破壊衝動

昨日一日かけたWebページを破棄。

思う通りの状態が得られないのと、コンセプトからのズレが大きくなってきたので。

と、いうと聞こえはいいけれど、収集がつかなくなったので。
とりあえず今日は骨組みができたので、
これからCGI系統をやっつけていこうと思うのだけれど、

・・・力尽きた。

昨日は寒暖差の激しい中、旗持ってぼったってたので足腰が痛い。

大阪府知事選の選挙公報が配布されて、読み返してるんだけれど、
私の納得のいくこと書いてる人がいなくて困惑。

50%がぶっ飛んでる方々で、もう50%もぶっ飛んでるといって良い状況。
楽しめるのではありますが、生活がかかってくるとなると深刻です。

毎度の私の論理でいけばワンパターンに彼らも障害者。
文字通り「チャレンジド」なのですね。
相当なレベルで生活に支障をきたしているには違いなく。
いわゆる「まっとう」と呼ばれる候補も障害者。

大勢の前で他人をこき下ろせるなんて、社会性に問題が・・・?
でも、TPOを考えるとこれでOKなんだよなあ。
戦場での殺人が許されるがごとくに、都市は戦場と化しているのでした。

自分が大勢の前で対立する人をこき下ろしたら、
うっかりすれば措置入院。

時と場合をわきまえてやってるから、良いということになるけれども、
やってることは同じだと思うんですがいかがでしょうか?

やっぱり、みんな障害者じゃないか。
 
 
・・・極論だってば。

やい!IE7と8!いうことを聞け!

CSS関連でちょっと凝ったことをしようとすると
ブラウザ依存の問題で

「愚か者には見えないリンクや画像」とかができてしまいます。

うちのページがちゃんと他のひとんちで見えているんだろうか?
Web制作を仕事の一部にしようとすると大きな問題です。

回避方法はあるけれど、スマートフォンとかでエライことになりそうな。

CSS3のコードをIE9以前のエクスプローラーで見えるようにする
プラグインってものを使ってみたけれども、
さすがに完全互換まではいかない模様。

使い方が悪いのか???

テーブルレイアウト最強なのか???

・・・と、某所のサクラに行った後でコードいじくりながら思うのでした。

マック某の政見放送を見て、ため息をつく午前5時なのでした。

G◯◯gるの広告を消す方法。

ここしばらく、うちのサイトのAds広告が消える現象が多発してます。

広告主のフィルタに引っかかったのか、Gさんの規約に引掛かるのか?
内容を読んで判断されているとしたならば、
Gさんたちはかなり頭が硬いんだね。

あるいは、単語に反応して内容を見ないおばかさんなロボットのせいか。
こんなんじゃ、最終的に言論が間接的に抹殺されてもおかしくない。

皮肉もネタも通じないロボットはまだまだ人間にはかなわないということなのか?
つうか、この程度でフィルタ発動?なんだかなー。

いままでも、何度かこのたぐいの現象は経験してるけれど、
面白いのでしばらくどんな反応を示すか実験してみましょうかね。

他人のパソコンからは広告見えるのかな?
公共広告すら消えるというのはなかなかです。

さて、次は何書いたろうか。

間接的な差別によって我々はゆっくりゆっくり抹殺されていくのです。
直接差別助長よりタチが悪いと思うんだけれどね。
スポンサーさんたちはどう思ってるんだろうね?

追記:この記事はOKっぽいです。
何が悪いかっつーと、「苦労は買ってでもしろ?」のエントリ。
皆さんからどう見えてるかレポートお願いします。
うちからは広告消えてます。(2011/11/17 11:31)

苦労は買ってでもしろ?

苦労は買ってでもしろとは言われますが、
きっとみんなもう十分苦労してると思ってるはずです。

みんなが幸せになることが福祉の本意なのであれば、
この逆行する言葉は一体なんなのか?

そして福祉の主対象が、生活のしづらさにあるとするならば、
生活のしづらさは買ってでもしろということなのか?

でも、どんな金持ちでも今、苦労してないと思っていない人は少ないはず。
楽しくてしょうがない人はいるんでしょうけれど、
そういう人達こそ、苦労を買うべきなのでしょうか?
過去の苦労の結果?いえいえ、苦労にこれで終わりということはありません。
死ぬまで苦労です。

結局、自らの不幸は、各個受け入れなければならないものなのか?
生きづらさは受け入れて、死ぬ思いをしてでもそれが人間というものなのか。

と、いうことならば、人間はみんな障害者であってしかるべき。
ということで、毎度毎度の全人類皆障害者論でございます。

差別をする側に立っている強い方々をどう差別してやろうか。
あるいは、彼らはすでにどんな差別を受けているのか?
いろいろ考えねばなりません。

弱者に対する福祉があれば、強者に対する福祉もあるはずで。

強者は福祉に欠けているのかもしれません。
福祉不足に陥っている強者に福祉の手を!

で、強者はお金持ってるだろうから、苦労を買っていただきたい。
とりあえず、バカには見えない500円のピンバッジとかね。

買っていただく苦労のメニューをあれこれ考えていますが、
生老病死、苦労にはこの世の中事欠きません。
別に買わなくても苦労はするわけで、この論は破綻していくわけでございます。

しかし、なればこそ、全人類は障害者なのではないのでしょうか?

苦労は勝手にしろと言われておしまいなのでしょうか。
みんながみんなを差別しあう、健康的な障害者社会が
障害者インクルージョンの行き着く果てなのだろう・・・

ごめんなさい。いつもの繰り返しですね。
でも、妄想とも言い切れないと思わないですか?

障害者差別促進のために・・・

さて、こないだ障害者の差別を促進するために・・・ということで
記事を書いたんですが、これって同様の方向なんかね?

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111115k0000e040048000c.html
<見えない障害>バッジで知って 自己免疫疾患の作家ら制作

「察して欲しい」ってことなんだろうか?
対話がなくなっていくもとになりはしないだろうか?

 
そうだ!こういう試みは、 
日本国民全員に広めましょう!

みんなが何かしら障害を持っているのですから
全員でこのバッジを付けましょう!

さて、どうなりますことやら。
問題の本質は何処に?

・・・可視化すればいいってもんじゃないと思うんだ。

バッジは、当事者用の他にハートマークのない支援者用もある。

このへんが気にくわないのですが。