何を原点に自分を組み立てるのか

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精神保健福祉士でありながら、精神障碍者であることの折り合いをどこでつけるのか?もし、PSWになれたとしたらどんな活動をしていくのか?本当はもっと前に考えておかなければいけなかったことです。いえ、考えていたつもりだったのですがここにきて揺れています。

これからすることは、自分のためになることでなければいけない。加えて他人のためになることでなければいけない。このふたつはどちらかが優先されるというものではなく、両立しなければならない。自分に何が出来るのか、出来ないのか・・・。

精神保健福祉士協会の倫理綱領を読んで考えようかとも思ったけど、それでは自分の核が抜け落ちます。私の障碍者の部分をどう組み込んでいくか考えなければいけません。

ただの障碍者ではいけない。PSWとしての専門性を身につけて今までに無い活動を・・・と意気込むことも出来ますが、PSWとして活動するには私の障碍の負の部分を理由に免責を受けるようなことがあってはいけない。また、PSWであることによって障碍者同士のピアの関係が崩れてもいけないと思います。

果たして、両者の特性を兼ね備えた存在が求められているのか?

定型的なものがあるわけではない。当事者でPSWだという前例はあるらしい。しかし、先を指し示すものにはまだ私は出会っていない。海外での当事者活動についての情報もあるが、私は今、この日本で生きていくうえで自分のありようを考えなければならない。

バイステックではないが「個別化」がカギか?確立された職業を選ぶのではないのだから自分で作っていくものがこれから新しい職業になるのかもしれない。いや、新しくは無く、誰かが先を行っているはずだ。それを見つけなければならない。

見つけたら追い越すことも必要だ。現状、精神保健福祉の世界はあまりにも混沌としている。援助者も利用者も決め手を欠いている様に思う。定型はない。有名なところや活動があるけれど常に前進を続けなければならないし、先が見えている人もたぶんいない。過去と比べればずいぶん進歩しているのだけれど、精神障碍者の苦しみは続いている。

自分に何が出来るのか?何を武器にするのか?いや、戦いではないかもしれないので武器とは言えない。私は大学の先生からは「ウリ」のあるワーカーになれと指導されている。私のウリになるところを確実に固めていかなければ。それが何かも確認しなければ。

国家試験が近いがもっと大事なことも並行して取り組まねばならない。

やりたいこととやらねばならないこと、山積みだ。

体調は悪い。でも、これからしばらくが人生においても大きな節目になるはずだ。
注意深く考えなければ。

・・・かなりいい加減な人間なのに気負いばかりが増幅しています。
まずいかも。再発だけは避けたいと思いますが・・・。

原点はそんなに複雑なものではないはずなのだけど・・・。

「精神保健福祉士の私」か「精神障碍者の私」か

まだ試験に合格していないからあまり考えてもしょうがないのだけれど・・・。

病院に出かけて精神保健福祉士の実習を受けたわけですが、

もし、私が精神保健福祉士(PSW)になったなら、クライアントに対しては「私」はあくまでも「PSW」であって専門職としての仕事をしなければならない。自らの障碍はたまたま私がそうなのであってクライアントの利益のためには関係ない。そこで自己開示をして障碍者であることを示すのはクライアントにはあまり利益にならない。また、専門職としての力量は障碍のあるなしとは関係ない。よって「PSWのあさ」であることを第一にすべきだ・・・。

という考え方があり、抵抗が出来ない。

「仕事」として活動する時、クライアントを中心に考えて、あくまでも自分の事情は引っ込める。クライアントの利益が最優先。当然ではあります。

が、それでいいのか?とも考えます。

クライアントに最大の利益をもたらすために「障碍者の私」が必要なのではないかと思ったりもします。しかし、「当事者」であることが大事なのならばPSWの資格なんていらないのでは?資格を取ったところで一人前のPSWの仕事もできないくせに「障碍者」であることを盾に逃げている・・・ということになってしまうのかも?

逆に「健常者」が共感を持ってクライアントに接する・・・。みたいな教科書的な状況ってありえるのか?と思ったりもしますが。

やはり「障碍当事者のPSW」は信頼できないものなのか?当事者かどうかは関係ないのか?

私が自意識過剰になっているだけなのか?

私は能力不足を他の問題にすりかえようとしているのか。
「障碍当事者」だから他人の痛みがよくわかる・・・なんてのは間違いなのですが、「健常者」が自覚なしに他人を踏みにじるのも事実。(某氏の指摘によると、障碍者だって他人を踏みにじるじゃないかとのこと。ごもっともです・・・。)人生においてひとはみな何らかのハンデを持ち悩んでいるのは承知だけど、それにどう対処しているかはひとによって大きく違う。当事者同士でも困難の質は違う。私が当事者であろうがなかろうが援助に当たっては関係ない。

でも、当事者が援助者になるというのはおかしなことではない。・・・はず。
それはセルフヘルプとも少し違っている気もしてはいる。

話が抽象的すぎるからおかしくなるのかもしれない。
いや、私の思考が半ば病的領域に近づいてるせいだろうか。

具体的に何をなしたかが問題になるのか?机上でなに考えてもしょうがない。

でも、「やったもん勝ち」というのは好きではない。

一度、原点に戻る必要があるのか?

