OFF時にどこまでOFFにできるか。

おいしいものを食べるときは一瞬OFFになれます。
おいしいものを食べるときは一瞬OFFになれます。

大阪遠征のまとめと、休息の取り方について。

4月の9日から12日まで静岡から大阪に遠征したわけなのですが、公共交通機関や師匠の自家用車を使用したとはいえ、歩きに歩きました。

まず、駅から保健所まで歩きました。商店街を抜けて市役所を通り過ぎて脇道に入って・・・。
重い荷物をフル装備状態で歩いたのは間抜けでした。コインロッカーというものを忘れていました。

その後、ホテルまで複数の交通機関を乗り継ぎ到着。駅構内が結構広く、私鉄と地下鉄の乗り換えだったために若干歩くことに。

不動産物件を駅から歩いてどのくらいかを体感するために実際に歩いて確認してみたりもしたのですが、それも、複数の交通機関の最寄駅からどんな感じか確認するという念の入れ方をしてしまったために、歩いた距離はかなりのものに。駅から徒歩15分とのことですが、実際には18分くらい。荷物を持ったら少しきついかなと思いました。

あと、買い物スポットの確認。引っ越し時には最小限の荷物を持ち込んで必要なものは少しずつそろえていく予定です。大阪でも街を離れると郊外の大型店舗を除き、商店街などはきびしそうな感じでした。
で、店舗の集中している現在開発中の街を見ました。ここのビルの一角に通院先候補のクリニックがあったり。

11日には今回の目的からは外れましたが、せっかく関西に出てきているということで、京都まで足を延ばしました。清水寺では歩きまくりました。OFFのつもりでOFFになっていないハードな状況。桜の季節でもあり、名所中の名所ですから人も大勢。休息をとるというのには程遠いONな状態でした。

で、帰ってきたのですが、なんか頭が過覚醒っぽく、休まらない。
次を考えているからでもあるのですが・・・。

OFFにするとき完全にOFFにすることはできない。
人間はそうできているのだろうなと思いました。
だったらどうすれば休めるのか?

統合失調症の急性期が過ぎた後の何もできなくなるあの状態がOFFというものなのか?
でも、あのころの心の状態はOFFには程遠かった。ゆとりはなかったです。
ひきこもっていたころもOFFになった感覚はなかった。

この休息のとれなさ加減は病気のせいなのか?人間の本来の姿なのか?

はたまたOFFになるというのは死を意味するのか?

休み方が下手なので、休みながらこんなことを考えています。
働きだしたらこんなことは考えられなくなりますね。

就職について、気がかりな情報というか、思わせぶりな発言を聞いたのもあって、妄想がいろいろ・・・。私の能力の幅いっぱいを使うとすぐに潰れるということが理解されているのか?特性がわかってもらえているのか?なんか勘違いされていないか…?ああ、OFFにできない・・・。

頭の中が各種情報が散乱した状態で、今後の複雑な役所との手続き戦争に対応できるかどうか・・・。今はなんとかOFFにすることに集中してます。

人間の考えるという行為をOFFにすることはできないのだろうな。
はたまたそれができないのが私の病気なのか・・・?

ぐるぐると頭の中を歩き回っています。

医療機関選定のための情報収集にて・・・

どの医者にかかろうかな?ということで情報収集。

まず保健所にいきました。
大阪府内の病院・診療所・クリニックをまとめた冊子とマップをいただきました。
次に、就業・生活支援センターでも医療機関の話をしました。
さらに、師匠からも情報を得ました。

それぞれが各医療機関をどうみているのかが違っていました。

大きな病院では入院などの事態に対応できる点と付属する社会復帰施設の類が豊富な点がいいところ。でも、系列病院へ医師の転勤があることと、若い医師が多い点が留意すべきことだと。クリニックもおおよその情報を聞くことができました。夜間・土曜日診療をやっているところはどこか、予約が必要なところはどこか、どこそこの嘱託医をやっている先生は誰か、何某先生は無口だとか、何某先生は女医さんだとか、何某クリニックは開院している日が少ないとか。

いろいろ聞いたのですが、いい医療機関を選ぶには、
結局、医師との相性のいいところへ行くべしというところに落ち着くようです。

相談の限界なのでしょう。たぶん通院している患者さんに聞いても意見は割れるのでしょう。
口コミも主観的情報になるんで自分がどうかという基準にはなりません。

さて、どうしたものか。
受付や電話の対応で決めるとかしかないのか?
何カ所か回ってみるべきなのか?

