カテゴリー: 統合失調症

悪夢:作業所によるパチンコ屋

変な夢をみた。
 
 

どこかの作業所のオヤジ所長が一念発起。
パチンコ屋を始めることにした。

開店に呼ばれてみるのだけれど、花輪ひとつ出ていない。
入り口がどこかすらわからない。

プレハブをちょっとましにしたような建物があって、
そこに入ると内職作業をするメンバーと職員たち。
障害者の姿を見てもらうためにあえてそうしていると。

狭い間をすり抜けて奥の部屋にたどり着くと、
外壁をぐるり囲んでパソコンがずらり置かれている。
部屋の真ん中に監視役のメンバーが一人、黙って座っている。
いらっしゃいませも何も無しに。

職員のおばさんが出てきて、遊び方を説明する。
パソコンの横っちょに100円玉を入れると画面に玉が出てきてチンジャララ。
すぐに玉がなくなるので次々に100円玉が消えて行く。

一緒に行った視察団の人々は呆然・・・。
 
 
 
 

・・・そんな夢だった。

なんか現在の福祉をどことなく象徴している夢でした。
朝起きて嫁さんに話したら、反応ありませんでした。
 
普段、パチンコなんて絶対にやらない私の発想に
そういうものが出てくるというのが不思議だけれども、
パチンコ屋の景品を作業所で作ってたことがあったっけなと思ったり、
ネットカフェを作業所でやったらどうなるかなとか思ったことがあったり、
そんなのがないまぜになって出てきたのかなと思いました。

夢によってギャップってこういうものなのかなと思ったのでした。
 
自分。かなり病んできてます。

(そもそも営業許可が下りるのか?・・・まあ、夢ですから。)

問題:アレだよな

差別についての以下の文章を読んで設問に答えよ。

 アイツってさ、アレだよな。だってアレをアンナことしたり、アンナこと言ったりしてさ。アアいう時はソウ言うのがアレだろ?ソレってアレさ。やっぱりアイツがアレってことだろ?やっぱりソウだろ?アレじゃなあ。

設問1:以下より差別語をすべて選べ。
□アレ
□アンナ
□アア
□ソレ
□ソウ

設問2:何がどう差別なのか簡潔に述べよ。

設問3:差別語の定義を論述せよ。

設問4:妄想に火がついた人ごめんなさい。

朝から嫌な記事見てしまった。

http://diamond.jp/articles/-/15448
引きこもり状態の男性が入院治療中に心肺停止
多剤多量投与に頼りがちな精神医療へ疑問を呈す

何が怖いって、詳細が書いてないのが怖い。
パッと見詳しく書いてある様で、何が起きていたのかわからない。

多剤多量投与って言うけれど、ほんとにそうなのかすらよくわからない。

医者もしっかりして欲しいけれど、
記事書いてる方もしっかりして欲しいと思った。

ウラは取ったのかなあ?だったら怖い話だけど、
ウラを取ってなかったらそれも怖い話だ。

ねえ?

セルフヘルプグループを襲撃

で、肉食って来ました。

何しに行ったかというと、やっぱり肉を食いに行ったわけで、
肉食って、肉食って、肉食いまくってきました。

また肉食いに行こう。

・・・完全に本来の目的から外れて、
帰りの電車では肉臭いおっさんになってました。

 
 
 
 
 
そんな場合じゃない!
昨日の打ち合わせで決まったサイト案を形にせねば!!
結構曖昧な注文です。

きっちり契約をして来なかったのも吉と出るか凶と出るか。
まだぼんやりしてるから文書化出来なかったり。

さあ、また仕様の固まらない開発が始まりましたよ。
検収の基準だけでも決めとかないと・・・やばいな。

 
 
 
で、明日はまた研修です。もうお財布にお金がなくなってしまいます。
 
読まれるのを待っている論文が多数。
さらに、知的財産権絡みの書類やら、書籍やら、
待ちの態勢の仕事が3つ。(全部スルーされそうだけど)

 
 
年の瀬を迎えてあと少し・・・。乗り越えられるのか?
 
 

雑食性なのだけれど、やっぱ肉ですわ。肉。

・・・おみやげ持ってくの忘れて食いまくってくる私はサイテーだな。

苦労は買ってでもしろ?

苦労は買ってでもしろとは言われますが、
きっとみんなもう十分苦労してると思ってるはずです。

みんなが幸せになることが福祉の本意なのであれば、
この逆行する言葉は一体なんなのか?

そして福祉の主対象が、生活のしづらさにあるとするならば、
生活のしづらさは買ってでもしろということなのか?

でも、どんな金持ちでも今、苦労してないと思っていない人は少ないはず。
楽しくてしょうがない人はいるんでしょうけれど、
そういう人達こそ、苦労を買うべきなのでしょうか?
過去の苦労の結果?いえいえ、苦労にこれで終わりということはありません。
死ぬまで苦労です。

結局、自らの不幸は、各個受け入れなければならないものなのか?
生きづらさは受け入れて、死ぬ思いをしてでもそれが人間というものなのか。

と、いうことならば、人間はみんな障害者であってしかるべき。
ということで、毎度毎度の全人類皆障害者論でございます。

差別をする側に立っている強い方々をどう差別してやろうか。
あるいは、彼らはすでにどんな差別を受けているのか?
いろいろ考えねばなりません。

弱者に対する福祉があれば、強者に対する福祉もあるはずで。

強者は福祉に欠けているのかもしれません。
福祉不足に陥っている強者に福祉の手を!

で、強者はお金持ってるだろうから、苦労を買っていただきたい。
とりあえず、バカには見えない500円のピンバッジとかね。

買っていただく苦労のメニューをあれこれ考えていますが、
生老病死、苦労にはこの世の中事欠きません。
別に買わなくても苦労はするわけで、この論は破綻していくわけでございます。

しかし、なればこそ、全人類は障害者なのではないのでしょうか?

苦労は勝手にしろと言われておしまいなのでしょうか。
みんながみんなを差別しあう、健康的な障害者社会が
障害者インクルージョンの行き着く果てなのだろう・・・

ごめんなさい。いつもの繰り返しですね。
でも、妄想とも言い切れないと思わないですか?