押し黙った多くの人に裁かれている感覚がある。
社会から排除されてると実感もしている。
それは妄想気分だと切って捨てられる恐怖もある。

国家試験に集中すべきだが、試験以外に大きな山がある。
そこに気づいているのが「障碍当事者の私」なのだけど、社会的にはあまり重要視されない。

なにかを見つけなければならない。なにかを。自明なはずなのだけど。

スクーリングで完全に調子が狂わされました。
何かが違う。何かが・・・。

「統合失調症ぼくの手記」を読んだら・・・

スクーリングに行ったとき、生協の本屋に寄りました。
さすがに福祉関連の本は充実していまして、あやうく手持ちのお金を全部はたいて欲しい本みんな買い占めようかと思いましたが、ぐっとこらえて2冊選んで買ってきました。

そのうちの一冊です。

オーストラリアの統合失調症者の書いた本です。
美術系大学で学び、現在はイラストレーターだそうです。

ドラッグに手を出したのがきっかけで病の世界に入っていきます。
周囲の物音や他人の会話から非現実的な妄想を生じてしまう・・・。
友人たちと生活しながらも、症状は消えません。

周りで誰かが自分を監視しているとか、ささいなことに自分へのメッセージを感じ取ってしまう。親しい人まで自分を陥れようとしていると感じたり、偶然が偶然ではなく仕組まれているものだと感じたり。

症状の主観的記述が冗長に思えるくらい書かれています。

そして、読めば読むほど彼の体験は、私の体験に酷似しています。
「ああ、そういうことあったなあ」となつかしく思ったり、そういう状態の時の恐怖感を思い出したりと、244ページの本をあっというまに読み終えてしまいました。ドラッグはやったことないし、彼ほど活動的ではなかったけれど、体験したことがほぼ同じなのです。

「統合失調症」の患者はひとりひとり違うのだと理解しなければいけないけど、同じ名前の病気であることが納得できました。

 
急性期症状の記述が主なのですが、この後の慢性期の陰性症状がどんなにきついものかについてはあまり書かれてはいません。長く続くしんどい毎日、自分の思いを満たせない能力低下・・・。急性期の陽性症状の激しさは本にもしやすいのだろうけど、その後の回復過程をもっと読みたかったと思いました。

 
 
たぶん、この本って当事者以外が読んだらピンとこないところが多いのだろうな・・・。

当事者が体験を語るということについても自分の考えをまとめてゆかねばと思いました。

転んでも起きる。

スクーリングでは自分の力の無さを思い知らされたわけですが、へこんでいてもしかたがない。

国家試験を撃破してPSWになってやる。
いいPSWじゃなくて、へんなPSWに。
どんなんかはまだわからないけど。

・・・というわけで、通学の電車の中で1冊読み終わりました。

もっと早い段階で読んでおくべき本でした。
福祉の世界を国家試験の範囲からやさしく紹介してくれています。

児童福祉論、老人福祉論、公的扶助論、社会学、心理学、地域福祉論、社会保障論、社会福祉原論。基本をおさえてものすごくわかりやすい本です。

いまごろよんでもまだまにあうかな。

・・・いまごろ・・・

まあ、今勉強してることの大きな枠を確認できました。

・・・いかん!これではまともなPSWになってしまう・・・。
まあいいか。

死線を越えて

スクーリングから帰って来ました。

13日は代表して何人かの実習報告を受講者全体で聞きました。
そのあと、講評を含めて先生方のお話が。

授業のあとは懇親会。立食パーティー。

14日は20人くらいのクラスに分かれて各々の実習報告。

・・・で、やってしまったというか、不得手な「発表」をアドリブでまとめきれず沈没。
周囲の「あ~ぁ」という視線が痛かった。
先生もフォローしきれない脈絡の無い、焦点の定まらない状態でした。

いっぺんにいくつものことをさばけないので、次に話すことを考えながら話を進めることができない。みんなが自然に出来ることが出来ないのは一種の障碍なのだろうなと思います。

授業後、A先生に調子はどうか聞かれて「良いです」と答えてしまいましたが、実際のところ、「調子が悪いのがわからないくらい調子が悪い」状態でした。ストレスがかかってたのは自覚してましたが、思考が途絶しているのに気づいたのはしばらくたってからでした。

クリスマスの頃に報告書の添削が返ってきて、修正。
さらに来年、追加レポートがあるようです。

 
 
 
今になって思うに、懇親会に参加したのがまずかったかも。
多人数がガヤガヤやってテンションが上がってるところというのは大きなストレスになります。昔、学級委員やってた頃のトラウマなんかもあったりして。
社交辞令も苦手だし。宴会芸も持ってないし。

まあ、課題はたくさん見つかったので一つ一つクリアしてゆこうと・・・
・・・思うから足元から崩れるんですよ。

 
 
帰りに電車に飛び込もうと思わなくて良かった・・・
黄色い死線を内側へ越えておとなしく電車を待ちました。
そんなへこんだ2日間でした。

当事者PSWについていろいろ考えることあるけどまたいつか。