どちらにせよ選べるということはいいことでもあります。
ベストではなく、地雷さえ踏まなければ・・・というのは言葉が悪いのでしょうか。

もし、通うに楽なところ・・・で選ぶとしたら、不動産屋の連絡待ちです。

不動産屋の返事はこの1週間のうちくらい。
先手を打って、現在の病院で紹介状の用意をしていただこうと思います。

自立支援医療の受給者証の書き換えがからむので、ぐずぐずしていられません。
市役所間の連携もうまく話が通るようにもっていかないと。

・・・勉強になります。一気に引っ越し先の医療・福祉の状況が
多数の角度からの意見として得られる。貴重な体験をしていると思います。

 
・・・あんまりしつこく聞きまわって嫌がられないように気をつけます・・・。

今回の大阪での失敗と不安要素。

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住居探しは、就業・生活支援センターの紹介してくれた不動産屋さんを通じてやっているのですが、どのくらいの情報が伝わっているのかがわからなくてちょっと失敗。守秘義務との関係で難しいところではあるのですが。

話を進めていくうちに当然、こちらの情報を出していくことになるわけですが、自分が「統合失調症」であることが不動産屋さんに伝えられていなかったことが判明。クローズド状態だったものをうっかりオープン状態にすることになってしまいました。失策やったかな・・・。

で、その不動産屋さんは統合失調症をオープンで家主に交渉したことがあるそうで、その時は家主が受け付けてくれなかったとのことでした。しかも複数のケースで。ありがちなことなのでしょうか。

そのあたりの調整を就業・生活支援センターに期待していたところがあったのですが、ただ、不動産屋に大雑把に紹介をしてくれただけのような気配が。また、不動産屋も不動産屋同士の連携があり、今回は孫請け的なところが契約関係を処理することになるようです。

障害があることによって差別を受けるのであれば、ハッキリその旨言ってくれればいいのですが、間に不動産屋が入ることによって家主と直接交渉をするわけにもいかず、社会の理解が進まない現状に対してアクションを起こせないことになります。

これは、職業紹介についても同じことが言えるわけで、人と人とのつながりの間に入ってくるコーディネーターの役割がある種の弊害を生んでいるところもあるのだろうかという気にもなります。コーディネーターは守秘義務をどこまで守るべきか。最初に申し込む時の約束としては、支援に必要なことについては情報を相手方に伝えることがある…といった感じの取り決めをするのですが、具体的に動いてみるとこんなあいまいなことではいけないわけで、難しいところではあります。

今回の移住については、ワーカーとしてどんな動きをして生活や就労を支援しているのか、自分がワーカー側に立ったらどんな感じになるのか想像しつつ、各機関にお願いしてみて様子を見ているのですが、学校で習う原則と実務との差はやはり大きいわけです。就労継続B型でも感じていたことではあるのですが。

理想と現実。

この乖離をどこまで解消できるか、自分を実験台にいろいろ試してみたいです。

あんがいあっさり事が進むかもしれないので「考えすぎはよくない」みたいな、私としては気持ちの悪い結果になることもありえるわけで、これから1週間ぐらいが「何か起きる」期間であり、緊張が高まっています。

なんで「考える」ことをやめろとみんな言うんだろう。
そりゃ考えた通りに事が進まないのはわかってる。良くも悪くも。
でも、結果良ければすべて良しでは、他に応用が利かないじゃないかとも思うのですが。

まあ、不安が私を駆動する主な動因なのでそう言われるのかもしれないけれど・・・。

さて、どうなることやら・・・。

期待すべきことをまちがえているのか。自分が主体となるのが本来なのか?
自分が主体になるというのはどういうことなのか・・・?

