カテゴリー: 資格

資格取得

ふたつめのB

先日受けた大学での科目終了試験の結果がでました。
医療福祉論が不合格になると思っていたのですが、

結果「B」

予想外でした。もっと厳しいのかと思っていました。
試験で時間配分ペースを間違えるのはたまにやる私の悪い癖です。
今回もやり残した問題があってダメかと思ってたのですが、思いのほか好成績でした。

思いだしてみれば高校生の頃、公務員試験で時計を15分読み間違えて
マークシートに解答を書き写せなくて撃沈したことが・・・。
それ以来、マークシート試験は1題解くたびに答えを記入するようにしています。

あの時、公務員になってたら今頃どんな人生を送っていただろう。
病気にもならなかったかもな・・・。
いまさらどうしようもないことなのですが。

国家試験が終わったらあとは「障害者福祉論」をやっつけて終わりです。
ざっと教科書読むと結構面白いので、めずらしく楽しい勉強になりそうです。
いろいろいわくつきの教科ではあるのですが・・・。

とりあえず国家試験!!
弱点が明らかになってきたのでそこを押さえれば・・・。

油断は出来ませんが、先が見えてきました。
私にしてはめずらしく前向きだ!

これからの数日はもっとも苦手な分野をどう切り崩すかに挑戦です。
社会福祉原論、社会保障論、公的扶助論、地域福祉論。
ワーカーとしてはとても大事なところなので問題もシビアです。
目標は5割得点。・・・できるかなあ?

意欲が減退。症状か根性か?歴史と自分の接点と。

試験勉強に疲れてきてます。
いえ、そんなにたくさん勉強してるわけでもないのに。

こないだのスクーリング前後でエネルギーを使いすぎた感じです。

今日はなんとか「心理学」と「社会学」の過去問をこなすのが目標。
人名と業績を時系列で覚えこむというのが難しい。

確実な知識をどれだけ詰め込めるか・・・。

もっとだいじなことあるんじゃないかなあと思いつつ、
先人のやってきたことを振り返っています。

少しずつ、やっていけばいつかは終わる・・・。

人生も少しずつ終わっていくんだよなあ。
そうやって終わっていった人たちのやったことを頭に詰め込む。
テキストで数行にしかならない、一生かけた業績。

なんかむなしいようないとおしいような。

何十人もの研究者や実践者の歴史。
それぞれが書籍や論文を出していてとっても重要なはずなんだけど、
それぞれをすべて読むことはなかなかできるものではない。

教科書読んだだけじゃ分からないことだらけだけど、
それぞれの原典にあたればきっとわかってくるのだと思う。
それがわかっていて、原典にあたらないのは自分が怠惰なんだなあと思う。

試験の出題者も教科書でさらっと流しただけの知識を
5択の問題で知ってるかどうか試すのって疑問に思わないのだろうか?

現行の教科書も、もっと詳しく書かなきゃいけないんじゃないかと思う。
試験はその分きつくなるけど、試験のためのテキストじゃなくて
実際に使える知識を与えてくれるテキストでなくちゃいけないと思う。

受験生の自分が何を言っても言い訳だけれども。

—————————————————————————————————
追記 2008/12/19 18:10
心理学の過去問50題解いて正解37問。正解率7割。
やっぱり人名がネックに。心理検査や療法の開発者の名前が正解できない。
なんか対策しなくちゃ。
—————————————————————————————————
追記2 2008/12/19 20:30
社会学の過去問50題解いて正解37問。やっぱり7割。
人名、学説に加え、各種統計値についての問題に引っかかった。
統計は数字を覚えるとなるともう間に合わないので捨て問になるのか?
問題文の矛盾を見つけられるかどうかがカギか?

内容の無い記事。と自分の尻たたき。

疲れからか体が睡眠要求モードになってます。
起きたのは17:00、食事は1日1食。

これを怠惰といわずしてなんと言おう。

ここしばらくアタマが過活動状態にあった気がする。
blogの記事読み返してもなんか変だ。

国家試験前の重要な時期なので、
落ち着いて着実に学習に取り組まねばならないのに。

いまから共通科目の「医学一般」の過去問を軽く回そうかと思います。
終わったら「法学」へ。

好きな分野から攻める方針です。
いま「社会福祉原論」とかやったら眠っちゃいそうで・・・。

あと1ヶ月で30点くらい積み増せば合格圏内だと思うので、
あせらずにいきたいと思います。

って、書いとかないとさぼっちゃうから・・・。
ほんとうに疲れが抜けない体に翻弄されてます。

————————————————————————————-
追記 2008/12/18 20:00
医学一般 過去問50題解きました。正解36問。
正答率7割はまあまあか。
得意科目としてはもう一息伸ばしたいところです。
————————————————————————————-
追記2 2008/12/18 22:25
法学 過去問50題解いて、正解27問
正答率5割。行政書士試験に合格しててこれでは恥ずかしい。
しかも、行政法関連や情報公開法なんかで取り落としが。
昔習った憲法あたりは取れてるのだけど・・・・
実務に必要なところがダメだってのは自分らしいというか・・・
復習しなくちゃ。

何を原点に自分を組み立てるのか

e7a98de381bfe69ca8e3838fe383abe78cab
精神保健福祉士でありながら、精神障碍者であることの折り合いをどこでつけるのか?もし、PSWになれたとしたらどんな活動をしていくのか?本当はもっと前に考えておかなければいけなかったことです。いえ、考えていたつもりだったのですがここにきて揺れています。

