。

プロフィールをページとして追加ました。
サイドバーにありますのでそこからどうぞ。
しばらく前から書き溜めてました。長文ですいません。
恥ずかしいけど、私の発病から仕事を転々とした過去です。

精神障碍者は仕事が続かないという一例です。

障碍より世間が悪いと言いたいけど、
厳しい世間で暮らしている健常者には甘えと取られるのだろうな。

また近いうちに、もっと恥ずかしい趣味編を・・・

・・・やっぱりやめとこうかな。

自分についてこんな長文書くのって痛いのかな。

「こころの元気+12月号」を読む。

NPO法人 地域精神保健福祉機構・コンボ 発行の雑誌です。

精神障碍者の就労や復職についてが今月号の特集でした。
世間の偏見で働けなかったり、体調が安定せずに働けなかったり、医師の許可が下りなかったり・・・。病気&障碍を抱えて働くことはやはり大変です。

障害者自立支援法の方向は障碍者の就労支援が前面に出てきてて、
他の施策と相まって就労促進が行われてるんだけど・・・。

就労ってなんだろう?
生活する資金を稼ぐために就労するのか?
働いて仕事に喜びを見出すのが就労か?
誰かの役に立つために行動するのが就労か?
マルクス主義じゃないけど労働の成果をピンはねされるのが就労か?
ただ、単にあたりまえだから就労するのか?

障碍者のニーズとしての「働きたい」ってのは
「人並みに扱われたい」という側面が強いんじゃないかと思う。
それだけ今までも、今も弱い位置にいるということの裏返し。
いや、私がそうなだけですけど。

それが世間と交わって金や名誉(自己実現まで含んで)が価値あるものとされて、
目指しているものが実態とずれてきてるような気がする。
もっとも「目指しているものは何か?」というのは
私を含めた障碍者に限らず社会全体で見失われてるような気もする。

欠乏を訴える人はたくさんいるけど、目的地を指し示すひとがいない気がする。
自分が将来どんな夢を実現していくのか、どんな暮らしをするのか、どんな街に住むのか・・・。
指し示しているように見えても、単に悲惨な現状への手当てを訴えているだけのように見えたりも。
それは大事なことだけど。・・・という気がする気がする気がする。するするする。

目標を示すのは政治家の役目なんだろうけど、期待できないし。
強いリーダーが引っ張るのが良いのかって言うと、そういうリーダーがどういうことをやらかすかというのは古くにも最近にもあまり良い例が思いつかなかったり。いや、それは私の勉強不足ですか?
 
 
 
今、仕事してない私が言っても、空疎なんだけど。
雑誌読みながらなんかが欠落してる気がした。

イタリアのトリエステの訪問記が掲載されていましたが、精神保健サービスの仕組みについては詳しかったのですが、そこで暮らす障碍者の様子がもっと知りたかったと思いました。暮らしぶりはひとそれぞれなのだろうけど、どのくらいの水準の暮らしが出来るのか?活動の内容は?受けることの出来るサービスだけではなく、主体的にどんなことをして日々を過ごしているのか・・・。

欠落を埋めるにはみんなが声を上げなければならないのだろうと思う。
当事者が声を発するのは大事だと思うし、私もこういうblogで書いてるんだけど、
でもね、なんか、裏から糸ひかれてるような、厚生労働省の手のひらの上にいるような
そんな気分になってきます。

なんかしなくちゃ。そう思うけど、それすら誰かに誘導されてるような気がしてきます。
私の病気の状態が悪いのでしょうか?

ささやかな幸せがとっても遠く感じる。
・・・何が欠けてるんだろう。うーん。