なんかよくわからなくなってきました。

でも、自分のために動いてくれている人がいることは確かです。
感謝の気持ちは忘れないようにしたいです。

大阪から静岡に帰ってきました。

桜も散り始めていました。
桜も散り始めていました。

生活と医療を大阪に移すための基本的な情報が集まりつつあります。

ただ、職業に関しては、アセスメントが必要とのことで、
もう少し時間がかかりそうです。

引っ越しはうまくいけば5月上旬くらいにいけそうです。
しかし、なにせ浮き草のような(ようになる)私ですから、
物件がスムーズに押さえられるかわからない。
根気よく行きます。保証人協会と家主が首を縦に振るか否か。

引っ越し先候補物件
引っ越し先候補物件

で、その一方、師匠と精神世界の話をしたりもしてきたのですが、
くいちがうところがあったり、師匠が暴走してみたり。
おもしろかったです。

抹茶ソフトクリーム&栗とかぼちゃソフトクリーム
抹茶ソフトクリーム&栗とかぼちゃソフトクリーム

お楽しみも少し。

左は抹茶ソフトクリーム。これはお茶産地静岡在住の私には何も珍しくない。
右が栗とかぼちゃのソフトクリーム。・・・かぼちゃかよ・・・。

たべてみたらふつうのソフトクリームよりあっさりした感じで美味でした。

ああ、つかれた。しかし、新たな宿題も多々発生しているので、一つずつ片付けないと。
だんだん物事が具体的になってくるんで、手間がかかってきます。

気分変えつつ、なんとかしていかないと。

「やっと本当の自分に出会えた」を読んで

「やっと本当の自分に出会えた」上森得男 を読みました。

統合失調症を患った家族と本人の書いた本です。
家族に統合失調症を抱えるというのはとても大変なことだと思います。
私自身振り返っても、だいぶ家族には苦労をかけました。

この本のカギは新薬「リスパダール」。
私も飲んでいたことがあります。頓服用の液剤は残念ながら使用したことはありませんが。
新しい薬で目の前が開けるように回復していった様子が書かれています。

私も時期的に、旧向精神薬から非定型向精神薬への過渡期に
統合失調症の治療を受けました。

私の感想としては、「薬剤が決め手の全てではない」です。
私も新薬に切り替えましたが、体感できるほどの違いは感じませんでした。

ただし、発症後、はじめて薬を飲んだ時にはそれが強烈に効いたのを覚えています。
旧薬だったのでしょうが。初診の後で赤い錠剤を渡されて飲んだのですが、
それから2日間眠り続けました。(なんだったんだろう?)

薬は確かに効くのです。
効き方は個人によって大きく差があります。

現在私は、ジプレキサを1日10mgの処方になっています。あとは睡眠導入剤と副作用止め。
再発予防のための維持量ということだと思いますが、
未だに被害妄想的な部分は残っており、性格もあいまって病気で障碍なのだと思います。

アドヒアランスにも触れられていますが、薬の作用機序は完全には分かっていないはずで、
(神経伝達物質の量を調整するとなぜ症状が変化するのか?どのように関係するのか・・・?)
そこで完璧なアドヒアランスを求めるのは苦しいんじゃないかと思うのですが、
「多くの人が効いたという統計がある」ということで納得していいものかどうか。
薬を飲むことは大事だけれども、その根拠はまだ盤石ではないということも
頭の隅に置いておきたいところです。

「回復する病気である」という希望を与えるための本なのでそんなことを言うのは野暮なのですが。

書かれたのが自立支援法施行前ということで、福祉施策にはあまり紙数が割かれていません。
一旦この病気にかかると長期のサポートが必要であることが多く、
それには福祉面からの視点が必要なのですが、とりあえず様子見という書かれぶりでした。

急性期の患者さんを抱える家族に渡すにはいい本かもしれないとは思いました。