これからすることは、自分のためになることでなければいけない。加えて他人のためになることでなければいけない。このふたつはどちらかが優先されるというものではなく、両立しなければならない。自分に何が出来るのか、出来ないのか・・・。

精神保健福祉士協会の倫理綱領を読んで考えようかとも思ったけど、それでは自分の核が抜け落ちます。私の障碍者の部分をどう組み込んでいくか考えなければいけません。

ただの障碍者ではいけない。PSWとしての専門性を身につけて今までに無い活動を・・・と意気込むことも出来ますが、PSWとして活動するには私の障碍の負の部分を理由に免責を受けるようなことがあってはいけない。また、PSWであることによって障碍者同士のピアの関係が崩れてもいけないと思います。

果たして、両者の特性を兼ね備えた存在が求められているのか?

定型的なものがあるわけではない。当事者でPSWだという前例はあるらしい。しかし、先を指し示すものにはまだ私は出会っていない。海外での当事者活動についての情報もあるが、私は今、この日本で生きていくうえで自分のありようを考えなければならない。

バイステックではないが「個別化」がカギか?確立された職業を選ぶのではないのだから自分で作っていくものがこれから新しい職業になるのかもしれない。いや、新しくは無く、誰かが先を行っているはずだ。それを見つけなければならない。

見つけたら追い越すことも必要だ。現状、精神保健福祉の世界はあまりにも混沌としている。援助者も利用者も決め手を欠いている様に思う。定型はない。有名なところや活動があるけれど常に前進を続けなければならないし、先が見えている人もたぶんいない。過去と比べればずいぶん進歩しているのだけれど、精神障碍者の苦しみは続いている。

自分に何が出来るのか?何を武器にするのか?いや、戦いではないかもしれないので武器とは言えない。私は大学の先生からは「ウリ」のあるワーカーになれと指導されている。私のウリになるところを確実に固めていかなければ。それが何かも確認しなければ。

国家試験が近いがもっと大事なことも並行して取り組まねばならない。

やりたいこととやらねばならないこと、山積みだ。

体調は悪い。でも、これからしばらくが人生においても大きな節目になるはずだ。
注意深く考えなければ。

・・・かなりいい加減な人間なのに気負いばかりが増幅しています。
まずいかも。再発だけは避けたいと思いますが・・・。

原点はそんなに複雑なものではないはずなのだけど・・・。

「精神保健福祉士の私」か「精神障碍者の私」か

まだ試験に合格していないからあまり考えてもしょうがないのだけれど・・・。

病院に出かけて精神保健福祉士の実習を受けたわけですが、

もし、私が精神保健福祉士(PSW)になったなら、クライアントに対しては「私」はあくまでも「PSW」であって専門職としての仕事をしなければならない。自らの障碍はたまたま私がそうなのであってクライアントの利益のためには関係ない。そこで自己開示をして障碍者であることを示すのはクライアントにはあまり利益にならない。また、専門職としての力量は障碍のあるなしとは関係ない。よって「PSWのあさ」であることを第一にすべきだ・・・。

という考え方があり、抵抗が出来ない。

「仕事」として活動する時、クライアントを中心に考えて、あくまでも自分の事情は引っ込める。クライアントの利益が最優先。当然ではあります。

が、それでいいのか?とも考えます。

クライアントに最大の利益をもたらすために「障碍者の私」が必要なのではないかと思ったりもします。しかし、「当事者」であることが大事なのならばPSWの資格なんていらないのでは?資格を取ったところで一人前のPSWの仕事もできないくせに「障碍者」であることを盾に逃げている・・・ということになってしまうのかも?

逆に「健常者」が共感を持ってクライアントに接する・・・。みたいな教科書的な状況ってありえるのか?と思ったりもしますが。

やはり「障碍当事者のPSW」は信頼できないものなのか?当事者かどうかは関係ないのか?

私が自意識過剰になっているだけなのか?

私は能力不足を他の問題にすりかえようとしているのか。
「障碍当事者」だから他人の痛みがよくわかる・・・なんてのは間違いなのですが、「健常者」が自覚なしに他人を踏みにじるのも事実。(某氏の指摘によると、障碍者だって他人を踏みにじるじゃないかとのこと。ごもっともです・・・。)人生においてひとはみな何らかのハンデを持ち悩んでいるのは承知だけど、それにどう対処しているかはひとによって大きく違う。当事者同士でも困難の質は違う。私が当事者であろうがなかろうが援助に当たっては関係ない。

でも、当事者が援助者になるというのはおかしなことではない。・・・はず。
それはセルフヘルプとも少し違っている気もしてはいる。

話が抽象的すぎるからおかしくなるのかもしれない。
いや、私の思考が半ば病的領域に近づいてるせいだろうか。

具体的に何をなしたかが問題になるのか?机上でなに考えてもしょうがない。

でも、「やったもん勝ち」というのは好きではない。

一度、原点に戻る必要があるのか?

押し黙った多くの人に裁かれている感覚がある。
社会から排除されてると実感もしている。
それは妄想気分だと切って捨てられる恐怖もある。

国家試験に集中すべきだが、試験以外に大きな山がある。
そこに気づいているのが「障碍当事者の私」なのだけど、社会的にはあまり重要視されない。

なにかを見つけなければならない。なにかを。自明なはずなのだけど。

スクーリングで完全に調子が狂わされました。
何かが違う。何かが・・・。